幸せですよ。
「...おじいちゃん」
懐かしい声が聞こえ目を開けます。
「柚さん?」
目の前に居たのは柚さん。
どうやら夢が終わり私は現実の世界に戻って来ました。
「起きた?」
「はい」
おかしいですね、柚さんは笑顔ですし、ここはホスピスでもありません。
「家ですね」
自宅の安楽椅子に腰掛けていました。
まだ夢の続きを?
そんな筈はありません、夢は全て店のカウンターから始まっていました。
それに柚さんの姿が、
「制服ですか」
「学校帰りに直接来たんだもん」
柚さんは仁政中学の制服に身を包んでいます。
柚さんが中学に入学した頃、私は既に最後の入院をしていて制服姿は病室でしか見た事がありませんでした。
「早く行かなきゃ、みんな来ちゃうよ」
「みんな?」
よく分かりません、混乱するばかりです
「もう、おじいちゃん忘れてるの?」
「忘れてる?」
「今日はおじいちゃんの店にみんな集まるんでしょ」
「は?」
「ほら早く着替えて」
「...はい」
柚さんに手を引っ張られ椅子から立ち上がりました。
椅子の横には畳まれた私の服が置かれています。
「これは」
畳まれていた服に言葉を失います。
それは私が店に立つ時いつも着ていた服でした。
「大丈夫?一人で着られるよね?」
「は、はい」
「玄関で待ってるね」
とにかく柚さんに着いて行きましょう。
部屋着を脱ぎ、店の服に袖を通します。
ボタンを留めズボンも履き替えて...
待って下さい、私は今簡単に立ちましたね?
それにボタンまで自分で留めました。
まさか未来が変わったのでは?
「早く行こ」
「あ、あの柚さん」
「何?」
「か、家内は?」
気になるのはやはり妻の事、未来が変わったならひょっとして...
「もういったよ」
「そうですか...」
やはりそんな都合良く未来は変わったりしません。
「どうしたの?」
「...いえ何でも」
精一杯元気な笑顔で柚さんと自宅を後にします。
店まで数分、懐かしい町の景色に目を奪われながら到着しました。
「柚、マスターは?」
「寝てた」
柚さんが扉を開くとカウンターから紳士の声が聞こえて来ました。
もちろんこの声も分かります。
「薬師さん...」
「珍しいねマスター、疲れてない?」
「大丈夫です」
薬師さんは髭を蓄え、すっかり喫茶店のマスターが板に着いています。
店は無事薬師さんに引き継がれたんですね。
「柚、ケーキを貰って来てくれない?」
奥のテーブルから声がします。
「分かったお母さん、おじいちゃん行ってくるね」
声の主は杏子さんです。
前回は海外から国内に活動の場を移されてました。
そして母校の音大で後進の指導もしておられたはずです。
「マスター元気?」
「お久しぶりです」
テーブルを並べ変える杏子さんを見つめていたら店の奥から懐かしい声が次々聞こえて来ました。
「川口さん、和歌子さん」
すっかり立派になられた2人、今は東京に住まわれています。
「お、佑樹もう来てたのか?」
「和歌ちゃん久し振り!」
また扉が開き浩二さんと由香さんが入って来られました。
「今ついた所だ、マスターのハンバーグカレーを食べにな」
「ちょっとあなた、今日はお祝いでしょ?」
「お前も『楽しみだ』ってさっき」
「言わないの!」
「変わらないな佑樹」
「和歌ちゃんも」
川口夫妻のやり取り、懐かしいです。
浩二さんと由香さんも嬉しそうに見ています。
「席の用意が出来たからみんな中に入ってくれ」
「ああ」
「失礼します」
「マスター飲み物と料理のヘルプお願い出来ますか?」
「はい分かりましたよ」
薬師さんに言われて4人は奥のテーブルに向かい、私はカウンターに入って薬師さんと並びます。
そういえば薬師さんにこうして料理の手解きをしました。
「マスターに見られたらやっぱり緊張しますね」
そう言いながら薬師さんは慣れた手付きでコーヒーを淹れます。
私も抹茶と紅茶を早速作り、一杯だけコーヒーを淹れました。
「どうぞ薬師さん」
「マスター?」
「味見です」
もちろん嘘です。
夢じゃないか確認です。
「旨い、やっぱりマスターには敵いませんね」
「そんな事ありませんよ」
変化が無い事にホッとします。
どうやら大丈夫みたいです。
「おーい頼む」
「はい」
カウンターから薬師さんが声を掛けると杏子さんがやって来ます。
前回もたまにお店を手伝いに来てました。
「あれ?」
杏子さん気づきましたね。
「ココアです、杏子さんも浩二さん達とどうぞ」
「マスターありがとう」
「いいえ」
杏子さん嬉しそう。
でも用意したのは薬師さんです、照れ臭くて言えないって。
「貴方も」
「あ、...うん」
ばれてましたね。
「よ」
「どうも久し振りです」
「マスターお元気ですか?」
再び扉が開き、また懐かしい顔が現れました。
「唯さん、順子さん、有一さんも?」
唯さん、そして山添有一さんと奥さんの順子さんの3人です。
「有一さんいつ日本に?」
有一さんはアメリカの研究室で素晴らしい成果を上げ続けとても忙しいはずです。
(順子さんはご両親の介護の為に日本に戻られています)
「先週です、ちょうど日本で学会がありまして」
「うむ、私も有一と順子、2人一緒に会えて嬉しいぞ」
「私もよ唯」
嬉しそうに手を取り合う2人、いつまでも親友なんですね。
そういえば娘さんの光希さんがいませんが。
「光希さんは?」
「唯人が東京見物に連れて行ってるぞ」
唯人さんは唯さんの息子さんです。
確か光希さんの3歳上の20歳。
光希さんが日本に来る度、唯さん家族と交流を深めてました。
「そのまま光希は唯人と結婚すれば良いのに」
「な!?」
有一さんは目を見開き固まってしまいました。
「ちょっと唯、光希の異性の話はタブーよ!」
「冗談だ」
相変わらずの唯さんですね。
「間に合いましたわね」
「ええ」
その後から更にお二人、これは何とまあ。
「志穂さん美穂さん」
そう由香さんの従兄弟、橋本志穂さんと美穂さんです。
「いらっしゃいませ美穂さん」
「こんにちはマスター、ごきげん麗しく」
「いらっしゃい志穂さん」
「ブルドックも元気そうですわね」
「誰がですか」
このやり取りは謎です。
「おや志穂と美穂か?」
「唯!まあそれに順子...はたまに会ってますね...ひょっとして隣に居ますのは有様?」
「ひょっとしなくても有一だ」
「お久しぶりです志穂さん美穂さん」
「「キャー」」
見事なハモリです。
双子はいくつになってもそうなんですね。
「有様、アメリカに戻る前にお父様と会って下さい」
「もちろんです志穂さん、橋本教授は僕の恩人です」
「もう教授って感じはありませんわ、園児に囲まれすっかりおじいちゃん理事長ですから」
橋本教授とは志穂さんと美穂さんのお父さんです。
有一さんを指導した教官として世界に知られていましたが、定年を迎えるとあっさり研究者を引退され保育園の理事長を20年以上務めています。
「お招きにあずかりまして」
「マスター元気にしてた?」
次に現れましたのは清水祐一さんと律子さんです。
律子さんは橋本さんが理事長を務める保育園の園長として子供さんだけでなく親御さんから絶大な信頼を集め、評判を聞いた保護者が市内外から集まり大変な競争率らしいです。
祐一さんは...変わりませんね。
相変わらず可愛いです。
もう中年なのに(失礼)
「さあマスターにご挨拶」
律子さんの後ろに居たのは...
「こんにちは」
「はいこんにちは浩香ちゃん」
可愛い女の子。
律子さんの孫、浩香ちゃん3歳。
つまり浩一さんと知香さんの娘。
だから...
「浩香~!」
「おじいちゃん!」
ほら浩二さん走って来ました。
「じいちゃん寂しかったよ!」
「うん私も!」
抱き合う2人、いつものお約束らしいです。
「近所に住んでるのに毎回毎回よく飽きないわね」
後ろで由香さんが少し呆れてます。
律子さんと祐一さんもですね。
「お義母さん」
律子さん達の後ろにいた1組の夫婦、浩一さんと知香さんです。
「浩一さんごめんね」
「いいえ、慣れました」
「また次もこうなのかしら」
知香さんはお腹を撫でながら苦笑い。
お腹に次の子供が居るんです。
「遅くなりました」
「大丈夫よ藍香、今終わったの?」
「うん」
藍香さんは医師になり現在大学病院にお勤めで、あと数年したら浩二さんの医院を手伝うそうです。
由香さんのお父さんも現役ですから三世代続けて、凄いですね。
「はいお待たせ」
『お待ちどうさま」
「...え?」
扉が開き、柚さんが大きな箱を大事そうに抱えて入って来ました。
その後ろに居た方に言葉を失います。
「あ...あの」
「あなたどうしたの?」
...妻です。
3年前に亡くなった妻がそこに居ました。
闘病中のやつれた姿ではなく、健康そうなおばあちゃんの姿です。
「いやあの柚さんが先に逝ったと...」
「ええ、店でケーキを作るから先に行ったのよ」
勘違いですか、なんと言う事でしょう。
「店ですか」
妻は10年前に自分の経営するケーキ店を閉じたはずでは?
「まだまだ現役だね、おばあちゃん」
「ええ、昔からのお客様が来る間は辞められませんよ」
「良かった...」
「どうしたのあなた?」
「な、何でもあり...ありません」
声になりません。
こんな素晴らしい幸せな事があるなんて。
「マスター、そろそろ始めましょう」
「はい」
薬師さんに促され店奥のテーブルに向かいます。
テーブルには沢山のご馳走が並び、真ん中には先程柚さんが持ってきた箱が蓋をしたまま置かれてます。
今日は何の集まりでしょうか?
「マスターはここ」
唯さんが呼びました。
「え?」
それはテーブル中心の席。
「おじいちゃんが今日の主役なんだから」
「私が主役とは?」
「はいこれ!」
私の質問に答えず柚さんが蓋を持ち上げました。
「これは...」
箱の中に入っていたのは大きなケーキ、その上に置かれていたホワイトチョコの板にチョコで書かれていたのは、
[マスター80歳のお誕生日おめでとう]
「おめでとう!」
「マスターこれからもよろしく!」
「元気でいてください!」
「うむ、マスターが居ないと私も悲しいからな」
「皆さん...」
皆さんの気持ちに私は、私は...
「さあマスター、一言ご挨拶お願いします」
薬師さんに言われて私は頭を下げます。
言葉がうまく出るでしょうか?
「今日は私の為本当にありがとうございます。
こんな素晴らしい人生を...素晴らしい人生を...」
「おじいちゃん」
言葉に詰まる私に柚さんが背中にそっと手を置いてくれました。
「皆さんのお陰で私は素晴らしい人生を歩めて本当に幸せです」
「私の方こそマスターのお陰で感謝してます」
「浩二さん...」
「ええ、マスターには本当にお世話になりました」
「浩一さんも...」
「私もです」
「私もだ」
次々と感謝をされ涙が止まりません。
「私達夫婦にとってマスターは本当に恩人です。
これからも店を一緒に...お願いします」
「薬師さん...もちろんです」
沸き上がる拍手、もう何も考えられません。
「僕もマスターのお陰で浩二君と」
「祐一、僕と何だ?」
「内緒!」
最後の祐一さんの言葉に笑い声が溢れます。
私は本当に幸せな人間です!
まだ続く私の人生、もう少し逝くのは先になりそうです。
まだまだ楽しみましょう。
....ありがとう柚さん。
これで完結致します。
長い間本当にありがとうございました。
じいちゃんっ子