俺は待ってるぜ。
(さて困った事になった)
今更薬師さんが真相だけを知った所で
『ハイそうですね』と杏子さんと元の鞘に収まる事は可能性は少ないだろう。
何しろ当事者の杏子さんはもう日本にいないのだから。
みんなもその事は充分理解しているので皆黙り込んでしまう。
「浩二君どうしたら良いと思う?」
由香に聞かれるがどうしたら良いか俺の方が聞きたい。
「とにかく薬師さんがこれ以上自暴自棄にならないようにするしかないね」
それくらいしか言えない自分が情けなかった。
「杏子さんの手紙には明信には絶対にこの手紙を見せないでって何回も書いてあるからこれを安易に見せる訳には行かないよね」
由香は杏子さんのお母さんから預かった手紙を鞄にしまおうとする。
「なあ橋本」
「なに?」
「その手紙を俺に預からせてくれ」
「佑樹?」
「すまん俺は何か腑に落ちないんだ」
佑樹の言葉に不安を覚える。
(俺は何かを見落としてないか?)
考えてみるが答えは見つからなかった。
「佑樹その手紙をどうする気?」
「今は分からんがアッキー..いや薬師さんに見せる事もあるだろうな」
「だから薬師さんにこの手紙を読まれる事を杏子さんは望んで無いって..」
「和歌、本当に見せたくない手紙をこんなに何通も書くか?
いくら本音を言えるのが1人しかいないとしてもだ。
それにそんな手紙をあっさり俺達に託すか?」
佑樹と花谷さんのやり取りを見ながら俺は杏子さんと薬師さんが連絡を取り合う方法が無いものか考えていた。
(ラインやメールと言った物が無いこの時代の連絡手段は...)
「やはり手紙か電話だな」
「浩二君、手紙より今は電話よ。早くしないと杏子さんも限界が近いわ」
俺の一人言に由香は電話をすすめる。
(確かに手紙と違いタイムラグが無い電話が一番だろう)
これから先の方針が見えて来た。
「まずは薬師さんを救う事。
次は薬師さんが杏子さんに連絡を取って貰う事。
それでも2人が別れを選択するなら仕方がない」
俺の言葉に由香も佑樹も花谷さんも頷いた。
翌日の学校が終わった後、俺は電話で嫌がる薬師さんを無理矢理喫茶店に呼び出した。
マスターにはまた無理を言って喫煙ルームを開けて貰った。
「なんだよ浩二?話しは終わったろ!」
部屋に入るなり薬師さんは苛ついた表情のままで煙草をくわえ火を着けた。
2日前より煙草のピッチが早い。
俺と話した事で心の古傷が開いたのだろうか?
口臭だけじゃない全身から煙草の臭いも凄い、完全に体に染み付いてる。
これで周囲にバレないのか?
「薬師さん学校は?」
「2日間休んでるよ、母ちゃんが『今学校に行ったら一発で停学だよ』って言いやがるんだ」
(成る程薬師さんの煙草は家族も黙認しているって事だな)
「そうですか」
「で今日は何の用だよ?あいつの事なら俺は帰るぞ!俺の事ははもうどうでもいいから放っておいてくれよ!」
薬師さんの大きな声が部屋に響く。次の瞬間部屋の扉が勢いよく開いた。
「何がどうでもいいだ!」
「佑樹...」
クラブで到着が遅れた佑樹が現れると薬師さんは慌てて煙草の火を消そうとする。
そんな薬師さんを佑樹は無言で見ていた。
その顔は少し泣きそうにも見えた。
「薬師はそれで良いのかよ...」
「佑樹...」
「本当にそれで良いと思ってんのか?俺には分かってんだよ!」
佑樹は薬師さんに向かって言った。
「な、何が分かってるって?」
「杏子さんの別れ話しの時の浮気が本気じゃなかった事にとっくに気がついている事がだよ!」
(佑樹どういう事だ!?)
俺は心で佑樹の言葉に叫んだ。
佑樹の言葉に薬師さんは目を開いて固まる。
どうやら図星らしい。本当に分かり易い人だ。
「...いつ分かった?高校の友人も浩二まで騙せたのにな」
「最初は全く分からなかったよ。
だけどよ杏子さんのお母さんから話しを聞いた時に薬師さんの行動に違和感を感じたんだ。
杏子さんとは親公認の仲だったろ?
そんな酷い事になったら1度位は杏子さんのお母さんに連絡するか会いに行くはずだ。
でも薬師さんは行かなかった。
杏子さんとの別れ話の浮気が演技だとしばらくして気がついたが、杏子さんのお母さんから浮気の演技がバレた話しが杏子さんに行くのを恐れたんだろ。
杏子さんを支えてやれなかった自分が情けない、それが辛くて煙草に手を出したんだろ」
「...さすがだな佑樹。
だがな俺はやっぱり振られたんだよ。
確かにあいつの浮気は本気の浮気じゃなかったのかもしれない。
でもな未練たらしく頼りに為らない情けない俺はあいつに愛想を尽かされて...俺は振られた事に変わりは無いんだよ」
「薬師さん、俺は薬師さんに似てるんだよ。
一途で熱くて、あとは単純で...
...これを読んでくれ」
「なんだよこの手紙の束。...まさか?」
「そうだよ杏子さんの手紙だよ。
杏子さんも自分のしてしまった事の罰をうけているんだ」
「罰を?」
薬師さんは震える手で手紙を佑樹から受け取った。
しばらく無言で読む薬師さん。すぐに目から涙が溢れ出す。
読み進める内に一人言を繰り返し始めた。
「なんだよ馬鹿だな..それならちゃんと俺に言えよ」
「馬鹿だな...手紙くらい書けよって、そっか俺はあいつに振られた事になってるんだよな」
「馬鹿な...おま..杏子を忘れて新しい彼女なんて出来るかよ」
「...馬鹿、杏子を忘れる訳ないだろ!」
「話してえよ、一言で良いから杏子と話したいよ!」
手紙を読み終えた薬師さんは俺と佑樹にしがみついて来た。
「畜生!俺はまた間違ったのか?
なあ浩二、俺はまた間違っちまったのかよ?
佑樹、俺は今から何をすれば良い?
どうすれば杏子を救えるんだ?」
「薬師さん電話だよ」
「え?」
「電話だよ国際電話」
「ああ佑樹が言った通り国際電話だ」
「でも国際電話って高いだろ?
杏子が電話に出てくれるかどうかも分からないし」
薬師さんは不安な顔になる。
でもちゃんと打ち合わせしてあるのさ。
「安心してくれ、由香や花谷さんが杏子さんのお母さんにお願いしに行ってくれる予定だ」
「ああ、上手く予定通り行けば近いうちに杏子さんに電話が出来るはずだぜ」
まさかな展開に薬師さんの顔は笑顔に変わる。
「但し通話時間は10分だよ、杏子さんのお母さんが料金を持ってくれるんだからね」
「ありがとう...ありがとう」
薬師さんは涙を流しながら俺達に頭を下げ続けた。
「薬師さん煙草は?」
「もちろん今日で止めるよ」
そう言って薬師さんは煙草とライターをマスターに手渡した。
マスターはにっこり微笑んで薬師さんの顔を見ていた。
その後薬師さんと杏子さんがどんな話しをしたのかは俺達は知らない。
しかし薬師さんは後日俺達に言った。
「俺は待ってるぜ。
杏子と付き合うまでに約10年かかったんだ、それに比べりゃ!」
そう言った薬師さんの顔は晴れやかだった。
もし2人がこの先結ばれなくとも後悔が無いならそれが一番だと思う俺だった。