分かっているんだ。
「浩二、今日話がある。帰りに喫茶店に来てくれ。」
兄貴達と一緒に朝の通学中、坂倉唯さんが俺に言った。
「浩二君だけですか?」
「そうだ、浩二だけだ」
由香が唯さんに尋ねたがきっぱり俺だけを指名する。
兄貴や順子さんも驚いているが志穂さん美穂さんは頷いていた。どうやら話し合って決めたらしい。
「分かりました。今日学校終わりに喫茶店に行きます」
「頼む。」
その後いつもの様に駅に向かったが唯さんや志穂さん美穂さんはいつもの様に順子さんに絡まなかった。
そして乗り換え駅で学芸大学附属高校に行く兄貴達と別れて俺と由香は仁政第一高校に向かった。
「何の用だろう?」
俺は由香に聞いてみた。
「分からないけど唯さんは何か浩二君に聞きたい事があるみたいね」
「聞きたい事?」
「うん聞きたい事とそして言いたい事」
「それって...」
「お兄さんの事でしょうね」
少し気が重くなり俺と由香はこの話題を止めた。
その日の学校が終わり帰り道、駅に着いた俺と由香は喫茶店の前で別れた。
「それじゃまた明日」
「うん」
由香も気になるだろうが俺だけに来てくれって事だから仕方がない。
俺は喫茶店の扉を開いた。
店内は数人の客がいるがまだ唯さんは来ていなかった。
「浩二君いらっしゃい。坂倉さんなら後10分程したらお見えになりますよ」
マスターが俺に言った。
「そうですか」
「ええ、先程電話がありました。さあどうぞ」
マスターはいつもの席に俺を案内する。
席に座り唯さんの話が何だろうと考える。
兄貴の事で間違いないと思う。
(兄貴を諦めるって話か?
いやそれなら兄貴や順子さんに言うべき事だろう)
(兄貴の身に何かあったのかな?
いやそれなら兄貴が俺に言うはずだ)
分からないまま悩んでいると喫茶店の扉が開く音がした。
扉の方を確認する。
唯さんだ。
「待たした」
唯さんは俺の座るテーブルの向かいの席に座った。
「いえ僕も10分程前に来た所です」
「そうか」
そこで会話が止まってしまい沈黙が続く。
「ご注文は?」
マスターが唯さんの水を運んで来て注文を聞いてきた。
「ホットを下さい」
「カフェオレ」
いつも以上に言葉少ない唯さんにマスターは静かに一礼すると無言でカウンターに戻って行った。
また沈黙のまま時間が過ぎる。
やがて注文の品が運ばれてきた。
「カフェオレ...」
唯さんはカフェオレの入ったカップを持ち呟く。
「私はここで初めてカフェオレを飲んだ。
有一が教えてくれたんだ」
「はあ...」
俺は唯さんの言いたい事が分からず間抜けな相づちを打つ。
唯さんは静かにカップに口をつける。
「やっぱり旨いな」
「そうですか」
唯さんはしばらくカフェオレを飲んでいた。
やがて俺を見て呟くように話し始めた。
「有一の進路もちろん聞いてるな?」
「ええ、兄弟ですから」
兄貴の希望大学は東大医学部。兄貴なら受かるだろう。
「順子も一緒だそうだ」
「そうなんですか?」
これは知らなかった。
(順子さんが兄貴と一緒?って事は東大?順子さんそんなに凄かったんだ)
「順子も身の程知らずだな」
唯さんは独り言を言うみたいに話す。
「でも順子なら行けるだろうな」
「だと良いですね」
俺の言葉に唯さんは俺を見つめた。
その瞳には哀しみと怒りの様な感じを受ける。
「何であいつだったんだ?」
唯さんは俺を見つめたまま呟く。
言葉の意味が分からず俺は少し混乱した。
「なあ浩二、何で有一の相手は順子だったんだ?」
「それは兄さんが順子さんを選んだ訳で...」
「違う!」
「え?」
「浩二、お前が順子と有一の仲を応援したんだろう!」
「それは...」
俺は唯さんに返す言葉が見つからない。
「順子は有一と小1からの付き合いだ、だが私も一緒だ。小1から有一が好きだ!
順子..いやあいつに負けないくらい好きなんだ!
何故お前は私じゃなくあいつを応援したんだ?」
「....」
悲痛な唯さんの叫びに俺は何も言えない。
「すまん...八つ当たりと分かっているんだ。
例えお前が順子でなく私を応援したとしても有一は私じゃなく順子を選んでいたと...」
「唯さん...」
「これで順子が嫌な奴なら良かったんだ...
もしそうなら私は無理やりでも有一を奪うのに...でも順子は良い奴だ。私は順子が大好きなんだ」
そう言うと唯さんの目から涙が溢れ出した。
「すまない、泣くつもりなんかなかったんだが..」
唯さんは俺の顔を見ると今度はしゃくりあげながら泣き出した。
「浩二、お前は有一に似てるな。臭いまで一緒だ」
「兄弟ですから」
俺はまた間抜けな答えしかできない。
しかし顔だけで無く臭いまでって何だ?兄貴の体臭は知らないぞ。
「だが有一の方が小柄で私好みだ」
「でしょうね」
俺の言葉に唯さんは少し笑う。
しばらく唯さんは泣き笑いをしていた。
どれくらいの時間が経ったろう。
唯さんは少し落ち着いて来た。
「今日はありがとう」
唯さんは席を立つ。
俺も一緒に席を立ち会計を済ませる。マスターは何も言わず俺を見て小さく頷いた。
唯さんの家は俺の家とは少しだけ同じ方向だ。俺と唯さんは並んで歩く。
「最後に一つだけ良いか?」
別れ際に唯さんが俺に聞いてきた。
「何でしょう?」
「そこに立て」
「はい?」
「いいから!」
「分かりました。」
意味が分からず俺は立ち止まる。
唯さんは俺を抱き締めて来た。
「唯さん!」
「分かっているんだ、お前は有一じゃない。だが少しだけ有一の代わりをしてくれ!」
そう言うと唯さんはまた泣き出した。
「有一...有一...」
しばらく唯さんは泣いていた。
翌日から唯さんは兄貴との待ち合わせ場所に姿を見せず一人で学校に行くようになった。