水疱瘡の思い出
年が変わり1976年の1月のある日、俺は身体のだるさを感じた。
最初は『風邪でも引いたかな?』
位に感じていたのだが、なかなか熱が下がらない。
肌着を替える時に背中から脇にかけて赤いブツブツが出来ていた。
『こりゃきっと水疱瘡だぞ』
父さんが一目みて母に言った。
それから直ぐ掛かり付けの病院に連絡して父さんの車に乗って行った。
伝染病だから、いつもの受付からでなく裏口から診察室に入った事がとても印象に残った。
注射をされて何やら薬を処方されて帰宅。
兄貴は3歳の時既に水疱瘡にかかっていたのだが、念のため為俺1人リビングに蒲団を敷いて寝かされた。
母親が仕事を夜に回して俺に寄り沿って看病してくれた。
兄貴や爺ちゃんと婆ちゃんも心配して1日に何度も顔を出して励ましてくれ、ありがたかった。(たまに父さんも顔を出してくれた)
病院に行ったその夜から身体だけでなく、首かから顔中にまで水疱が拡がって来たのだが、
これが痒い!全身の痒みで頭がおかしくなりそうだ。
「そうだ!」
俺は思い出した。
前回の時間軸の水疱瘡の時、痒みに耐えかねた俺は母親の目を盗み鼻やおでこを掻きむしってしまい、俺の顔には一生消えない痕が幾つか残ってしまったのだ。
今回はそんな馬鹿な事はしない!!
俺は母親に頼み手を布でぐるぐるに巻いて貰い腕も体に紐で巻きつけてもらった。
『そこまでするの?』
と母親は驚いていたが、
『頼むから』
と必死でお願いして了解してもらった。
トイレが非常に恥ずかしかったが、一生残る痕は本当に勘弁だ。
思い返せば小さい時、我ながらなかなか可愛い顔をしていた。
(兄貴にはかなわなかったが)
しかしこの痘痕で俺は顔に全くの自身を無くしてしまい、笑顔を見せるのが減ってしまった。
...俺は耐えた。
2日経ち、4日経ち、水疱が乾いても一切触らず、1週間以上経って全てのカサブタが自然に落ちるまで耐えきった。
『やっと終わった!』
これからも顔を上げて生きて行ける。
鏡の前でアバタの痕一つない顔を見て俺は高笑いするのだった。
家族からは、
(熱と痒みの辛さから性格が少し変わったのかも?)と心配された。