白石さんピンチです。後編
数日後、杏子姉さんから電話が来た。
最終の指導が終わったら、案の定男は杏子姉さんに対し執拗に食事を誘って来たのだ。
杏子姉さんは俺が言った通りに、日を改めて下さいとお願いしたら、あっさり退いたそうだ。
拒絶されなかった事で安心したのだろう。
今週の日曜日に駅前で昼1時に男と待ち合わせをしたと教えてくれた。
早速翌日から佑樹達と日曜日に向けての準備を開始した。
小物の買い出しや、細かい演出の打ち合わせを済ませ、日曜日がやって来た。
「来たわよ」
「ああ来たな」
由香と改札の隣で待つこと暫し、やがて杏子姉さんに手を振りながら男が現れた。
佑樹と花谷さんはここに居ない、別行動で準備を進めていた。
男は精一杯のお洒落をしてきたようだ。頼りになるお兄さん感を出そうとしているつもりだろうが、アイドル雑誌のグラビアを参考にしたのがバレバレだ。
髪型や小物までどこかで見た気がする。
腕時計や履いている靴は全て似たような偽物なのが直ぐに分かった。
『痛い...痛すぎる)
予想以上な勘違男振りは何故か以前の薬師兄さんを彷彿とさせた。
二人は駅前を歩き、目的の店に向かう。
男は素直に杏子姉さんに従っている。
しかし、手を繋ごうとして杏子姉さんに振りほどかれていた。
「ここなの」
「へー良い雰囲気の店じゃないか」
前を行く杏子姉さんが一軒の喫茶店で立ち止まる。
いつもの喫茶店、もちろんマスターには事情を話してあった。
『お任せ下さい、大丈夫ですよ』
快く協力してくれたマスターには感謝しかない。
杏子姉さんが喫茶店の扉を開ける。
中に入る二人に続いて俺達も店に入る。
店内に客は居ない、当然だ、今日は貸し切りにしている。
俺は店のドアにかかっているOPENの札をひっくり返しCLOSEDにした。
「いらっしゃいませ」
マスターが声を杏子姉さん達に声を掛ける、少し笑ってないか?
「2人だ。先に案内してくれ」
男は後ろに居る俺達に気付き、二人連れだとマスターに伝えた。
キザな仕草だ、杏子姉さんの肩まで抱きやがって。
杏子姉さんの肩に置かれた男の手に由香の体から怒りのオーラが溢れ出る。
その気配に男が振り返った。
「駄目だよ、順番だからね」
由香の肩を優しく抱いて微笑んだ。
自分でやってて恥ずかしくて嫌になるが、あのままじゃ由香が作戦を台無しにしかねない、やむおえなかった。
「あ...アハァ」
由香は驚いたように目を開き、顔を真っ赤にすると気を失った。
予想外の事態に焦るが、ここで取り乱しては益々作戦が台無しになる。
素早く由香を抱き寄せ奥の長椅子に寝かせた。
杏子姉さんをテーブルに案内していたマスターが由香を見て頷く。
素早くブランケットを持って来たマスターは由香の上に掛けてくれた。
「大丈夫です、私一人でなんとかしますから」
「ありがとう」
マスターは小さく耳打ちをする。
本来なら由香はカウンターで音楽を流したりする予定だった。
カウンターに入り、店奥にある控え室の扉を開く。
中には佑樹と花谷さんが既に準備を済ませ待機していた。
「浩二、どうして焦ってるんだ?」
「あれ由香は?」
二人の格好に返事が出来ない。
今日の本番で初めて見たのだ。
「佑樹だよな?」
「おう!」
「花谷さんですよね?」
「そうよ」
二人は笑顔で頷いた。
「...何と言うか凄いな」
「浩二もやるんだよ」
「そうだけど」
「ほら、ちゃっちゃと済ませて」
ノリノリの二人から衣装を受け取る。
スタッフ用のトイレで着替え、最後に口元の最終チェックを済ませた。
「行くか?」
「いや待て」
焦る佑樹を止める。
タイミングを間違ったら男が逃げてしまう。
杏子姉さんには悪いが、男を焦らす必要があった。
「綺麗な指だね。
僕は思うんだけど、美しいピアノの音色は美しい指先から奏でるから美しいんだ、きっと」
男は訳の分からない事を言いながら、杏子姉さんの指を触ろうとしていた。
「あ、ありがとうございます...」
杏子姉さんは指を組んだり、男の手を軽く払っていた。
『浩二!早く来なさい!』
だんだん焦れて来た男。
俺達を見る杏子姉さんが叫びそうになっていた。
「そろそろ行くか」
俺が合図するとマスターは店内の音楽を止める。
静かなエリントンの調べから大音量の賑やかなイントロに変わった。
タータター、タッタラタッタッタター!!
「何だ急に?これはヤングマンか?」
異変に気づいた男がスピーカーを見た。
「やっと来たわね...」
杏子姉さんは呟いた。
「やっと?」
男は首を傾げ、曲はイントロから歌に代わる。
しかしあの方の声ではない。
勇ましい男達の声、本家本元のアメリカ版である。
「いよーアプリコットじゃねえか!」
「久し振りね、リバー」
杏子姉さんにリバーと呼ばれた佑樹はアメリカンポリスの扮装をしている。
帽子に革ジャン、前ボタンは全開にはだけ、薄く生えた胸毛の下には神が与えたもうた腹筋が見えている。
下はピチピチの革ズボンを履き、立派な股間の盛り上がりがバッチバチと浮き上がっていた。
そして口元には口髭を貼っている。
「ひゃ!」
佑樹の姿に男は短い叫び声をあげた、しかし悪夢は続くのだ。
「アプリコット、今日の俺達の獲物はそいつかい?」
「そうよマンウント、ゆっくり食べちゃって」
マンウントとは俺の事だ。
山添でマウンテンでマンウント、安易だな。
俺の扮装は白い作業用ヘルメットに下はパッツンパッツンのデニム。
上には作業着でファスナーを全開にし、胸元はブルワーカーで鍛えた大胸筋。
さあ見てくれ!もちろん俺も口髭を貼っている。
「ま、また!」
俺の姿に男は完全に混乱している。
さあ次だ!!
「あら坊やダメよ逃げちゃ。
ね、アプリコット」
「あなたも来てたのフラワー」
フラワーは花谷さんの事である。
薄い生地で大きく胸元が開いたタンクトップ。
その上にボタンを全開にしたGジャンを軽く羽織り、白いホットパンツ。
黒いヒールの靴、きつめのメイクをしている。
うんセクシーだ。
中学校2年には絶対に見えない。
男も花谷さ...いや、フラワーの胸の谷間を見ている。
佑樹...いや、リバーは男の視線に怒りを滲ませながら隣に、反対側には俺が座った。
「何だ!何だよ?君達は」
男は慌てて席を立ち逃げようとする、だが手遅れなのだよ。
「何処に行くんだ?お前は俺達の可愛い子猫ちゃんだろ?」
リバーは男の片尻を軽く掴み、再び座らせた。
「きゃ!」
思わず男は可愛い叫び声をあげた。
「良い声で鳴くじゃねえか...おい」
曲が終わり、マスターはまた最初かかけ直す。
タータタータッタラタッタッタター
「ま、また?」
狼狽える男だが、こんな事で許す事は出来ない。
杏子姉さんの肩を抱くとは何て事をしたのだ、薬師兄さんの代わり罰を与えねば。
「何だよ?腹筋の一つも無いのか?」
男の腹を服の上から撫で回した。
「な、何だよ?杏子、何だこれは!」
男はまた立ち上がり逃げようとする。
「あら、私のアプリコットを呼び捨て?」
フラワーはアプリコットの顎を優しく触る。
「「「うお?」」」
思わず男3人の動きが止まってしまった。
由香が見てなくて良かった。
「どうしたのリバー!」
胸元を見て固まるリバーに少し怒ったフラワーの声。
リバーは男に向き直った。
「何処に行くんだっ、よ!」
右尻をリバーに、左尻を俺マンウントに軽く鷲掴みにされ、また男は座席に戻る。
「き、君達はそうなのか?」
男は涙目で訴える。
「それが何だよ?」
「お前もそうなるさ、この曲のようにな..]
「や、止めて...」
尚も立ち上がり逃げようとする男、そろそろ終わりとしよう。
佑樹に目配せを送った。
「...嫌だね」
リバーの声が怒りに変わる。
「アッキーの為にも、お前は潰す!」
「アッキー?」
誰だそれ?みたいな声を男があげた。
「ふん!」
リバーの怒りの尻鷲掴みが炸裂する。
握力70kgを軽く超える万力フィンガーが男の尻を捻り潰した。
「ギャー!!」
男は白目を剥いて気絶する、まあ大丈夫だろう。
「やったな」
「やったぜ!」
俺達は歓喜のハイタッチ、少し臭うな。
「でも大丈夫かしら?」
杏子姉さんは男を見て少し心配そうにする。
確かにやり過ぎたかも知れない、少し心配になる。
「大丈夫ですよ」
後ろにマスターが立っていた。
マスターはテーブルの裏側から貼り付けていたテープレコーダーを外した。
「皆さんが来る前からテーブル下に仕込んでおきました。
先程白石様がお手洗いに行かれている時に、大変下品な事を彼は仰られておりましたので、何かありましたら上手くお使い下さい」
マスターはデッキから取り出したテープを杏子姉さんに握らせた。
これは証拠になる、男も被害を訴えたりはしないだろう。
「よっし!」
「やった!」
四人で再びハイタッチ、やはり臭うな。
「それでは行きますか?」
マスターはカウンターに戻り、ある曲を流した。
「う...どうなったの?」
意識を取り戻した由香が俺達のテーブルに現れた。
「お、橋本気がついたか?」
「終わったよ由香!」
笑顔で佑樹と由香に勝利のVサインを送る。
周りには気を失っている花谷さんと杏子姉さん。
男は奥の席に寝かせていた。
「二番始まるぜ!」
「おお!」
笑顔でギャランドゥを歌うマッチョなアメリカンポリス佑樹と白いヘルメットを被ったパッツンパッツンデニムの俺達、どうだい由香?
「ウーン」
また由香は気を失った。