起
「……えー、では来週の講義までに、今回の議題についてのレポートを提出するように」
課題を言い渡すことで、講義の終了としたのだろう。講師が扉を開き、教室から出て行った。
教室から姿を消すと同時に、出席していた生徒も各々、教室を後にしようと動き出す。
この講義は、階段状になった半円の大きな教室を使うほどに、履修者も多い。講師が出て行った最下段のものとは逆の最上段の出入り口は、出ていく生徒で溢れているだろう。
こういう時は、焦らず少し時間をおくに限る。幸い、午前の講義はこれで最後な上、今日履修している分はこれで最後だ。
「おっす、執事くん! お疲れ!」
ノートや筆記用具類を仕舞っていると、肩を軽く叩かれた。振り返ってみると、同じ一回生の青年だった。
名前は残念ながら、覚えていない。
「あぁうん、お疲れさま」
「俺達ファミレス行くんやけど、執事くんもどう?」
俺達、という言葉に反応して彼の背後に目を向けると、数人の男女が雑談をしていた。おそらく、同回生だとは思うのだが、記憶にない面々だ。
ちなみに、僕は執事でもなんでもない。そういった職の経験もなければ、燕尾服を着ているわけではない。至って普通の、ジャケットとパンツルックだ。
それでも彼がそのあだ名で呼ぶ理由は、僕が身に着けているモノクルが理由の一つだろう。今は亡き曾祖母との、思い出の品だ。
「あー……今日はこれで終わりだから、軽く学食で済ますつもりなんだ。ごめん」
「そっかぁ……んじゃ、俺達行くわ!」
「誘ってくれてありがとう、気をつけて」
おう! という返事を最後に、仲間を連れ立って教室を出ていった。誘われたことを嬉しく思うが、見知らぬ人間が混ざって、気まずい思いをさせるのも悪い。
会話をしているうちに、大半の学生も出ていったようだ。それを確認し、席を立ち上がって退室する。
咄嗟に口から出てしまった言葉だったが、この際本当に学食に行くのも良いかもしれない。講義棟を出るべく、出口へと足を進める。
関西の某県某所にある、月星陽学院大学。それが僕の通っている大学の名前だ。
講義棟・食堂棟のように、敷地内で用途ごとに棟が分かれており、正直なところまだ迷ってしまうことがある。
とはいえ、何度もお世話になったルートくらいは覚えている。講義棟を出、東にある食堂棟へと向かった。
―――
お昼時ということもあってか、事前に昼食を持ってきていない学生や、先程の彼のように外に食べに行く者を除き、入り口は人で溢れかえっている。
しかし、地下一階から二階までの三階層が解放されているからか、この人数でも全く問題はない。券売機や受け取りまでは混むが、そこは仕方がないだろう。
そして自分がいつも使っているのは、その中でもとりわけ人気がない地下だから尚更だ。前に倣って券を購入し、それを調理担当のおばちゃんに渡す。
「またコレかい? アンタも好きだねぇ」
毎回同じものを頼んでいるせいか、すっかり顔を覚えられてしまった。苦笑いを浮かべつつ料理を受け取り、地下へと降りた。
地下とは言ったが、西側が全面ガラス張りになっているおかげで陽が入り、決して暗くはない。ただ、眺めという観点で言うならば、地上階が人気なのも頷ける。
ここからでは目前にコントクリートの壁があり、上を向くことで陽光や木々がなんとか見える、といった具合だからだ。
陽が当たりつつ、顔の部分は木陰で遮断される場所を見つけ、席につく。同階層には、離れた場所に数組の人がいるだけで、静かなものだ。
「いただきます」
手を合わせて小さく口にし、箸を取る。コスト相応の味であり、特に気になるところはない。
受け取りカウンターではああ言われたが、同じものを頑なに選択していることには、理由がある。
『あの学食の○○の○○が美味い!』
この学生食堂を利用した者は、口を揃えてそう言うのだ。これは一度食べてみたいと思っても、納得してもらえるだろう。
さて。それでは何故、顔を覚えられるほどソレを注文しているのに、口伝ばかりで実体験として語っていないのか。
それは――
「いっただきぃ!!」
件のメインディッシュを箸で掴もうとしたところ、前から突然現れたフォークにソレは貫かれ、ひったくられてしまった。
目でその軌道を追うと、フォークは既に口内へと収まっている。
「ああ……」
周りに人影もなく、今日こそ食べられると思っていたのに、また駄目だった。
肩を落として落ち込む僕に、目前の席に座る人物の笑い声が届く。
「ハーッハッハッハ!! そうやって油断しているから取られるんだぞ、後輩君!」
勝ち誇ったように宣言し、自身が買ったのであろうミートソースパスタにフォークを刺し入れた。
目の前の彼女は、僕が所属する―――させられた、が正しいが―――同好会『未確認生物探求同好会』の会長だ。
小学生並みの好奇心、中学生並みの身長、高校生並みのスタミナをもつ、1つ年下の先輩でもある。
「まだ食べたこと無いのに、さすがに酷いっすよ先輩……」
美味しそうに自分の昼食を食べる彼女に、恨みがましい視線を向ける。
このように、噂の学食を食べようとすると、何かしらに阻まれてしまうのだ。
ある時はサッカーボールが後頭部に飛んできて引っくり返し、またある時は親友兼悪友に横取りされ、そしてこの目前の先輩も、原因の1つだ。
「なんだい、まだ食べたことがないのかい? 最初にパクっと食べちゃえばいいじゃないか」
「楽しみは最後まで取っておく派なんですよ、僕は。……第一、周囲の妨害を前提に飯を食わないといけないなんて、おかしいでしょ」
食事時くらい、誰にも邪魔されずに静かに摂りたいものだ。尤も、前述の通り、それが叶えられたことは殆ど無い。
「ところで、今日は先輩も学食ですか」
不本意な形ではあるが、食事を終えてしまって手持ち無沙汰なので、彼女に話を振ってみる。
反応する度に食事を中断して飲み込まないといけないので、少し大変そうだ。
決して、食べ物の恨みによる仕返しではない。
「私が学食だと、なにか問題があるかい?」
「いや、確か午後の講義は無いって聞いてたんで、もう帰ったのかと」
「それを言うなら君もじゃないか」
「むっ……」
こちらは止むに止まれぬ――というほどではないが、理由はあるのだ。が、先輩の知ったことではないだろう、反論はしない。
「それに、私は君が学食にいることを知って、追いかけてきたんだぞ? 少しは労ってもいいんじゃないかい?」
「えっ、どうして分かったんですか?」
「さっき君が講義を受けていた教室に、人が残っていたから聞いたんだ。親切な人で助かったよ」
確かに教室には、まだ数人の学生が残っていたように思う。昼食に誘ってくれた彼との会話を聞いていて、それを先輩に教えたのだろう。
ただ、あの場に残っていたのは、机に伏せって寝ていた者しかいなかったはずだが……。
「だから、さっき私が取ったのは、その手間賃として諦めるといい!」
「新しいのを頼めば良かったじゃないですか……お金持ちなんだから」
「今日はパスタの気分だったんだっ!」
「あー、もう。じゃあそれでいいです」
これ以上話しても埒が明かない、ここは折れておくべきだろう。ちくしょう、次こそは……!
「それで先輩。僕を探していたって、なにかご用ですか?」
「んむっ! 私達に依頼が届いたぞっ!」