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1冊目

「失敗は成功のもと」なんて軽々しく口にする人間が、わたしは大嫌いだ。


 その失敗は、一度きりのチャンスを逃す失敗だったかもしれない。その失敗から得た経験で成した成功は、妥協案としての成功かもしれない。


 そんな格言のなり損ないは、決定的ではない。成功したものだけに適用される格言なんて、ただの自慢に過ぎないじゃないか。


 図書室の片隅で、あまり集中できない本を流し読みしながら、そんなことを考えていた。


 今朝、香水を振りすぎたみたいだ。自分のにおいが鼻について、うまく物語の中に入っていけない。


 せっかく、紙とカビの匂いに包まれているというのに、そこにうまく埋もれていけない。

 


 放課後の図書室は、わたし以外に生徒は一人もいなかった。それでも、時々本を借りに来る人が居るからここを空けるわけにはいかない。


 某有名大学進学を希望するような人の通う、進学校だからだろうか。それとも、たまたまお金のない本好きだろうか。


 まばらにやってくる貸し出し希望者や返却希望者は、わたしの顔を見て一瞬固まる。


 そしてそのあとは、お化けにもう二度と顔を合わせたくないみたいに、自分の手元を凝視する。最近バーコード管理になったことに、心の底から感謝しながら。


 本来ならもう一人いるはずの図書委員は、いつものことだけれどサボって帰ってしまったみたいだ。


 それもそうだろう。こんなバーコードを通すだけの仕事、ここに居る先生がやってしまえばいい。


 先生に怒られない程度に化粧をし、香水の匂いをカウンターの奥から発しているような奴が図書室に居るよりずっといいだろう。


 いや、私が化粧を止めればいいだけか。わかっているけれど、そんなこと出来ない。


 なぜなら「勉強ばかりやっている」の代名詞のような学校でも、暗黙の順位付けが存在する。


 当たり前だ。私たちはまだ子供で、理性よりも本能が少しだけ体内で幅を利かせている。


 群れで生活している以上、無くなるわけがない。みんな平等なんて、教員免許を取る過程で道徳について学び過ぎた教師の世迷言だ。


 私は、上位グループに居るために、顔に塗った証を取るわけにはいかない。


 これは鎧だ。学校生活を難なく生きる為の、重く汚れた鎧。私を隠すための鎧。


 ああほら、集中できていないから、こんなどうでもいいことを考えてしまう。


 わたしは、トイレに行くために一度席を立った。窓の外をみると、四時を過ぎた外は少し薄暗くなっている。夜を迎える空が、昼間との間に緑色をのせていた。


 手首を洗ってトイレから出る時に、同じクラスの美沙と会った。


「あれ、メグじゃん! まだ残ってたんだ」


 甘く笑う美沙の頬は、少しだけ化粧が取れていた。


「それ、私のセリフ。また高橋とイチャついてたの」


「だって、家に帰ると親がうるさいじゃない。空き教室にだれもいなかったし」


 高橋というのは、美沙の彼氏だ。付き合いだしてもう一年近く経つけれど、付き合いたてのように美沙と高橋はべたべたしている。


「メグはあれね。愛しの大谷先生のところね」


 彼氏に見せられないような顔で、美沙は私にすり寄ってくる。


 美沙は、人との距離がいつも近い。男子はそれに惑わされるのだろう。美沙に好意を寄せている男子の話はよく聞く。


 けれど、告白にはなかなかやってこない。きっと、女子グループのトップである美沙に、話しかけられないのだろう。


 壁を上る力の無い下の人間は、見上げることしか出来ない。場合によっては、見上げているだけでも嫌われる。最下層というのは、そういうものだ。


「愛しのなんていわないでよ」


「なに今更照れてるの。ほら、さっさと戻らないと、せっかくの話すタイミング逃すよ」


 化粧ポーチからチークとリップを取り出して、美沙は鏡に向かった。


 その顔は、物語に出てくるような、恋する乙女の顔をしていた。


 どうせ、学生の恋なんて作り物だ。青春を思い出すための、ほんのひと時のまやかし。あるいは慰め。そんなこと、口が裂けても言えないけれど。


「メグはすごいな。大人を好きになるなんて。やっぱり、メグ自身も大人なんだろうな」


「やめてよ、そんなことない。たまたまだよ」


 本当に、やめてほしい。私はむしろ、あなたより子供なのかもしれないのだから。


 塗りすぎたチークを指で拭いながら、美沙は「うーん」とうなった。


「だからって、龍之介に不満があるとかじゃないんだよ。もうちょっとだけ、大人になってほしいなって思うときはあるけど」


「そんなこと言ったら、綾香の方が大人じゃない。いろんな人と付き合って、経験豊富だし」


「だめだめ、あれはただ欲求不満なだけだよ」


 軽い笑いを交えながら、美沙は意地の悪いことを言った。


 綾香だって、同じグループにいる友達なのに。昨日の放課後、豪雨の時の排水管ぐらい男の愚痴を吐き出していた仲なのに。


「そうだね、綾香はちょっと遊びすぎなところもあるね」


 それでもわたしは、同調するしかない。女子のボスに。


「だよねー。あ、今日の夜電話していい? 綾香の新しい彼氏の性癖がやばい話聞いた?」


「聞いてない。なにそれ面白そう」


 ああ、興味がない。


「それは、夜のお楽しみ。それじゃあ、メグもがんばってね。メグは背が高くて顔も大人びてるんだから、先生にだってちょっと攻めたらいけるよ」


「うんありがと」


 閉じたリップでわたしの横腹をつつきながら、美沙はトイレから出ていった。わたしも、もう一度手を洗いなおして図書室へと戻る。鏡に映る自分じゃないみたいな笑顔に、少し辟易しながら。


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