1杯目
僕は毎日、人間をひとり殺めている。
しかし事件性はなく、警察も動かない。常に被害者は一人だけ。何度も殺している。そうしないと、僕が僕でいられない。
両親に対しての罪悪感は湧くが、それでも殺す以外の選択肢を僕は持っていない。
そういう性癖のように、繰り返し切り刻まずにはいられなかった。
右側にボタンの付いた襟の低い白シャツ。薄青いセーターの上にネイビーのダウンジャケットを羽織って、セーターよりも少し色の濃いデニムを履く。
髪はワックスで無造作に。マスクをしたら、僕は玄関から外に出る。
マスクをしていても、冬の乾いた棘が肌に刺さるような感じがする。
太陽は顔をだしているけれど、天辺を過ぎてもその温かさを届けてはくれない。
もっと寒くて雪に気に入られている地域では、お年寄りが道で滑って怪我をするらしい。あまり雪と縁のない地域に住んでいる僕だけれど、少し蟹股の大股で歩く。
新しく下したブラウンのブーツが遠くに飛んでいくような錯覚を楽しみながら、僕は駅を目指した。
学校は、期末試験が終わればすぐ冬休みに入る。進学先の希望が決まっている子や、意識の高い子は高二のこの時期よりも、もっと早く受験勉強を始めているらしい。
それなりの進学校として有名なうちの学校では、僕みたいに何も考えないで歩いている人間の方がマイノリティだろう。
マスクをもう少し上にあげて顔の隠れる面積を増やす。ICカード乗車券を改札にタッチすると、僕が改札を抜けるのを知っていたかのようなタイミングで電車のドアが開いた。
僕は、あまり人が乗っていない電車に乗り込む。今の僕が歩くスピードも、電車が到着する時間を把握した上でのスピードだ。こうして様々なことを意識して動かないと、今の僕は地元を動くことが出来ない。
繁華街とは反対方向にだいたい十分。四駅過ぎたところで、僕はやっと顔を覆う布を外すことができた。
僕が今流れている方向は、若者がどんどん少なくなっていく。同級生も「おじいちゃんの駅」なんて言うくらいだ。
僕は、おじいちゃんの駅の方へたっぷり十駅目まで乗ってから電車を降りた。変なライオンのキャラクターが描いてある古いカラオケボックスと、レジに列ができているのを見たことがないコンビニ。それくらいしかここの駅前にはない。
全国チェーンの居酒屋さんぐらいが、唯一若者らしさを感じる点だろうか。入り口には「ラストオーダー二十三時」と書いているけれど。
このあたりに同級生が住んでいるというのも聞いたことがない。けれど、そういうところが気に入っていた。
駅から五分ほど外れたところに、短い商店街がある。
声のでかいおじさんの居る八百屋さん。親子二代でやっているお肉屋さん。八時には閉まるたこ焼き屋さん。
接骨院。不動産屋。商店街をハンコで押したようなラインナップ。ほとんど地元の人しか来ないだろう。ここで生活が完成している。
ファーストフード店なんてできようものなら、一年ともたずに無くなりそうだ。
お年寄りは、どうもファーストフードというものに偏見を持っている気がする。
栄養がほとんどない。美味しくない。身体に悪い。なんて言葉をよく聞く。
そりゃあ、毎日食べていたら身体に悪いと思うけれど、それって、どんな食べ物でもそうだろう。
身体に悪いって言うのに、彼らは同じ喫茶店の同じオムライスを週に何度も食べる。「ここのオムライスは、特別美味い」って、オムライスで口の中を埋めながら言う。
けれども僕は、そんなお年寄りたちを大好きだと思える。
なんてくだらない考えを頭の中で巡らせていたら、目的地である喫茶店「土曜日のキッチン」に到着した。
商店街から小さな通りを二本逸れた場所にある土曜日のキッチンは、地元の人が絶賛するオムライスを出す喫茶店だ。扉を引くと、高い音がするベルが揺れた。
入り口のすぐ横では、マスターの趣味である多肉植物の中でもひときわ大きな子が行儀よく座っていた。
この時期は店内のいたるところに大小雑多な多肉植物の鉢植えが、いたるところから店内をのぞき見している。少し汗ばむくらいの春になると、店の前で整列してお客を呼び込みしている。
「おう、ユウキくん」
常連である万江頭おじいちゃんが、ウェイターの芳穂さんよりも早く僕に気付いた。入り口すぐのカウンターで、今日もオムライスを食べている。
「こんにちは万江頭おじいちゃん。今日は土曜日だから、いつもより豪華ですね」
万江頭おじいちゃんは、商店街で本屋さんをやっていた。
大学で経営を学んできた息子さんが経営に口出しするようになると、売上がどんどん上がった。
六十歳を期に息子さんに書店を譲り、今ではほとんど毎日土曜日のキッチンでオムライスを食べている。
土曜日のキッチンでは、毎週土曜日のランチメニューがすべてグレードアップするのだ。
オムライスは、普段はケチャップがかかっているのが、マスターお手製のグレイビーソースになる。
黄色い丘にかかったソースは濃厚に光って見え、お肉とワインの匂いを運んでくれる。なのに、食べてみれば優しくて重たくない。
オニオンスープもついて平日と同じ値段だから、万江頭おじいちゃんは毎週土曜日のランチタイムが終わるギリギリのじかんに、絶対オムライスを食べている。
丸く出ているお腹に向けて「痩せろ」と息子さんから言われているそうなのだが、これだけはやめられないらしい。