二話 奪われた翼
茶碗に盛られたご飯。小皿にそれぞれのせられた生卵に海苔、キュウリとカブのぬか漬け、軽く皮に焦げ目の付いた鮭の切り身。おお、これぞ日本の朝食。
漬け物は女神さまのお母さんがぬか床をかき回して漬けた自家製。海苔は国産のちょっと高くて良い物だ。鮭は知らね。
そして俺は今、味噌汁のなかにいる。
「いやー。このお味噌汁良い出汁とれてます。まさに母の味って感じですね」
「いやねえ翼さんたらお上手。でも、そのお味噌汁は出汁入りのお味噌を溶いただけよ」
「あっ、はい」
市販されてる母の味だったか。むう、慣れない事を言うんもんじゃあないな。
「ふふっ、翼さんはすっかり、我が家に溶け込みましたね」
そんな俺を見て、箸で器用にご飯を海苔で巻いて口に運んでいた女神さまが笑った。
「そうだな。ここへ来てもう一ヶ月も経つしな」
「でも、今日が最後ですね」
「そうだな……」
長いようであっと言う間だったな。思い残すこともやり残したこともあるけれど、もう、後戻りは出来ない。
おっと。なんだか食卓の空気が冷めてしまった。
そこで、女神さまのお父さんが、気を使ってくれたのか黙ってテレビのスイッチを入れる。
『さて、次のニュースです。本日未明、神奈川県横浜市にある国立超越科学技術病院が何者かに襲撃され──』
おやまあ、凄まじいニュースが飛び込んできたもんだ。病院が襲撃されるなんて女神さまの国は狂ってるな。
「あらやだ。これ近くじゃない。怖いわねえ」
「あっ、この病院私、知ってます。出飼さんの転生後の体はこの病院で作られているんですよ」
「ふーん」
転生後の体を作るのは工場じゃなくて病院なんだな。謎の液体の入ったカプセルで培養して作っていたりするのかな。
『──この病院では、転生者の体のオーダーメイドを手掛けており、本日出荷予定である転生体一体が盗まれていたとのことです』
「おいおい。まさか俺の体じゃあないだろうな」
「うーん。ちょうど今日届く予定でしたし、その可能性はありますね」
「もし俺の体だったらどうしよう。体が無きゃ転生できないじゃないか。お別れ会しちゃったし、寄せ書きだって貰っちゃったんだぜ? もう学園には戻れないぞ……」
「えっ? 心配するとこそこですか?」
「いや、一番大事なとこだろうよ」
貰ってみれば、寄せ書きってのは『翼さん。異世界に行っても頑張って下さい!』なんて、他愛ない一言でもぐっと来るもんだ。
「まあ、出飼さんの他にも転生待ちの人はいますし、今日は転生予定が数件入っていたハズでなので出飼さんの体とは限りませんよ」
「そうかあ?」
「そうですよ」
女神さまはそう言って、俺の前でプカプカと浮かぶ豆腐を箸でつまんで口にいれた。
考えても仕方がないか。盗まれていたら盗まれてたで、その時に考えれば良い。学園に戻らなくて済むことを祈ろう。
だが──。
「弥子ー。あんたの担任の先生から電話よー」
「あー。これはもしかしたらもしかするようですね」
「マジかー……」
頼む。他の奴の体であってくれ。
★
──しかし、現実は非情だった。
「ニュースは見たか? 出飼の転生体が盗まれた。これから病院へ向かって、詳しい話を聞きに行く」
ここは迎えに来た担任の車内。女神さまは助手席に座り、俺は女神さまの膝の上。シートベルト代わりの女神さまの両手に包まれている。
そんな俺に、窓に肘ついて片腕でハンドルを握る担任が、目の黒いところだけをこちらに向けて絶望を告げた。
「ってことは、やっぱり俺は学園に戻る事になるのか……」
「ん、なんだ暗い声を出して。出飼は女神学園が嫌いだったのか?」
「違いますよ。出飼さんはお別れを済ませてしまったので何となく学園に戻るのが気まずいそうです」
俺の心境を女神さまが語ってくれた。しかし、それを担任は鼻で笑う。
「ふっ。なんだそんな事か」
「いやいや、気持ちは大事だぞ? それにこう言う事件の話って生徒には詳しいことを伏せたりするんだろう? なんて説明すれば良いんだよ」
「その心配は恐らく不要だ。病院で詳しく話をしてからでないと確かな事は言えないが、お前はもう学園に戻る事はない」
担任はニヤリと笑い、続く言葉を勿体ぶった。
「何故ならお前は旅に出るからな」
「はっ? 話が繋がって無いぞ。なんで旅になんて出るんだよ」
「転生体はお前の体だろう? 男なら自分で取り返せ」
理不尽だ。
「いや、男とか関係なしに、そんなのは警察の仕事で俺がどうにかするような問題じゃないだろう」
「警察ではこの件は解決不可能だ。文化制限特区にアジトを構える奴らだからな」
「あー。それなら仕方が無いですね。翼さん。文化制限特区に警察は干渉できません」
それは俺も分かってる。割りきって自分でどうにかするとしよう。しかし、まだ疑問は残る。
「何で襲撃者に目星が付いているんだ? いくらなんでも情報が速すぎるだろう」
「それは簡単な話だ。ほら、病院が見えてきたぞ。“アレ”を見ればお前にも誰が襲撃したのか分かるだろう」
「そんな見ただけで分かるハズが……。ああ、成る程あいつらか」
その病院にはトラックが三台あり得ない角度で突き刺さっていた。
★
カッカッカッ。ガラガラガラガラガラ……。
俺の頭上を馬の腹が通りすぎ、更には馬車の底が通りすぎて行く。
怖いわあ。後数センチずれてたら、馬の蹄に潰されてペタンコじゃないか。
真ん中を歩かなきゃ良さそうな話だが、道の端を歩いても車輪の下敷きになりそうだし、道の外は雑草が生えているから無理だ。
雑草程度でも俺のサイズだとジャングルだからな。こうなれば道の真ん中を歩くしかない。無事に生きて目的地の街まで辿り着けるかは運次第か。
ん? 馬車がとまった? 何やら様子がおかしいな。
「ゴブリンだ。ゴブリンが出たぞー!」
なるほど、魔物に遭遇したのか。数は……。ひのふのみのよのいつむーななやのこのとー。ふむ。ざっと60体か。多いな。
対して馬車から出てきたのは五人の男女。これは大変そうだ。
でも、まあ頑張ってくれ。所詮は“冒険者ゴッコ”だ。俺が手を貸すのは違うだろう。
俺は素通りを決め込み、頭上を見上げ、ゴブリンや冒険者の足を避けて進む。
おー、おっかねえ。踏み込んだり、切り返す時の足ってのは力が入っているから、一撃粉砕間違い無しだわ。
でも、そんなのはもう慣れてる。こちとら学園で毎日巨大な足の下敷きになってきたんだ。どうって事はない。
サッ、ササッ、サササッ……。
「ん? 今、ネズミか何かが足元を通らなかったか?」
「おい。そんなところに気を取られている場合じゃないだろ! 後ろだ!」
「っと、危ない。すまん助かった」
そうそう。俺なんかに気を取られないでくれ。俺のせいで負けたとか言われても困るしな。
サッ、ササッ、サササッ……。
ふう、後ちょっとで戦闘範囲外に出られる。まあ、楽勝だな。
だが、馬車の横を通ろうとしたところで、ひょいと持ち上げられ何者かに捕まってしまった。
くそう、調子に乗って背後が疎かになっていたか。
「うおーい、何をする。俺はどっちの邪魔をする気もない。離しておくれ」
話の通じないゴブリンで無いことを祈り、お願いしてみた。
返事はない。どうやら命運尽きたようだ。俺の旅は開始30分で終わりか。
が、いつまで経っても何も起こらない。ふと首を捻って見上げれば、幼い女の子の顔。
「パパ……」
どうやら、この子のお父さんがゴブリンと戦っているようだ。今にも泣きそうな顔で戦いの様子を伺っている。
きっと、お父さんの負けるところなんて見たくは無いのだろうな。
俺も女の子のこんな顔は見たくない。
「だが、知らん。俺は先へ進む。だから離しておくれ!」