第壱話 「夕景の天気占い」
小説活動も本格化していくために、新規で小説用のプロットとして書き下ろした作品になります!
感想など、頂ければ幸いです。
◆◇◇
「あーした天気になぁーれ!」
僕の一歩前を歩く、彼女は近年では全く耳にすることすらなくなった台詞を楽しげに言うと、下駄の代わりに学校指定の革靴を右片っぽ、上に向けて蹴り捨てた。
夕日の光に一瞬行方をくらませた靴は、小さな音を立て、すぐに目の前へと転がった。
その靴を彼女は片足を上げ、ぴょんぴょんと跳ねながら取りに行く。
「明日は、晴れだってよ!」
下駄と違い平面でないために、綺麗に裏返ることなんか滅多になく、晴れか曇りくらいにしかならない天気予報占いの結果を誇らしげに彼女は告げた。
僕はスマホを取り出して「明日は、雨だよ」と言うと、彼女は「も〜、つまらないなぁ〜と」眉間にシワを寄せた。
◇◆◇
彼女なんて言い方をしているが、只の小学校からの同級生に過ぎない。単なる仲の良き友達だ。
巫 雛、彼女の名前だ。どちらかと言えば元気で明るく、何事にも積極性のある彼女の性格は、クラスで委員長を務めているだけはある。ただ、頭は良いにも関わらず、運動神経が壊滅的な面が彼女の弱みでもある。完璧な人間はいないと言う良い例なのかもしれない。探せば何処にでもいるような、そんな女子中学生である。
そんな彼女とは対照的とも言えるのが、この僕、春夏秋冬 柚季だ。
どちらかと言えば静かで暗く、何事にも無関心の僕は、クラスでこれと言って目立ちもしない幽霊のような奴だ。頭も良くも悪くもなく、運動も出来ないわけではない。特徴がないのが僕の特徴なのだ。
特徴的なことと言えば、名前くらいだろうか。春夏秋冬だなんて、幽霊苗字とされているほどのレアものなわけだし。
「柚季は、本当にノリが悪いよね〜、だから友達が少ないんだよ」と彼女は、靴をトンと履き、後ろの方で手を組みながら、一歩、また一歩と先を歩く。
余計なお世話だ。友達は雛以外にも、いるにはいる。二人もな。
立ち止まった彼女は振り返りざまに「私くらいなんだからね〜、こんなひねくれた男の子と仲良くしてあげてるのは。感謝すること!」と眉間に今度は笑いジワを寄せ、言った。
僕は押して歩く自転車のベルを彼女に向けて鳴らし、「感謝してますとも、こんな僕と仲良くしてくれてありがとうこざいます」と嫌味混じりに言い、立ち止まったままの彼女をてくてくと追い越した。
「もう!本当、愛想なんだから」
河川敷を歩く僕と雛の右肩を、紅く染まった夕日が照らす。それに照らされた川もまた紅く染まり、真っ赤な世界が僕達を鮮やかに包み込む。僕と、彼女はしばらくそんな夕日に見惚れたまま、ゆっくりと歩いて行く。
こんな僕と雛が出会ったのは小学五年生の頃だった。
隣の席になったのをキッカケに、何も話さない僕に耐えられなくなったのか、次々と話かけてくるようになった彼女の積極性に負け、自然と打ち解けたのだ。
第一印象としては、話し続けるさまを、泳いでいないと死んでしまうマグロに例え、僕はマグロ委員長、と勝手に内心では呼ぶほどお喋りな奴だとばかり思っていた。
けれども、今でこそやたらお喋りなわけでもない。当時は隣の席の僕が無口過ぎて、余計に言葉を見つけては、ひたすら口を動かしていたのだろう。口数は多いのだけども。
「ねぇ、柚季?もしも、私と柚季があの時、出会っていなかったらさ。今こうして二人で歩いていることもなかったんだよね」
いきなり、意味不明なことを言い出す雛に対して「何だよ、唐突に。」僕はそう言うしかなかった。
「いや、なんでもない!」
何でもないのに口から出てくる言葉じゃないだろう。僕は心の中で、つっこんだ。
今思えばこの時の僕は、察し能力に欠けていた。
「ほら!早くしないと日も暮れちゃうし自転車乗せて行ってよ!」
押し歩く自転車がふと重くなった。
「お、おい。倒れるだろ!いきなりまたがるなよ……」
「あら、ゴメンゴメン。そっか、ほら!先に柚子がサドルにまたがってくれなきゃね」
そういう問題じゃないのだが。二人乗りは苦手だ。軟弱で針金のような細身な僕には、女の子一人として後ろに乗っけてやれるか心配なところだ。雛でさえ自転車の後ろに乗せたことはなかったのだ。
しかし、それはあくまでこの〝時間〟におけるものである。
「なんで、また二人乗りなんか?」
僕の問いかけに「だって見ての通り私、自転車ないでしょ?それに、七時から塾なんだよね。急いで帰らなきゃなんだよ」二人乗りを予めするつもりでいたかのような軽い口ぶりだった。
雛も自転車通学なのだが、話を聞くと昨日の塾帰りに自転車をパンクさせてしまったようで、今日は少々早起きして登校したのだと言う。面倒なので、雛が自転車に乗っていない理由なんか聞きもしなかったのだ。と、言うかそれは、ずっと前に聞いた話でもあった。
「しっかりつかまった?」
僕の呼びかけに雛は、「ばっちりだよ!」と言って僕の脇腹に手をがっちりと添えて、前傾姿勢をとり、僕にひっついた。
側からみたら、普通に彼氏彼女に見えてもおかしくなさそうだな。なんてことを不覚にも思ってしまった。
「それじゃぁ、漕ぐぞ。」
「おうよ!」
なんだ、その返事。
僕は、ペダルに右足を乗せて左足を地から話すとすぐ様、同様にペダルに足を乗せて、そのままゆっくりと漕ぎ出した。
「なんだ〜、二人乗り出来るじゃん!柚季」
「ほ、本当だ。意外と大丈夫そうだ。」
もう慣れたものだ。後ろに雛を乗せ、僕は全く臆することなく、むしろ後ろを振り返れるほどの余裕と共に、河川敷のそばをゆっくりと走った。
ただ、その余裕に反し、足元は飲み過ぎた酔っ払いのようにおぼつかなかった。正直、かっこは付いていないだろう。もし、自分がもう一人いて、この光景を目の当たりにしたら、女の子を乗せているにも関わらず、カッコのつかないその姿を見て、とんでもなく恥ずかしく思うだろう。こればかりは相変わらずどうしようも出来ていない。
「柚季、意外とバランス感覚あるんだね〜!でも、油断して転ばないでよ〜、怪我はしたくないんだから!」
雛はとても楽しそうに言った。その声に対して僕も「転ばないように気をつけてます!」自分でも良い意味で予想外な声色が出た。この反応が出来たのは、この時が初めてで、今回こそは、乗り越えられる自身があったからでもある。
如何にも「青春とはこのことなんだろう」と染まる夕日、肌を撫でる柔らかい風と背中から伝わる雛の温もりが、僕にそう感じさせた。
そして同時に僕は、これが〝成功ルート〟であることを願った。
だだ只僕は、自転車を漕ぐ。河川敷を抜けて、人気の少ない道路へと出る。脇には先程まで走っていた河川敷を塞ぐように長い壁が道路に沿って続く。堤防の前を通る橋を渡り、坂を下る。雛を乗せて、僕は勢いが出すぎないようにブレーキを握りながら、ペダルから足を離してバランスを取るように、ゆっくりと坂を下って行った。
坂を下り終えると、日も同時に落ち、辺りは先程までの鮮やかな紅色の世界から一転して、真っ暗な世界へと変わった。
越えられた……。
僕は、内心喜び、心の中でさえ静かなガッツポーズをしていた。
「今日は、月が綺麗だね」
雛は、呟いた。
「あぁ、綺麗だね。よく見えるよ」
ここまで来ると、自身の喜びで一杯なため、声色こそ抑揚が有り余ってはいたが、心がこもっていないように感じたようで「本当に思ってる〜?」なんて雛に言われてしまった。
草木の多い小道に入ると辺りからは、鈴虫やらコオロギやらの虫の音が色んな方向から聞こえ、小道を走る僕達をまるで迎えているかのようにさえ思えた。
「秋だね〜」
「まだ、九月だ。もう、二十日だってのに暑くてしょうがないよ」
「柚季って本当、私の言うこと何一つ肯定しないよね……!全く、何処ぞの皇帝なのだか」
「上手いこと言ったとは言えないぞ」
「はいはい」
そんな会話をしているうちに、雛の家に着く。
「ちょうど六時半か。塾には間に合いそうだわ、ありがとね!」
雛は満面の笑みで僕にお礼を言った。
僕は「いや、こんくらい別に」と、大層、無愛想に返していた。
「それじゃ、また明日学校でね!柚季」
雛は、そう言いながら 肩くらいの髪を揺らしながら、手を振った。
「うん、また明日」僕もそう言い返しながら自転車にまたがり、手を振った。
「また明日、か。」
今度こそ、このまま終わってくれることを、僕はただ願った。
雛が家に入るのを見届けてから、僕は再び自転車を漕ぎ出した。
さっきまでとは、違い足取りはるかに軽かった。「自転車ってこんなに楽な乗り物だったのか」勝手に口がそう呟いていた。
来た道を戻り、僕は先程の小道にまたやって来た。
鳴いていた鈴虫やらコオロギの声はキョトンと消え、その小道は静寂に包まれていた。
自転車を漕ぐ音がやたら大きく感じ、全く気にもしたことなかったペダルを漕ぐたびに使い古したその自転車からは鳴るカチャカチャと言うチェーンの音がこの時ばかりは、やけに耳障りだった。
「一人だと、こうも心細いとは……」
虫の音もなくなったこの小道を一人で通ると言うことは、思っていた以上に寂しいものだったとは。
今日において、一人でここを通るのは初めてだった。
そして、五十メートル程で小道を抜ける所まで進んだ矢先だった。
視界が、眩む。
「ま、まずい……」
口にした時にはすでに遅かった。僕は、バランスを取れなくなり、自転車に乗ったまま倒れこんでしまう。
静寂な小道にガシャンと言う音が響く。
体中が痛む。視界は相変わらずぼやけ、自分の手の形を認識するのもやっとだった。
失敗した。
僕は、何処かで間違えた。
「嘘……だろ。雛を家まで、ようやく、無事に送れたんだ……。何でだよ……これもまた、違うって言うのか……?」
今度は、意識も朦朧とし始めて来た。
「また、ダメだったんだ〜。本当、いつになったら『成功』出来るのやら。」
朦朧とする意識の中で、何十回、いや、何百回と聞き慣れ、聞き飽きた声が僕には不協和音でしかなかった。
「約束は守って貰わないと困るんだよね。私だって暇じゃないんだからさ。」
「何が、何が間違ってたんだ……よ 。ちゃんと雛を……。雛を、見送った後……なのか?」
僕は、薄れ行く意識の中で必死に言葉を発した。
「なんだと思う? 何が間違ってたんだと思う?ようやく柚季は、夕日の河川敷を抜けて雛を家に送り届けられたよううだったけど——」
知るかよ。とうとう声に出すことも出来ずに僕は、そっとその場で、息絶えたのだった。
「油断していたでしょ? 柚季。あの場を乗り越えただけがゴールじゃないんだよ。約束は守って貰わなくちゃ。」
◇◇◆
カーテン越しに夏にも近しい程の日差しが僕の目に朝を知らせた。
「おはようございます。時刻は七時。九月二十日の最新の天気予報です。」
オンタイマーで電源の入ったテレビが今日の日付を教えてくれた。
「今日は晴れだったな。雛」
——三十二回目の今日がやって来たのだ。