表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

96/121

096:壁に耳あり、障子に目あり

 マリーナの部屋の扉の僅かな隙間に差し入れられる手紙の内容は、彼女の母親であるエリザベス・イヴァンジェリン・ルラローザの『罪』を糾弾するものだった。

 それは二つのことを示唆していた。

 一つはアルバートの小姓・ジョン・グリーンが、エリザベス・イヴァンジェリンの娘のマリーナ・キールだと知っていると仄めかしていること。

 二つ目は、エリザベス・イヴァンジェリンがかつて犯し、そして、誰にも知られるはずのない『罪』を知っていると脅すことだった。


「あのことを知っているということは……それこそ、例の一件の片棒を担いだ人間しかいないではないか」


「ですから”ベルトカーンの烏”だと。でなければ、殿下……以外しかおられませんが」


「あ……そうか」


 『夕凪邸』の焼け跡から見つかったエリザベス・イヴァンジェリンの残した本に書かれた『物語』を読んだのは、アルバートとマリーナ・キールだけだからだ。

 そうなるとジョンが知っているのは不自然なことだったが、もはや、マリーナがジョンであることは、二人の中で暗黙の了解に昇格していた。


「それで”ベルトカーンの烏”はなんと?」


「まだ何も」


 ただ、”花麗国”で多くの罪なき人々が殺されていることも、エンブレア王国もまたいずれ破滅の道を歩むのも、全てはエリザベス・イヴァンジェリンのせいだと言わんばかりの書きようだった。 


「辛いだろうけれども、気に病んではいけないよ。

母親の犯した『罪』が子どものせいになるのならば、トーマスを殺したのは私になるだろう。

それは違うだろう?」


「でも……」


 でも、そうではないのだ。


「他の人はそう思いません」


「他人の目が気になる?」


 王妃のように? とアルバートは不安になった。

 確かに、マリーナになんの咎がなくても、母親のことを”ベルトカーンの烏”の手腕でもって吹聴されれば、彼女の立場は悪くなる可能性が高い。


「そうであっても、私は今回のこと無事に済んだら、マリーナ・キール嬢を妻にと望んでいる」


「――っ!」


 真面目な顔で王太子に、面と向かって求婚された。

 嬉しくない娘はいないだろう。

 なのにマリーナは悲しくて泣きたくなった。


「もしもマリーナ・キール嬢が、母親の問題で王太子妃になれないというのならば、やはり私が王太子位を降りよう。

そうすれば、私と結婚してくれるかな? いや、王太子ではない私に、ついてきてくれるだろうか?」


「そんな――!」


 驚いて、マリーナの涙が引っ込んだ。

 

「そうだな。私が”王太子妃”にと望んで求婚したというのに、勝手な言い草だね」


「そうではありません! 先ほどもおっしゃったではないですか!

”ベルトカーンの烏”……ブルクハルトの望み通りにはならないと。私も、そんな殿下は見たくありません」


「ならば――」


 アルバートは意を得たと微笑む。


「君も、マリーナ・キール嬢も、あの男の思う壺になってはいけない。

”ベルトカーンの烏”はあらゆる人間の心を弄び、意のままにするのを得意としているようだが、それに操られてはいけないよ。

それこそが、奴に打ち勝つことなのだから」


 「はい」とマリーナは答えた。

 毎日のように届く手紙にマリーナが追い詰められていたことは確かだった。最初は「大したことはない」「こんなのただの脅しだ」「殿下を煩わせるようなことではない」と否定していたが、”ベルトカーンの烏”の人心掌握術は巧みで、徐々に彼女の心は蝕まれていたようだ。


「殿下にお話し出来て良かったです」


 ふっと表情を和らげたマリーナに、アルバートは今度は自分が正しい対応をとったのだと自負し、その笑みに満足した。


「私も……あの本を読んでいて良かった。

こうして、君の相談にのれたのだからね」


 無意識なのか、アルバートは片目を瞑ってみせたので、マリーナは椅子から立ち上がれなくなった。

 手紙の禍々しさよりも、アルバートの妖艶さの方が、危険だ。


「にしても、こんな手紙がジョンの部屋に投げ込まれるようでは、ここ近辺の警備も、もはや信用は出来ないようだ」


 だからこそ、マリーナがアルバートの不用意な発言を注意したのだ。


「ですからどうかお気をつけて下さい。

どんな邪推をされるか分かりません」


「そうだね」


 マリーナの心配にアルバートが答えたと思いきや、彼は全く違うことを考えていた。


「君はもう、ここには居ない方が安全だと思う。

ねぇ、ジョン。もう”マリーナ・キール嬢”の元へお帰り」


「”ジョン”ではお役に立てませんか?」


 震える手を、ぎゅっと握りしめた。その上から、アルバートがそっと手を添えたので、震えは止まるどころか、ますます酷くなった。


「いいや。私も君に居て欲しい。

そのせいでずるずると君をここに引き留めてしまった。

が、事情は急速に変わり、私の身の上も危うくなった。

分かって欲しい。君は側にいてもいなくても――私の役に立つ存在だよ」


 とは言え、マリーナがすぐに王宮から退出することも難しくなっていた。

 そこで、ストークナー公爵夫人の力を借りることにする。この混乱する王宮で、彼女とニミル公爵夫人だけが、いつもと変りなく、派閥を問わずに様々な人の間を行き来することが出来た。

 それまでは、マリーナは出来るだけ大人しく王宮に留まることになった。



***



 ついに翌日、ストークナー公爵夫人の手引きで王宮から脱出するという日。

 アルバートはただ彼の自尊心を傷つけられるだけの会合に呼び出された。王も、ブルクハルト大使も同席することから、マリーナは置いて行かれることになった。

 自室に籠って、寝台の下に隠した母親の本を開く。これごと持っていくのは難しそうだ。かと言って、ここに置いておくのも危険で不安だ。

 そこで、手紙開封用の小刀で、該当部分だけ綺麗に切り取り、小さく畳み、新しい紙に包んで胸元にしまった。いっそ燃やした方がいいのかもしれないが、その決心がつかなかった。


「いろんなものが隠せるのね、ここ」


 わざと明るく、ぽんぽん、と胸を叩いて言った。

 皮の紐を辿って、鯨の歯の彫刻を引っ張りだすが、お目当ては、そちらではなく、付随している王太子のボタンだ。


「殿下、大丈夫かしら――」


 しばらく眺めていると、またもや扉の隙間から、手紙が差し入れられた。


「もう!」


 マリーナは立ち上がって、扉の元に向かった。犯人を捕まえようなんてこと、思ってはいなかった。扉を開けた瞬間、ブルクハルトの手の者に入り込まれてしまう恐れがあるからだ。

 それでも気になるので、扉に耳を付けて様子を伺うと、今日に限って、向こう側が騒がしい。

 誰かが言い争いをしているようだ。


 恐る恐る扉を薄く開けると、ロバートが王宮の下働きの女を一人、捕まえていた。


「ここは王太子殿下のおわす場所だぞ。お前の様な身分のものはおいそれと近づいてはならん場所だ」


 女は「知らなかった」「迷い込んだ」「勘弁して欲しい」とロバートに平謝りをして、その場を逃れていった。

 おそらく手紙を差し入れたのは彼女だろうが、その内容も意味も、知らないに違いない。マリーナは彼女を追ったりはしなかった。代わりにロバートに顔を見せた。


「ロバートさま」


 王妃への不義密通の噂のせいで、ロバートは参っているらしい。目が落ちくぼんで、瞳ばかりが爛々と光っていた。


 ――狂気めいている。これが本当の狂気なのかもしれない。


 そうマリーナが思うほどだ。ただし、”ジョン”へのロバートの対応は、親しげだった。まだ”仲間”だと信じているのだ。


「おお、ジョンか」


「ご機嫌いかがですか?」


「良い訳なかろう。

私のせいで、王妃さまにあらぬ疑いがかけれてしまった。

なんとお詫びして良いのか分からない。

王妃さまは私に会って下さらない。ああ、王妃さまはお優しい方だから、私に迷惑を掛けないようにして下さっているに違いない。

アルバート殿下も私を遠ざける。それも仕方がない。大事なお母上の、あのような失礼な噂の相手となってしまったのだ」


 ロバートは一気に話した後、顔を覆った。


「アルバート殿下はおられるか?」


「いいえ。今はおられません」


 確かに警備は手薄になったようだ。こんな状態のロバートがアルバートの居室の近くに入り込んでも、誰も制止しないとは。


「そうか……最後にお会いしたかった」


「最後? どういうことですか?」


「このようなことになった以上、私はアルバート殿下の側近を辞そうと思う」


「そうですか……ハンナさまも王妃さまの側を――」


 マリーナが最後まで言う前に、ロバートの怒りの籠った拳が、廊下の壁を打った。


「ロバートさま……」


 マリーナはうろたえて見せたが、ハンナが王妃の完全な味方ではなかったことは、庭師のジョンによって報告済みだった。

 ハンナも”ベルトカーンの烏”と通じていた。彼女は息子の噂の責任を取ると言う口実で王宮を下がったのだが、それ以降、王妃の噂はいやまして酷くなった。ハンナが裏で吹聴しているのだ。

 それを息子も知ってしまったのだろう。


「私はあの女とは違う!」


「ハンナさまはどこにおられるのですか?」


 王妃の元女官長は行方をくらませていた。


「知らん! 私が知りたい! そしてあの口を封じてやりたい!」


 これ以上は、ロバートから得られる情報はなさそうだった。母親の名前だけで尋常ではないほどの反応をしているのも、マリーナには恐ろしく見えた。


「申し訳ありません」


「……お前が謝ることではない」


 大きな図体なのに、雨に濡れた子犬のようにしょんぼりするロバートだった。


「謝らなければならんのは私だ。どうかアルバート殿下に詫びて欲しい。

私は決して、王妃さまにもアルバート殿下にも反意はないのだ」


「……はい。分かります」


 ただし、その忠誠は時に、悪意よりも厄介だというだけだ。

 ロバートはマリーナの口には出さなかった言葉は勿論、聞こえない。ただ、自分の忠誠心を認めてくれる相手に会えて喜んだ。


「お前も分かってくれるのだな。

ならば、頼まれて欲しい」


「私が? ですが、私のような者は何も力はありません」


 アルバートが不在の折りに、またもやロバートに振り回されてはいけない。

 警戒するマリーナに、ロバートは優しく……おそらく、それが彼本来持っている性格なのだろう……とても優しく言った。


「大丈夫だ。難しいことは頼まん。

ただ、お前は良い小姓だ。あの親切なニミル公爵夫人にも可愛がられている。

どうかニミル公爵夫人に私が感謝していたと伝えて欲しいのだ。

公爵夫人のおかげで、王妃さまは私との疑いを払拭することが出来たのだ」


 それくらいならば、話しても構わないような気がしたマリーナだったが、明言は避けた。


「もしも今度お会いして、そのようなお話をすることが出来ましたならば」


 「それで良い。公爵夫人のような立派なお方を、私たちのような人間が煩わせてはいけないからな」と、ロバートは寛大に微笑んだ。

 ロバートの大きな手がマリーナの小さな手を握った。


「お前はもう少し、食べた方がいいぞ。

こんな細い腕では、アルバート殿下を守りきれないだろう。

ああ、ジョン。どうかアルバート殿下を頼んだぞ」


 最後に、マリーナに「ありがとう」と言うと、ロバートは王宮から姿を消した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ