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婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


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91/121

091:一馬の奔る、一毛の動かざるは無し

 マリーナたちが王宮に到着すると、閣僚や上位貴族たちが一所に集まっていた。神聖イルタリア帝国の大使は、離れた所で厳格な顔をしていた。

 チェレグド公爵もすでに参上している。着ている海軍の軍服が、少しばかり草臥れているのを見ると、屋敷には戻ってはいないようだ。

 その隣には、平服のストークナー公爵がいる。彼はチェレグド公爵邸を訪ねに行く予定だったのを、途中で方向転換し、急ぎ、王宮にやって来たと思われる。

 つまりトーマスの件はまだ、伝わっていない。

 

 王太子によるチェレグド公爵の尋問は短く済んだ。

 有能なる海軍大臣は澱みなく神聖イルタリア帝国籍の船を臨検し、船員を拘束、積み荷を没収した理由について説明した。


「確かな筋からの情報で、あのマダム・メイヤーが”花麗国”の革命派に武器を送る日付と方法を入手しました。

それが一昨日の夜だったので、急ぎ対策を取りました。

事後承諾となったこと、誠に申し訳なく思いますが、時間もなく、事が事だけに、奇襲する必要がありました」


 チェレグド公爵の手には、なぜか真っ二つに破れた手紙があった。


 『私、見たんです。マダム・メイヤーが”花麗国”の革命派? の人たちに指示をしている手紙を。お金も送っているみたい。武器もよ』

 マダム・メイヤーも男も、ミリアムの酷い発音の”花麗国”語を聞いて、てっきり彼女は話せないと思い込んだ。それはある意味、正しく、ミリアムは子どもの頃、エリザベス・イヴァンジェリンより教えられた発音をすっかり鈍らせてしまっていた。元から難しいとされる”花麗国”語の発音だ。話すことをしなくなれば、どんどんと劣化していく。マダム・メイヤーの集いで”花麗国”語の会話が始めると、ミリアムが曖昧な笑顔と相槌だけで乗り切ろうとしたのはそのせいだ。それに、”聞く”方も、ほとんど出来ない。

 では、読む方は、と言えば、これは実に達者だった。

 彼女は”花麗国”の文化に憧れ、雑誌だけでなく、書物も読んでいた。美しい詩を書き写して、悦に入ることもあった。

 だからマダム・メイヤーの手紙を読んで瞬時に内容を理解出来た。

 『危険な真似をしたことについては、注意をしなければならないだろうが、とても為になる情報をありがとう。私も君にマダム・メイヤーの危険性を教えなかったことを詫びなければならない』

 チェレグド公爵はミリアムの語学力と、見つかった時の咄嗟の対応に舌を巻いた。美しいだけでなく、賢い娘だった。さすが、あのジョアン・ウォーナー艦長の妹だけはある。おまけに、ちゃんと証拠まで隠して持ってきた。真っ二つだったが、読むのには問題ない。

 

 証拠があるかないかで、説得力は段違いだ。


「イルタリア大使にも話を通さずに、お詫び申し上げます」


 その手紙を見せ謝ると、厳格なる皇帝を戴く神聖イルタリア帝国の大使も、それであっさりと引き下がった。彼は事情さえ納得出来れば、大ごとにするつもりはなかったのだ。ましてや、その事情が”花麗国”の革命派に益することだったと聞けば、話は変わる。


「我がイルタリアの船がそのようなことに使われたのは、誠に遺憾です。

船員の誰かが、鼻薬を嗅がされてそんなことに手を染めたのだろうが、イルタリアの民として恥ずかしい限りだ。

彼らのことは、エンブレアの法に則り、厳格に取り調べて構いません」


「深い思し召し、感謝いたします」


「しかし……このマダム・メイヤーとやらを捕え損ねたのは失態ですな。彼女は確か、エンブレア王国でも名の知れた服飾家でしたね。

確か顧客には王妃さまも……」



「王妃さまはご関係ありません!」



 突如、筆頭公爵と大使の会話に割り込んで来た王太子の従者に、周囲はぎょっとしたような顔になる。

 アルバートは片手を上げ、ロバートを制すると、大使に無礼を詫びた。


「いいえ、エンブレアの王妃さまに対し、私こそ、失礼な物言いをいたしました」


 イルタリア大使も謝罪したが、その件に関しては、納得していないようだ。

 実際、王妃の服は”花麗国”の、それも革命派が好むものだったからだ。王妃派の貴族たちは、妻たちの服装を思い出し、冷や汗をかく。


「手紙を読ませて頂きましたが、この様子では過去に何度も”花麗国”の革命派に武器と資金が渡ったようですね」


 他国の王妃の始末に関して大使は拘らないにしろ、”花麗国”のこととなると話は別である。エンブレア王国内に”花麗国”の革命派に通じる者がいれば、それは処理して貰わねばならない。

 チェレグド公爵が進み出た。


「はい。

以前、我が海軍が武器を密輸しようとしていた船を摘発して以来、我々も警備を特に厳重にしていました」


「エンブレアの船の取り調べが厳しくなったので、今度はイルタリアを使ったのだろう。

忌々しい話だ」

 

 崇高にして高潔、大陸の優等生と称せられる神聖イルタリア帝国にとって、自国のものを悪事に使われるのは忌むべきことだった。


「しかもその武器で、ヴァイオレットさまを苦しめることになろうとは」


 こうなるのならば、我が国の皇太后さまを”花麗国”に嫁がせることに同意しなければ良かった。

 大使の視線はそう、エンブレア王国の人間を責めるように見据えた。

 アルバートが「ヴァイオレット妃救出の件につきましては、すでに手配済です」と言うと、大使は「こちらも艦を出しております。ヴァイオレットさまは我が国の皇太后陛下であらせられたお方。我が国が保護します」と返した。


 その話に、「あっ……」と、マリーナは声を上げそうになり、押し込んだ。ストークナー公爵がそれとなく視線を送る。

 チェレグド公爵はそんな二人に、何かを感じ取ったようだが、これまた口に出さなかった。


「そちらの海軍は、どうやらベルトカーン王国との戦端を開いてしまったようですね。こうなったら――」


 大使が話始めた時、俄かに周囲が騒ぎ出した。


「どうした?」


 王太子の問に、侍従の一人が慌てて言上した。「国王陛下の御成りです」


「陛下が……!」


 アルバートは慌てて立ち上がり、席を譲ろうとして、固まりかけた。

 王と一緒に、ベルトカーン王国大使・カール・ブルクハルトが入って来たからだ。相変わらず襟の高い、黒尽くめの服装をしている。

 イルタリアの大使は無表情を取り繕ったが、内心、憤慨していた。

 王太子は話が分かるが、王は話にならない。かつては精力的だったかもしれないが、今はもう、すっかり怠惰な王だ。昨晩の酒が残っているのかもしれない。いやに顔が紅潮し、声が大きい。


「皆のもの、揃っておるな!」


 神聖イルタリア帝国の大使を除いた全員が、恭順の意を示した。

 それを満足そうに見回したあと、王は宣言する。


「ヴァイオレットをベルトカーン国王に嫁がせるぞ!」


「……! お待ちください、陛下」


 アルバートは固まることなく、冷静に父王に対応した。反対に、王は息子の反応に不服そうに鼻を鳴らした。


「異論があると?」


「いいえ。突然のことで、事情が見えませんので、説明をして下さると……我々、愚かな臣民も王のお気持ちを一層、理解出来るかと」


 あくまで遜る王太子に、王は機嫌を直したが、マリーナは不愉快になった。ブルクハルト大使がうっすらと笑ったようなのも気に障る。が、その視線がマリーナに向くと、慌てて下を向く。

 ストークナー公爵が気を利かせて、彼女の前に立ち、兄王に質問する。


「私も陛下のお心をお聞きしたいです。

ヴァイオレット妃はご無事なのですか?」


「ベルトカーン王国により、保護されたそうだ!」


 イルタリア大使の顔が青ざめた。よりにもよってヴァイオレット妃がベルトカーンの手に落ちるとは。人質にされたら、イルタリアは手が出せない。


「それは誠でございますか?

いえ、姉が知りましたら喜ぶでしょうが、確証がなければ……ぬか喜びをさせるのは……可哀想です。

何分、子どもの生死にかかわることですので」


 ストークナー公爵はトーマスの件をちらつかせてみせた。王にとっても、後ろめたい話であった。

 冷や水を浴びやたような顔になったものの、それがまた不快の種にもなる。


「どうなのだ? ブルクハルト大使」


「私はそのようにお聞きしていますが、確かに無事なお姿を見ない限り、不安でしょう。

しかし、今はその術はありません。エンブレアにお届けする途中で、革命派に奪われる可能性もあり……我が軍は革命派に負けるものではありませんが、一部のエンブレア王国海軍も、我が艦隊に砲撃を仕掛けるような情勢では、海峡を越えるのは――どうか? と。

いずれにしろ、我が王はヴァイオレット妃とのご婚姻をご希望で、エンブレア国王もそれを承諾なさっているのですから、ベルトカーン軍が保護することに、何ら不都合はございませんでしょう」


 巧みにヴァイオレット妃の生死と居場所を明言しなかった。

 彼は本当は知らないのだ。ヴァイオレット妃がジョアン・ウォーナーが艦長を務める”ヴィヴィアン号”に乗っていることを、マリーナとストークナー公爵は知っていた。どうやら彼女を攫おうとした”海賊”はベルトカーンの手の者らしい。


「ヴァイオレット妃は”花麗国”の王妃陛下でいらっしゃる!

それを他国に嫁がせろとは、乱暴な話です」


 イルタリア大使が正論を吐く。「それとも、”花麗国”王はすでに……?」


「王の消息は存じません。が、いずれにしろ、”白い結婚”でしょう。離縁は可能です」


 それは若き王だったサイマイル王と幼いヴァイオレット妃、老齢のイルタリア皇帝と若いヴァイオレット妃にも言えたことだった。

 それこそ、王妃の望んだことだからだ。だが、今回の婚姻は、年頃の男女の者になるだろう。王妃との思惑とは全く異なることだ。

 王の協力を得た以上、もはや王妃は用済みという訳だ。 


「ベルトカーン王国と婚姻を結んで、我が国はどうしろと?」


 アルバートの質問に、王は苛立った。


「聞けば、我が海軍が勝手にベルトカーン王国に攻撃したと言うではないか!

私は認めていないぞ? 王太子が命じたのか? それは越権行為というものだ! まして一海軍艦長の判断ならば、重罪だぞ」


「海の上で行き会えば、血気盛んな海軍の連中です。偶発的なことも起きるでしょう。

我が国王はよくご存知で、理解しております。

尊敬するヴァイオレット妃を妃に出来れば、わだかまりもなくなると、寛大なお気持ちを示しているのです」


「そう言うことだ。

エンブレア王国はベルトカーン王国と組み、”花麗国”に平和を回復させる」


 イルタリア大使の前で、エンブレア王国とベルトカーン王国の同盟が為された。


「お待ちください、陛下! それはいけません!」


「黙れ痴れ者! 私に刃向う気か!」


 堪らず声を上げたアルバートに、王は手近にあったグラスを投げつけた。

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