083:親思う心にまさる親心
「これはあくまで私の推測なのですが……」とマリーナは切り出した。
ストークナー公爵夫人にもう一度、”トーマスの手紙”を見せてもらう。
「トーマスさまは生きているのですね」
それがマリーナが王宮に留まってでも知りたかった、気になることであった。
ふふふ、とストークナー公爵夫人は笑い、「私は一度も、嘘なんてついていないわよ」と言った。
「生きていらっしゃるのですね」
「……ええ、手紙をくれるわ」
トーマスが行方をくらました三年後、その手紙は突然、ストークナー公爵夫人にもたらされたという。
「ジョン・ガーデナーが持って来てくれたの」
「ジョン・ガーデナー?」
それはストークナー公爵夫人が最初に、”ジョン”に会った時に呼んだ名だ。しかし、今日、彼女は”ガーデナー”ではなく、ニミル公爵夫人が呼んだ”ブラウン”の方を使った。偽名である以上、どちらでも大して変わりはないようではあるが、ストークナー公爵夫人には大事なことだったようだ。
「そうよ、うちの庭師だった人よ。今はちょっと理由があって、ここを離れているけど」
「手紙が本物のトーマスさまが出したものと、ストークナー公爵夫人はどうしてお分かりに?」
「母親だもの、分かるわ」と答えた後、「嘘よ」と笑った。
正気であっても、ストークナー公爵夫人はどこか掴み所がなかった。
「あなたはいずれ、王太子妃になるのですものね、ならば教えても構わないでしょう。
エンブレア王国の王族には、ごく一部の人間にしか知らせない、署名を持っているの。紋章とか、名前とかは別で……”花押”と呼ばれているわ。
何かあった時、自分の身分を現すのに、それを使うのですって」
トーマスは王甥であったことから、その”花押”なるものを持っており、母親であるストークナー公爵夫人もその形を知っていた。
しかし、手紙は最初、ジョン・ガーデナー宛に送られてきた。彼は見知らぬ人間からいやに親しげな手紙を受け取り、困惑し、なにか手違いがあったのではないかと考えた。
「でも彼は気が付いたの。
手紙には三年前、トーマスがいなくなる前に自分が話したその年の園芸計画が事細かに書いてあることを。
それから私の大事な薔薇を折ってしまったこと。私には内緒にしていたのね。困った子」
トーマスとジョン・ガーデナーは身分と年齢を越えて仲良しだった。
「ジョン・ガーデナーはまさかと思いつつ、私に相談してくれた。それで分かったの――」
彼女の息子は生きていた。
彼は確かに誘拐されたが、殺されてはいなかった。身分を隠され、船に乗せられ、母親から離れた、遠い遠い南の海へと送られてしまったのだ。
そこから彼の苦労と冒険の日々が始まった。懸命に船員として働き、三年経って、初めて外界に連絡を取れるまでの信用を得た。
そこで母親に自分の無事を知らせようとしたが、彼は子どもながらに正確に自分の立場を把握していた。自分が生きていると知られる訳にはいかない。それでも、生きていることを母親には知らせたい。それでジョン・ガーデナーに自分の”花押”を書いた手紙を渡したのだ。
「この手紙を読んだ時、私、本当に気が狂うかと思った!」
その頃、ストークナー公爵夫人は屋敷に引きこもり、泣いてばかりいたが、正気ではあった。
「あの子は生きている!
大きな声で叫びたかった。だけど、それは出来ない。小さなトーマスですらそれを知っているのに、私がそんなこと、出来ない。
でもね……」
我慢出来なかったのだ。
夫であるストークナー公爵に言うと、彼は泣いて彼女を抱きしめた。夫人の精神が、ついに狂ってしまったと思ったのだ。
トーマスの”花押”を父親も知っているのだから、手紙を見せれば良かった。だが、ストークナー公爵夫人はそれをしなかった。
「本当のことを言っても、誰も信じない。
なら、外で言っても、誰も信じないのではないかと思って」
試しに、お茶会に出てみた。人形を持って、古い形のドレスを着て、大きな声で言った。「トーマスは海で大冒険をしているのよ!」
「誰もが私を憐れんだわ」
だからいくらでもストークナー公爵夫人は息子が生きていると大声で主張出来た。
「それにね、私の姿を見て、私の話を聞いた王妃の顔ときたら!」
見物だったわ。
マリーナはストークナー公爵夫人に狂気を見た。
この人は正気の時ほど、狂気じみている。
「嫌な女と思っているわね。意地悪な公爵令嬢ならぬ、意地悪な公爵夫人ね」
ふふふ、と笑った。
「それくらいは……」
マリーナは言いよどんだ。
殺された訳ではないものの、船に放り込まれ……手紙から類するに、南洋を廻る商船か捕鯨船のようだが、幼い身に粗末な食事と過酷な労働を課されたはずだ。それも公爵家に生まれ育った貴公子が、だ。
そして、その母親も長年、狂気を装うことでしか、正気を保てないという矛盾に置かれている。
今、そのどちら側にいるか、判然としないストークナー公爵夫人が手を振る。
「ああ、気にしないで。あなたに許してもらおうなんて思ってないから。
私は私の信念でやっているの」
「――申し訳ありません」
それにね――。
ストークナー公爵夫人は真剣な顔になった。
「私の前で、人は無防備になる」
「え……」
「何を言っても分からないと思って、心が緩むの。それで分かったこともあるわ」
「何をですか?」
「その前に、あなたが私に教えるのよ」
トーマスの手紙を指差されたマリーナは、己の仮定を披露することになった。




