076:木を見て森を見ず
マダム・メイヤーはエンブレア王国で王妃に近づいた。
そして、”花麗国”風の服装を流行らせた。服飾家はマダム・メイヤーの隠れ蓑であり、同時に資金集めの手段だった。
「最新流行の服装は、ごくごく簡素なもの。
宝飾品は野暮。
それを流行らせた結果、多くの貴族や金持ちたちが、身を飾っていた首飾りや指輪を外しました」
それらをマダム・メイヤーは手下を使って、安く買い集めた。
”花麗国”からの亡命貴族からも買い上げた。生活に困窮した、そうでなくても、将来を楽観視し、まだよく価値が分かっていない亡命貴族たちの足元を見て、安く、安く、買った。
「その金が、皮肉に、”花麗国”を併呑しようとするベルトカーンの軍資金になっているのですよ。
なので、適正価格で買い取るトイ商会を疎ましく思っていますよ」
トイ軍曹がしてやったりという顔をした。父親はムカつくが、商売の手腕は正道だった。
「ただ、不思議なことに、王妃だけは宝飾品を手放そうとしませんでしたね。
マダム・メイヤーは王妃の持っている国宝級の宝石こそ、欲していたと言うのに」
「王妃が?」
「ええ、殿下。
王妃さまは、マダム・メイヤーがいくら言葉巧みに宝石を巻き上げようとしても、決して首を縦に振りませんでした。
『これは陛下から頂いたものだから、絶対に手放さない』と、それはそれは頑なで、マダム・メイヤーも手の出しようがありません」
「そうか――」
今日、初めてアルバートは固まった。代わりにトイ軍曹が質問する。
「しかし、マダム・メイヤーはなぜ、王妃に接近を?
いや、流行の先導者としての王妃の役割は大きいが、どうにもこうにも、王妃と革命は相反する存在のような気がしてならん。
王妃は王権こそ絶対と信じる方だろうに。まさか革命派に染めようと思ってはないだろうな」
「そうなのです。
最初はマダム・メイヤーが革命派と知らず……本当は革命派を装ってるにすぎないベルトカーンの協力者ですが……とにかく、正体は伏せて、単純に服飾家として接し、情報を引き出しているのかと思ったのですが、どうも王妃はマダム・メイヤーの役割を知っているようで」
「積極的に”花麗国”の革命派に援助していると?」
「いや、ありえないだろう」とトイ軍曹の呟きが漏れた。それに、はっきりとした声が答えた。
「王妃もまた、ベルトカーンと好を通じているからだ」
「はぁ!?」」
王太子の前で、トイ軍曹は叫び、チェレグド公爵もアランも、マリーナもまた、俄かには信じられない面持ちで発言したアルバートを見つめた。
「王妃はベルトカーンと組んで、”花麗国”を滅ぼそうとしている」
「なぜですか?
うちの国、お宅の王妃にそこまで恨まれる筋合い、ありました?」
「ヴァイオレット妃がいる。
王妃は、ヴァイオレット妃が嫌いなのだ」
アランは黙った。
「”花麗国”の混乱に乗じて、ヴァイオレット妃を抹殺したいのだ。
エンブレア王国の王位継承権を主張しないように、その権利を継ぐ子を産まないように、自分よりも遥かに優れた王妃として、皆に誉め讃えら、比べられないように」
「それが理由? そんな目的で? ただそれだけで? 馬鹿じゃないのか!?」
思わず王妃を馬鹿呼ばわりしたチェレグド公爵に、アルバートは微笑んだ。
「そう、馬鹿なのだ。
チェレグド公爵。よく覚えておくといいよ。エンブレア王国の王妃は”馬鹿”だ」
マリーナは怖くなった。アルバートは母親を断罪する為に、何か大事なものを捨てようとしてはいないか。
「馬鹿だから、分からないのだ。
ベルトカーンに利用されていることを。
ベルトカーンはヴァイオレット妃を殺したりはしない。
ベルトカーン国王は、ヴァイオレット妃を妻にしようとしている」
「その方がベルトカーンには都合が良いですからね」
アランがはぁっと息を吐いた。
「人はいくら内輪揉めをしても、外敵には一致団結するものです。
ベルトカーンが”花麗国”を併呑なり、併合なり、とにかく、侵略すれば、今度は抵抗運動が起きますよ。
制圧は出来るでしょうが、ベルトカーン国王は自分が損を蒙ったり、犠牲を出すのはお嫌いだ。だからこその工作です。
支配を穏便に受け入れさせるには……やっぱりあのお姫さまだよなぁ」
「あのお姫さま?」
母親はサイマイル王国伯爵家出身の”花麗国”の王族にも連なる伯爵家の令息が、サイマイル王国に出向いた場合、その王宮に挨拶に行くことは考えられることである。神聖イルタリア帝国でも、粗末に扱われるはずがない。
マリーナはアランがどこかでヴァイオレットと顔を合わせたことがあると考えていた。しかし、この反応を見ると、ただの顔見知り程度ではなさそうだ。ただ、アランはそのことを隠したい様子でもあった。
「失礼。
ヴァイオレット妃ですが。
正式な”花麗国”の王妃であり、その身にも”花麗国”の王家の血が流れている。
彼女と結婚し、その間に出来た子をベルトカーン王国と”花麗国”両方の世継ぎにすると言えば、支持するものは多いでしょう。
なにしろ、現国王の病は篤く、いずれにしろ、どこからか王を持ってくるか、民主制や共和制とやらに移行するかしなければ、”花麗国”存続の道はないのですから。
ベルトカーン王国の王は、革命派は徹底的に根絶やしにするだろうから、ヴァイオレット妃を手に入れれば、ほぼ統治に不安はなくなるという寸法だね」
「――いくら野望の為とはいえ、私はご免だ」
ぼそりと、聞こえるか、聞こえないかの声量で、アランは付け加えた。
「そんなことも気が付かずに……」
「殿下!」
さらに王妃を下げようとしたアルバートに、マリーナはつい、声を掛けた。
マリーナのどこか怯えた表情に、アルバートも我に返った。
「ジョン……」
「少しお休みになって下さい。まだ熱があるというのに、もうずっとお話なさっています。
何か飲まれますか?」
「いいや、疲れてはいない。……ありがとう」
顔が赤い。
そんなアルバートに、チェレグド公爵も言わずにはいられなかった。
「先ほどの王妃に対する言動、失礼しました。撤回します。
王妃は馬鹿……愚かではありません。
真実、そうであっても、そう思ってはいけません」
「チェレグド公、私に気を遣うことはない」
「気なんか、使ってませんよ」
ぶっきらぼうな口調になる。
「いいですか、敵を大きく見すぎるのもいけませんが、小さく見るのも危険です。
王妃は確かに考え無しかもしれませんが、物を考えない人間ほど、時に思いもかけないことをするのです。
決して侮ってはいけませんよ」
「キール艦長も言っていました。敵の姿は正しく判断しなければならないと」
マリーナも言うと、チェレグド公爵はバツが悪そうになった。
「ええ、キール艦長から教わったことです」
「あ……そういう意味では」
「分かっているよ」
姪の慌て振りを、伯父は微笑ましく思った。
それを見ていたアルバートは、その関係を羨ましいと、嫉妬ではなく、純粋に思うに至った。
「キール艦長とは親しく言葉を交わしたことはないが、死してなお、様々なことを私に教えてくれる。
まるで――そう、”父親”のような存在に感じるね」
「……っ!」
アルバートがいきなり踏み込んで来た感じがしてマリーナは動揺した。
「そ、そうですか?」
「そうですね」
『なんだよ、その言葉遣い』
チェレグド公爵は、熱のせいで上気し、潤んだ瞳のくせに、純朴そうな青年のように微笑んで、姪を誘惑しようとしている王太子にこっそり、毒づいた。
アランはアランで、したり顔で王太子の傷をえぐった。
「人はおしなべて愚かなものなのですよ。
自らの愚かさを認めず、他者を見下していると、足元を救われます」
「お前が思いっ切り馬鹿だということが、自他共に認める事実なのは分かる」
「ええ、チェレグド公爵。私は自分が馬鹿なことをしているのは十分、承知の上ですよ」
『だからこそ、厄介そうな男だ』
チェレグド公爵は、改めてアランの評価をし直す必要があると考えた。彼は思った以上の情報を持っていた。マダム・メイヤーは彼を愚か者と思うあまり、油断していたのだ。
アルバートも、アランを味方につけておくことが、いかに今後の展開に大事であるかを悟った。
「心しよう」
愁傷に己を顧みた王太子に、チェレグド公爵は己の考えを述べた。
「王妃はベルトカーンが自分を謀っていることに、さすがに気づき始めているかもしれません。
何しろ、先日の会議で、王妃派の多くから、ベルトカーン国との協力案が出ました。
もっとよく話を聞くべきでしたが、私が台無しにしてしまいました。
申し訳ありません」
アルバートが激昂しかけた例の会議だ。そして、実際に激怒したのはチェレグド公爵で、王妃に捕らわれたマリーナを助ける為に席を外そうとした結果の芝居だった。多少の本音は含まれていたが……。
「どうかな?
……いや、王妃を侮っている訳ではない。ベルトカーンが送り込んでいる人間を評価しているのだ」
「ベルトカーンの工作員ですね」
チェレグド公爵がアランに「お前、知っているか?」と聞いた。
「おそらく”ベルトカーンの烏”と呼ばれる男ですよ。
おそろしく不吉な男らしいのですが、神出鬼没で正体が掴めません。
どうもマダム・メイヤーの元に出入りしている男の中にいるらしいのですが」
「王妃の寝室にも出入りしている」
マリーナの手前か、やや言い辛そうにアルバートが言う。
「そういう噂は聞いたことがありますが……本当なのですか?
殿下を疑っている訳ではありません」
トイ軍曹も遠慮がちだ。「ロバートの母親……女官長のハンナの元に、男が通っているという話は聞こえてきますが」
「そのどちらもだね」
部下の言葉を、アルバートは否定し、肯定した。
「”ベルトカーンの烏”はエンブレア王国の王妃も女官長も、”花麗国”の婦人も惑わす、大層、魅力的な人物のようだね」
「殿下ほどではないですよ」と、トイ軍曹は声に出そうになった。しかし、その前に、チェレグド公爵がアルバートの声音に違和感を抱いた旨を申し出た。
「殿下。失礼ながら、殿下は”ベルトカーンの烏”の正体をご存知で?」
「――まだ、なんとも言えない」
『隠し事かよ。水くせぇな……』とは、思ったものの、正解しか口にしない王太子である。思えば、アランへの尋問も、質問というよりは、何か答え合わせをしている風があった。
『満点回答ですか? にしたって、我らが王太子殿下は、どこから情報を手に入れているんだ?』
チェレグド公爵は、自分が上げた情報でもなく、アランも知らないような事実を抑えているアルバートに不安を抱く。
「殿下、くれぐれもお気をつけて。
何かあれば我々にご相談して下さい。でなければ、私どもの存在価値がありません」
そうきつめに言うと、アルバートは分かっているというように頷いて、”相談”をはじめた。
「さて、王妃、そして、ベルトカーンがどんな目論見をしているのかは知らないが、それを潰すには、とにもかくにも、こちらが先にヴァイオレット妃の身柄を抑える必要がある」
「そこは、保護とか救出とかいう言葉を使って下さい」
その言葉選びには、チェレグド公爵も声に出して注意出来た。アルバートは少し照れたような顔で、言い直した。
「ヴァイオレット妃を救い出し、ニミル公爵夫妻の元に無事に帰したい。
その件では、すでに私は海軍に命令を出したと思うが?」
「はっ」
海軍大臣としての自らをアルバートに主張する為に、チェレグド公爵は威厳たっぷりに返事をした。トイ軍曹の、もう遅ぇよ、という視線を華麗に受け流す。
もっとも、その態度に比して、内容は乏しかった。
「ウォーナー艦長に命令を送りましたが、成功の知らせは未だ届いてはおりません。
それどころか、定期連絡すらも無く、さっぱり行動が掴めなくなりました」
マリーナは俄かに緊張した。義兄の船が、まさかそんな状態になっていたとは。
アルバートも同じ思いだ。
「どういうことだ?
まさか――」
最悪の想像に、アルバートはマリーナを気遣って、言葉が続かない。
「分かりません」
同じ艦に息子が乗っているチェレグド公爵の顔色も悪い。しかし、そこは海軍大臣でもある身を奮い立たせる。
「ウィステリア伯……アークライト艦長の艦が近くに戻って来ていると報告を受けましたがいかがします?
王妃さまは周辺海域が荒れるのもお望みのようです。
ベルトカーン王国との戦端が開かれれば、アークライト艦長も安全の身ではなくなります」
王妃は、ニミル公爵夫妻の子どもたちを殺す為の戦争を起こしたくて仕方がないのだ。それが自分の身に降りかかるとは思っていない。もしくは、巧みにその事実から目を逸らされている。
「ウィステリア卿は妹を見捨てて安全な場所に籠れ、と言われても納得しないだろう」
「おっしゃる通りです。
そちらにも命令を下しましょう。
もし、ウォーナー艦長が任務に失敗していたとしても、そちらがあります。
ヴァイオレット妃の身柄がベルトカーン王国に渡ったとは聞いておりません。まだ、可能性は残されています」
「そうだね。
もしも王妃の手に落ちたとしたら、その一報は知れ渡るだろう。
王妃はヴァイオレット妃を、国に殉じた女性と、死後も讃えられることを望まない。
守るべき国も捨て、民も置き去りにして逃げた結果、暴徒の手によって無残に殺されたと喧伝するだろう。
そしてそれは王妃の責務を放棄した当然の報いと謗るだろう」
人の死すらも冒涜するような王妃の考えを、アルバートがなぞったことに、マリーナは胸を締め付けられた。その考えに至るまでの、それを受け入れなければならなかった彼の気持ちはいかなものだったろうか。
だが、アランは思いもかけない感想を述べた。
「案外そうかもしれませんよ。
あのお姫さま、逃げてるかも」
「逃げただと!?」
あの崇高なるヴァイオレット妃がそんな真似するか! とばかりのトイ軍曹に、アランは力なく笑った。
「すみません。失言でした。
あのー、これでお暇してもよろしいですか?
殿下もお疲れのようですし」
明らかに、アランはバイオレット妃の話を避けようとしていた。
アルバートも、マリーナが側にいるので、状況を把握する以外の感傷的な理由でヴァイオレット妃のことを問い質すのを控えたいと思った。自分がジョアン・ウォーナーの話題を出されると心がざわめくように、マリーナもヴァイオレット妃の名を出すと心穏やかではいられないようなのだ。
なので、マリーナがこう聞いた時、嬉しくなった。
「アラン殿はヴァイオレット妃とお知り合いなのですか?」
アルバートとは反対に、アランは嫌な顔をした。




