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婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


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75/121

075:口も八丁、手も八丁

 病床にアランを呼べと言うアルバートの命令をマリーナは一度は断った。

 しかし、断固とした二度目の命令に、押し切られた。


 同じ想いのトイ軍曹が、文句を言いたげな顔でアランに近衛兵の恰好をさせて連れてきた。

 チェレグド公爵も加わった。「三公爵が揃うのがいけないのだろう? 今日は一人だけだ……公爵はな……」


 かくして、この日の王太子の部屋には、海軍大臣チェレグド公爵と陸軍近衛隊トイ軍曹、それから”花麗国”出身の画家アランという、地位も立場もばらばらの三人の男が並んだ。


「ご機嫌いかがですかな? 殿下」


「機嫌は良いが、体調はまだ本調子ではない」


「それはいけませんね。

私が外套を奪ってしまったせいですね。

いえ、毒殺疑惑があるのでしたかな?」


 アランは探るような目でチェレグド公爵とトイ軍曹を見た。

 どうやら毒殺云々の噂の元は、この辺りらしい。


「外套のせいだね、きっと。

『博愛精神に溢れた立派な王太子殿下が、我が身を省みず、かたじけなくもありがたくも、寒空の下、凍える貧者に外套を下さった』のは、真実だからね」


 ひらりとアルバートは、紙を一枚、取り出した。

 新聞のようだ。ただし、紙質の悪さが、王宮で読まれているような部類の新聞ではないことを示していた。

 紙面には高貴なる王太子殿下が、路上で寒さに震える男に、外套を脱いで着せている場面を描いた絵が、上記の装飾過多な大袈裟な見出しと共に載せられていた。

 やたらと気合の入った筆で描かれた王太子とは、アルバートである。

 

「これ……実物より……」


 恰好良い、とマリーナは言いかけて、目の前の本物と見比べる。

 いいや。

 実物の方が断然、遥かに綺麗で格好いい。


「実物の方が、いい男だな」


 トイ軍曹が、来た時よりもいっそう、不満気な表情になる。病床に臥せっている王太子が、一体、どこでこんな三流新聞を手に入れたのだろう。


「あいたっ」

 

 二人の「うちの王太子はもっと恰好良い」という視線に、アランは大袈裟に手を額に当てた。


「私も頑張ったんだけど、エンブレア王国の王太子殿下は、絵にも描けない美しさだったようで」


「お前が描いたのか? このヘボい絵」


 チェレグド公爵も絵を見て言った。


「ヘボいヘボい、言わないでくれます?

これでも殿下の為に、精一杯、脚色したんですよ。

美化しても本物の方が良すぎるなんて、画家泣かせの外見です」


「中身もですよ」


 マリーナは怒った。

 新聞記事では、貧しい者に施しをする良い王太子という風に書かれているが、どうにも安っぽく感じてしまう。


「いいんですよ。

こういうのは、はったりなんですから」


「はったり?」


 面白そうにアルバートは聞いた。王太子の機嫌はすこぶる良いようだ。


「そうですよ。

いかに民衆の心を掴むか。こういう単純で直接的な話の方が、より共感を呼ぶものです。

相手が悪く印象操作をしてくるのなら、こっちも対抗しないといけません。

質も大事ですが、量も必要です」


「相手? ……だと?」


「そうですよ。トイ商会の御曹司。

王太子殿下にまつわる男色の噂。今回の病弱の噂。元があるに決まっているじゃないですか。

それも悪意ある元ですよ。

と言うか、それを聞きたいのですよね?」


 アランがエンブレア王国の面々を一人一人、確かめるように見た。

 最後に視線を合わせたアルバートが許可を出した。


「聞かせてもらおう」


 ”花麗国”の伯爵家出身のアランは、遊学先の神聖イルタリア帝国で芸術に被れ、王族にも連なるという高貴なる家を捨て、王都に出向き、画家として生活を始めた。


「さすがにすぐには身を立てることは出来ませんでした」


 『さすがにと言うか、すぐには、と言うか、今でも食うに困っているヘボ画家じゃねぇか』

 チェレグド公爵は遠い目になった。息子を持つ身になると、夢を応援するよりも、安定を求めてしまいがちである。もっとも、海軍生活も地に足がついているとは言えない。『何しろ、海の上だからな』


「しかし、世の中には奇特な方がいましてね。

そういう若い才能に手を差し伸べ、庇護してくれる金持ちの……婦人がね」


「それってあい……」


「おっと、そこまで」


 アランはトイ軍曹の言葉を遮った。


「私は違いますよ。

まぁ、あの婦人のサロンに出入りする男たちの中には、そういう者もいたでしょうが、私は違います。

私は単純に、才能を見出されたのです」


「本当かぁ?」


 うさんくさそうなトイ軍曹に、アランが寂しげにため息を吐いた。


「ええ、嘘です。私は利用されていたんです」


 素直に認めたので、王太子以下、申し訳ない気持ちに支配された。

 

「あの婦人の元に集まっていたのは、芸術家だけではありませんでした。

思想家たちも多くいた。それも危険思想と呼ばれる者たちです。

革命派ですよ。知っていると思いますがね。

貧しい者たちが、不公平だなんだと言うだけでなく、私のような身分の者も賛同していると知られたら、いい宣伝になると思ったのか、他にも何人か貴族の子弟たちが囲われていました」


 芸術を庇護すると称し、そのような様々な若者たちを集め、何をしているかと言えば、当然、革命、と思いきや、違った。


「違った!?」


 マリーナ以外は、想像していたようだ。一人、声を出してしまったマリーナは手で口を押さえた。「申し訳ありません」


「続けて」


 ”小姓”の失態を非難はしないものの、擁護することもなく、アルバートは冷静にアランを促した。


「若者たちの多くは、革命と信じて行動していますが、後ろにベルトカーン王国の作意があることを、私は知ってしまいました。

私の庇護者である婦人は、ベルトカーン王国と手を組んでいたのです。

婦人はベルトカーン王国から資金を援助され、武器を買い、それを革命派に渡しています」


 ベルトカーン王国は、”花麗国”を王党派と革命派の二つに分断し、相争わせ、疲弊した所を侵略する腹積もりなのだと言う。


「それを知ったお前は、何もせずに逃げて来たのか?」


 国を守る近衛の軍曹は、もはや凶悪に近いほどに不機嫌な面になっていた。


「何も出来なかったのです。出来る自信がありませんでした。

ベルトカーン王国の陰謀に気付いたと知られたら、殺されるかもしれない。

それに……」


「それに?」


 言い淀んだアランに、アルバートがここでも続きを催促した。ある意味、トイ軍曹よりも恐ろしい。冷酷で、冷徹な態度だった。

 アランは諦めたように気持ちを吐露した。


「革命派も一枚岩ではありませんでした。

互いに互いの主張を譲らず、争いになることもしばしばでした。

真剣で真面目に国を憂う者も多くいましたが、中にはそうでない者もいた。

理想は高く、現実は厳しい。

仮に王家を倒しても、その先、どうなるか分かりませんでした。

上手くまとまるかもしれませんが、ベルトカーン王国の介入もあります。

数多の血が流れることでしょう」


「だから、それで逃げたっていうのかよ?」


 男なら闘えよ、とトイ軍曹が詰め寄った。


「それで逃げて、王妃の元に?」


 今日のアルバートは、どこまでもアランを容赦しなかった。


「ええ。

王妃の元に。

私、年上の女性に人気があるんですよ。

また庇護して貰えないかな? と」


「それだけ?」

 

 さらなる問い掛けに、アランは肩を竦めた。


「間者になろうかと……」


「誰に頼まれて?」


「私自身にですよ」


 「はぁ?」という声が、どこからか聞こえた。チェレグド公爵が進み出る。


「隠すと為にならないぞ」


「いいえ、公爵閣下。私は本当のことを話しています。

私は私自身の為に、王妃の近辺を探りました。

もしも……」


 アランはアルバートを見た。


「私が得た情報を、必要とする誰かに渡す時が来た時の為に。

私の故国を救ってくれると信じられる人がもし、もしも現れた時に、差し出せるように――」


「私は……私が、そうだと?」


 アルバートのこれまでの態度がやや揺らいだ。


「私は、そなたとはほとんど会話をしていない」


 トイ商会ですれ違った程度だ。


「そうですね」

 

 「ですが――」とアランはチェレグド公爵を見た。


「あなたの為に、真剣に怒る人間を見ました」


 それから、トイ軍曹を見た。


「あなたの為に、駆けずり回る人間を見ました」


 最後に、マリーナを見る。


「あなたが……守りたいものを見ました」


 視線はもう一度、アルバートに戻った。


「総合的な判断の結果、あなたに託してもいいかもしれません。

ただ、覚悟して頂かなくては。

あなたにとっては不愉快な次第になりますよ」


「王妃のことなら構わない」


 ばっさりと、あまりにばっさりとアルバートが母親を切り捨てたことに、その場の全員が固まった。

 マリーナはいつの頃からか、アルバートが王妃のことを『母親』と称さなくなったことに気が付いた。彼は、会ったばかりの頃は、『母』という言葉も使っていたのに、最近では常に『王妃』と言っている。

 彼の中で、王妃に対し、もはや埋め難い溝、あるいは越えられない壁が出来ているのだ。

 まさか、それが自分の額の傷のせいだとは、まったく思いもよらないマリーナは、アルバートが心配になった。


「構わないよ」


 アルバートはアランに念を押した。


「――お覚悟が、出来ておりましたか」


 画家は、今こそ、筆を取りたい気分になった。だが、今、すべきことは手ではなく、口を動かすことだった。


「私は婦人……マダム・メイヤーと袂を分かち、エンブレア王国にやってきました。

しかし、どうしたことか、マダム・メイヤーもまた、”花麗国”を引き払い、こちらに逃げて来たのです。

おそらく、”花麗国”内での工作はほぼ完了したのでしょう。これ以上、国内に留まれば、自分たちが戦乱に巻き込まれますからね。

そうして、次の標的を狙いつつ、国外から内乱の手引きをしようとしているのだと考えました」


 その次の標的こそ、ベルトカーン国王が狙うエンブレア王国の玉座だ。


「まだ”花麗国”も手に入れてないくせに、気が早い野郎だな」


「……チェレグド公爵閣下、地が出ていますよ」


「うるせぇな、坊ちゃん。黙ってろ」


「あなた、公爵閣下でしょうよ。私よりひどいってどういうことですか?」


 公爵と軍曹のやり取りに、画家はふふっと笑ってから、言った。


「野心家とは常に、先の先まで考えておくものですよ。

次をとってから次では、時間がかかりますしね。

まずは”花麗国”攻略が先ですが、種は撒いておきたいところでしょうし、”花麗国”に武器を密輸するにも、エンブレア王国は便利だったこともあります。

”花麗国”に持ち込まれる武器は、ベルトカーン王国のものではありません。

援助していることを出来るだけ隠したいことと、ベルトカーンもまた、武器が必要なので、自分たちの分を確保しないといけないからです。

ベルトカーンは旧式の、安い武器を第三国から買い付けて、横流ししています。

最新式で威力のある武器を渡しては、自分たちが攻め込んだ際に、制圧するのが難しくなりますしね。かと言って、王党派に負けるようではいけない。勝ってもいけない。その上手い具合を見極めて、マダム・メイヤーは武器を渡しているのです。

もっとも……エンブレア王国海軍によって、かなりの武器が没収されました」


「ウォーナー艦長が摘発したのだ。

それ以降、我々は警戒を厳しくし、不正な武器の流入も流出も一切、許してはいない……はずだ」


 海軍大臣チェレグド公爵は敵の思惑を阻止出来たことに、誇らしげに胸を張った。

 ジョアン・ウォーナーが密輸船を捕まえ、休暇を貰って『夕凪邸』に帰って来たことが、マリーナの王都への旅の始まりだった。それがもう、遥か昔の出来事のようだ。


「有能な海軍ですね。

おかげでマダム・メイヤーは歯ぎしりしています。

”花麗国”の革命派にはまだ武器が足りないのです。いいえ、もしかしたら、マダム・メイヤーはもう関わりを絶ちたいようですが、後一回分は武器を渡さねば、折角の計画も苦労も台無しと言ったところでしょう」


「そなたはそのマダム・メイヤーとはまだ関係を持っているのか?」


 アルバートはアランに信を置きつつも、その詳しさに、念を押した。


「私はね、徒に敵は作らない性格なんです。

マダム・メイヤーと別れる時も、それは穏便にしました。

『あなたと別れるのは辛いが、あなたを愛するあまり、周りに他の男たちがいるのを見るのが辛いのです。もしも私を引き留めたいのならば、私だけの愛しい人になって下さい』と熱烈に告白し、まんざらでもないマダム・メイヤーに振られ、傷心のあまり”花麗国”を去ったという設定になっていたので、再会しても、一定の距離を取ったまま、敵でも無く、味方でも無い立場で情報を収集できました。

『あなたの顔を見ると、愛おしさと、手に入らない辛さで心が引き裂かれそうです』とでも言えば、会わない理由になりますし、偶然に顔を合わせることになっても、『耐え切れず、あなたの前に姿を現した私の弱さを憐れんで下さい』とかなんとか言っておけば、なんとなく丸く収まります」


 アランは芝居がかった調子で言ったが、本気になれば、もっと真に迫った”甘ったれで、勘違いの激しい伯爵家の愚かな令息”としての演技が出来ることも窺わせた。

 マダム・メイヤーはアランのような世間知らずの頭お花畑の男を心底、侮蔑していたが、同時にそのような男を恋に狂わせたことは満足していた。ただし、面倒臭いことはご免である。もう少し、恋に酔っぱらった男が煩わしかったのならば、始末もしようものを、絶妙な間合いで姿を現し、虚栄心をくすぐってくるので、その決心は先延ばしにされていた。

 

「こういうのはね、はったりが大事なんですよ」


 呆気に取られた感のあるエンブレア王国の王太子、小姓、海軍大臣、軍曹の前で、”花麗国”の青年は手を広げて見せた。

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