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婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


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74/121

074:嘘も方便

 王太子、不予。


 その情報は国中に知れ渡り、不安を与えた。

 アルバートは健康な若者であったが、幼い頃、小さな病気でも王妃が殊更に騒ぎ立てたので、病弱な印象が付けられ、それが色濃く残っていた。

 気鬱の病で静養していたことも、記憶に新しかった。

 市井では悪意ある噂が、ここぞとばかりに流され始める。


 曰く。

 現王太子は男色の傾向があって、虚弱な体質の若者である。エンブレア王国の将来を任せられる器ではない。

 一方で、こんな話も囁かれた。

 ベルトカーン王国の王は、気力胆力に富み、豪傑で意欲的な人物である――と。



***




「お風邪ではないのですか?」


 マリーナは王宮の医師に聞いた。

 アルバートの熱は高かった。


「それもあるでしょうが、内臓の方がお疲れのようです。

今はご安静にして頂くしかありません」


 一礼する医師を見送ったのと入れ違いに、三公爵……チェレグド公爵、ストークナー公爵、ニミル公爵が見舞いにやってきた。

 チェレグド公爵はマリーナを見ると、咎めるような顔をしたが、口に出しては何も言わなかった。


「どうにもまずいことになっているようですね」


 チェレグド公爵はニミル公爵に尋ねた。ニミル公爵は王の居る離宮『花宮はなのみや』から戻ってきたばかりだった。

 王太子が寝込んでいるので、『花宮』に出入りを許されない首相や他の閣僚たちに代わり、国の重要な決定事項に王の決裁を受けに行ったのだ。

 本来ならば王の仕事であったが、ここしばらくはほぼ王太子に任されていたことだ。アルバートが気鬱の療養として”他所”に滞在していた時も、そこからこっそり『暁城』まで運ばれ、続けられたことだった。王は、アルバートが決裁したことを、無批判にただ追認するだけにすぎない存在となっていたのだ。

 それが、突然、「王太子の体調が優れないようならば、私がしよう。持ってくるが良い」と言い出した。


「陛下が国政に関心を示しているようでねぇ」


 喜ぶべきことのはずが、悩みとなっていた。


「今回はまだ良いです。

殿下が寝込んでまだ日も浅く、それほど重要な問題も起こってはいません。

今回の件は、儀礼上、国王の決裁が必須な、”重要”というものの、毎年、代わり映えのしない内容のものだったからですね」


 だからこそ、王妃派も反王妃派の意見の対立も起きようがなく、王太子の仲裁と決断も必要なかった。

 王は嬉々として国璽を押した。それで終わりだった。


「陛下は実に簡単な仕事だったと思ったことだろうねぇ」


 ニミル公爵は膝に愛人を乗せたまま、名ばかりとはいえ重要な書類に国璽を押した王の姿を思い出した。

 愛人は「執務をなさる陛下の、なんて頼りがいのある素敵なお姿なのでしょう。一層、敬愛の情が湧きますわ」と嬌声を上げた。王は「大したことではないと」と言いつつも、顔は喜色と好色に溢れていた。


「けれども、内容がもっと煩雑になり、意見が真っ二つに分かれた時、王がどのような決定を下すのか。

王自身が決めるのならば、たとえそれがどんな選択であれ、我々は受け入れる。

だが、誰かの入れ知恵、それも悪意のあるものが入った場合、反対しない訳にはいかない」


 ストークナー公爵の頭にも、『花宮』にいる”花麗国”出身の亡命貴族の娘の姿が浮かんだ。

 それに対し、ニミル公爵が言った。


「妻が『陛下にはもっと多くの話し相手が必要だわ』と足繁く、『花宮』に通っていますよ。

陛下はどうも、誰か一人に依存したくなる性格のようでねぇ。

以前は王妃でしたが、今はすっかりあの”花麗国”の娘の言葉に惑わされていると、妻も随分、心配しています」


「姉上には感謝しております」


 エンブレア王国の国王兄弟の間には、感情的な行き違いがあった。

 ストークナー公爵は、父親の先代国王が亡くなった後に産まれた王子であり、『花宮』に籠った王太后の代わりに、ある地方貴族に預けられて育った。先々代のチェレグド公爵が第二王子を影響力のある王都の高位貴族に委ねるのを良しとせずに取った措置である。王弟が王都に出て来たのは、ようやっと十五歳になった頃であった。

 その間、王となった兄は、一人、王宮で重責と共に成長した。後見である先々代チェレグド公爵は、幼い少年の父親代わりにはなれても、”母親の愛情”を与えることは出来なかった。

 兄と弟の間の肉親の情はどうしても薄く、弟のストークナー公爵も、こちらは仲の良い姉の夫であるニミル公爵の方により親しみを感じるほどだった。


 姉のニミル公爵夫人オーガスタは王太后と共に『花宮』で過ごしたが、王となった弟を案じ、王宮に頻繁に顔を出してはその孤独を癒し、慰めていた。王にとっては、姉が母親代わりのような存在だった。

 それゆえ、ニミル公爵との縁談が持ち上がった時には反対をした。それを先々代チェレグド公爵に押し切られ、承諾することとなってしまう。思えば、それが、王が頼みとしていた後見への反発を覚える契機になったのかもしれない。

 ただ、ニミル公爵は弁えていた。

 王はすぐに、姉は『花宮』からニミル公爵家に居を移しただけにすぎないのだと考えられるようになった。つまりは、ニミル公爵夫人となっても、代わらず王を気に掛け、いつも夫よりも王を優先することを厭わなかった。また、ニミル公爵もそれを後押しした。

 よって、王のニミル公爵夫妻に対する信頼と愛情は常に、ある程度の深さがあった。

 その関係に危機が訪れたのは、ニミル公爵夫妻の娘、ヴァイオレットが幼くしてサイマイル王国へ嫁ぐことになった時だった。

 姉の悲しみように、王は己の”判断”が批判されたような気がした。申し訳ないと思う前に、自らが嫌われたことに怯えた。疎んじられれる前に、ニミル公爵夫妻を退けようとした。

 けれども、最初の悲しみが過ぎると、ニミル公爵夫人は何事も無かったように再び王に接した。


『政略結婚は王族の倣い』


 娘との別れは辛かったが、それは母として当たり前の心情であり、娘を他国に出すのは王族としては当然の責務だと言う訳だ。


『少し婚期が早かっただけよ。いつかはお嫁に行くんだもの。いっそ早い方が、あちらの文化や風習にも馴染み易いでしょう』


 いつまでも民衆から『あの外国の王妃』呼ばわりされているエンブレア王国の王太后と異なり、ヴァイオレットが嫁ぎ先で可愛がられ、人々から”サイマイルの花”と讃えられたことも大きかった。

 ヴァイオレットは幸せに暮らしている。国同士の仲も親密になった。

 自分の決定は間違いは無い、姪への賛美は叔父でもある自分のものだと思った王の機嫌は良くなり、姉の母親としての愛情と、公爵夫人としての姿勢を大いに評価した。

 その後、ニミル公爵夫人は、ヴァイオレットが神聖イルタリア帝国の老帝に嫁すことになっても、荒れる”花麗国”の王妃に推された時も、もはや動じることはなかった。「娘は大丈夫よ」と呑気に構えているのが、王の心を軽くした。

 だからこそ、王妃によって殺されたと”噂される”トーマスの父であり、それによって心を病んだ夫人を野放しにしている弟のストークナー公爵を、王の自分を批判するものと捉え、ますます疎んじるようになっていたのだ。



***



「申し訳ない」


 アルバートが寝台から身を起こした。マリーナが慌てて支え、肩に毛布を掛ける。マリーナにしてみれば、病床のアルバートの枕元で、こんな問題を話し合わないで欲しいという気持ちでいっぱいだった。


「ご自身がいかに重要な身か、これでよく分かったでしょう。

殿下は王妃派にも反王妃派にも信頼をされています。どんな面倒事にも真摯に向き合い、皆の意見をよく聞き、まとめ、最良の判断を下してくれます。

それに対し、批判や反対があっても、容易に翻すこともなく、かと言って、無碍に退けることもなく、自らの責任の下で実行し、改善もしてくれます」


 チェレグド公爵の言葉は裏を返せば、王の事を指していた。


「アルバートが王の代わりに頑張ってくれていて、助かっていたよ」


「陛下も喜んでいたねぇ」


 ヴァイオレットが嫁ぐ先、嫁ぐ先で褒め讃えられるのを、エンブレア国王は我が事のように喜んだ。

 同じように、ニミル公爵夫人の「陛下は五歳の時から王としての重責を担ってきました。アルバートももう十五歳だもの、そろそろ国政を手伝わせてもいいかもしれないわ」との進言を受け、任せた王太子の評判がすこぶる良いのも自分の手柄として受け取った。

 『花宮』では王太子を直接褒めるものはいなかった。皆、「さすが国王陛下の血を分けた王太子」、「若い頃の王さまに似ていらっしゃる」、「王の薫陶あってのものですわね」と王を主体としての評価をしていた。

 王は、自分はなんの悩みも責任も取らずに、ただ賛美される楽さを覚えた。息子に面倒な国政は丸投げし、自分は普段は『花宮』で美食と酒と女に溺れ、たまの儀式にもったいつけて出席しては、有難られるという立場を享受していたのだ。


「今まではねぇ」


 ニミル公爵が困った顔をした。「あの娘が陛下を焚きつけて、いろいろと口を出すようなことをされると、国政が混乱してしまうよ」


 そうは言いつつも、夫人と同じく、どこかのんびりとした雰囲気を出すニミル公爵であった。


「王太子殿下が復帰しても、さらに面倒なことになりそうですが。

ですが――良くなって頂かなければ困ります。

宜しいですね?」


「あい分かった」


 病気なのに、「宜しいですね?」と言われてもどうしようもない気がして、マリーナは素直に頷くアルバートの代わりに伯父を睨んだ。

 その視線にチェレグド公爵は口元に笑みが漏れそうになった。

 王の隣にも小娘がいるが、王太子の隣にも小娘がいる。同じようでいて、違う存在だ。


「”ジョン”、頼んだぞ」


 それは姪が、王太子の元で小姓を続けるのを認めるようなものだった。


「か……畏まりました」


「チェレグド公、そろそろお暇した方がいいかねぇ。

我々、三人が一所に集まっているのを、陛下はお気に召さないようなのだ」


 ニミル公爵の言葉に、一同、退出の準備を始めた。


「――ところで」


 去り際、チェレグド公爵が部屋を見回した。


「ロバート卿は何処かな?」


 王太子の忠実なる乳兄弟にして、悪意無き裏切り者の姿がなかった。もし彼がいれば、三公爵が集ったことを、王妃に告げ口したことだろう。


「ロバートなら……」


 アルバートが熱に火照った顔で、爽やかに言った。


「『暁城』の側にある『東の森』に病に効くという霊水があるそうなのだ」


「はぁ?」


 懐かしい場所の名前が唐突に出され、チェレグド公爵は怪訝な声を上げた。アルバートはそれに、些か人の悪い笑みを浮かべながら続けた。

 

「その霊水を汲みに行ってもらっている。

新鮮であればあるだけ効果も高いらしい」


 それはマリーナが口から出任せを言ったものである。それをあたかも真実のように重々しく説明している。


「なので、馬を飛ばして、出来るだけ早く運んでもらうよう頼んだ。

このような役目、ロバートにしか任せられないからね」


 王太子の口に入る水を、信頼できない人間に扱って欲しくない。

 大事な王妃の大切な王太子の健康を取り戻すために、ロバートは寝ずに馬を潰しては乗り継ぎながら『東の森』へと走った。水を届けたのならば、少しの休憩を取った後、再び駆ける。

 

「昨日出たから、今日は帰らないだろうね」


「それはそれは――」


 『王太子殿下も人が悪くなったな』

 チェレグド公爵がそれに悲しさと哀れさを感じながらも、希望を見出そうとした。

 素直で優しいだけでは、国は守れないのだ。



***



 三公爵が去った後、アルバートは身を横たえた。

 

「しばらく休もうと思う」


「はい、殿下。お側におりますので、いつでもご用を申し付け下さい」


「ああ……くれぐれも、前のようにいなくならないでくれ」


 マリーナはいなくなったりはしなかったが、看病疲れもあって、うとうととしてしまった。

 しばらくして目を覚ますと、寝台にアルバートの姿がなくなっていた。

 慌てて確かめると、すっかりと冷めてはいないものの、熱くもない温もりが手に残った。

 いなくなってから少し、時間が経っているようだ。

 部屋の外に出ると、衛兵が敬礼する。


「殿下は?」


「……お休みでは?」


「――そうでした。ごめんなさい」


 衛兵が姿を見ていないとすると、”ジョン”の部屋から出たのだ。

 そちらの方に行くと、何か白いものがぼうっと光っていた。

 薔薇だ。

 白い大輪の薔薇が、惜しみなく灯されている王宮の外廊下の明かりに反射している。

 それを持っているのは寝間着に毛布を羽織っただけのアルバートで、もう一人、庭の暗闇に誰か居た。


「何者!」


「静かに、ジョン。

彼はジョンだよ。

ああ、彼もジョンかな」


 目が慣れると、人影は白髪の老人だということが分かった。身体は大きく、腰に汚れた布を垂らしている。

 トイ商会の向かいの川岸で会った男のように見えた。

 男は一礼すると帽子を乗せ、また暗闇に消えて行った。


 アルバートは白い薔薇をマリーナに渡した。


「あげよう。

以前、君が貰った薔薇を、私が台無しにしてしまったから。

ああ、大丈夫。これは王妃の庭の薔薇ではない。

あのジョンの家に咲いていた薔薇だよ」


「あっ……!」


 マリーナはアルバートの前に現れた男の事を思い出した。

 彼とは王妃の庭で会っていた。王妃の庭の庭師だ。


「傷、まだ跡が残っているね」


 王妃の庭でつけられた額の傷は、この薄暗い廊下では見えない。

 それでもアルバートは、今でも血が流れているかのような痛ましさで見た。


「そのうち消えますよ。

チェレグド公爵がよく効く軟膏をくれました」


 今度はすっぱい飲み薬ではなく、緑色の軟膏だった。


「そう?

ならいいけど――気を付けないと。

君は――」


 最後まで言わず、代わりにアルバートは白い薔薇を持ったマリーナに言った。


「アランに会わないと」


「あの画家に? お元気になられたら呼びましょう」


「いいや、明日、会う。すぐにだ。

私は彼に会わないといけない」


 アルバートの手には、一枚の紙があった。



***



 その夜以降、巷の噂の質が変わった。


 曰く。

 アルバート王太子殿下は公明正大で溌剌とした若者である。

 近々、美しい令嬢と婚約の予定である。

 ご病気は、王太子を害し、国を混乱に陥れようとした何者かによって、毒を盛られたせいだ。


 一方で、こんな話が囁かれた。

 ベルトカーン王国の国王は、野心家で支配欲が強く、王位も実の兄を毒殺して得たものなのだ。”王家の妙薬”と呼ばれる恐ろしい毒が、大陸の王家には存在しているらしい。



 二つは、まったく関係のないように流されたが、人々の口の中で一つに繋がれた。

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