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婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


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73/121

073:下手の考え休むに似たり

 マリーナとアルバートは馬車に揺られていた。

 王宮へと向かう馬車である。

 アルバートはマリーナがチェレグド公爵の馬車ではなく、自分の馬車に乗っているのを見つけた時は驚いた。


「な……なんで?」


 今回は珍しく固まらなかった。

 マリーナがいることは嬉しい。つまり不機嫌でも憂鬱でもない。

 マリーナがいることをどう考えていいか分からない。つまり考えようにも考えられないからだ。


「殿下。

職を途中で投げ出したくはありません。

今度こそ気を付けますので、もう一度、機会を下さい」


 表向きはそう訴えたが、マリーナにはどうしても確かめたいことが出来た。それから純粋にアルバートの側で彼を励ましたい気持ちもあった。その二つは、今日、下町を歩いて一層、高まったことだった。


「王妃にあんな目に合わされたのだ。誰も君を責めたりはしない」


 そう言いつつも、アルバートは馬車に出るように合図した。

 アルバートはマリーナが王妃に脅されたものの、警戒心は強めても怯えてはいないこと、自分の側近くに遣えることを厭う様子がないことに、一縷の望みを繋げた。

 あんな最悪の印象のまま別れたくはない。今日、下町を歩いて一層、その気持ちが高まっていた。


「王妃さまは今頃、私にやったことを後悔しているでしょう」


「ああ……」


 ”後悔”というのとは違う。ただ、王妃が王太子の小姓の顔を潰したので、小姓が王宮から逃げ出したという噂が立ってしまい、それに苛立っているのだ。

 王妃はいつもそうなのだ。衝動的に行動し、後から自分の評判を気にする。


「私が戻れば、それはなくなります。王妃さまのお心も安らかになるでしょう」


 王妃付の女官の心労もなくなる。


「それで王妃が感謝するとでも?」

 

 今でも小姓が情けないせいだと逆恨みしていた。


「そこまでは望んでいませんが、私が王妃さまを避けても、当然とは思われます」


 だからと言って、絶対安全だと過信はしない。マリーナは王妃を恐れなくても、もう侮りはしないと決めたからだ。


「それはそうかもしれないけど……そうまでして、私の側にいたいの?」


 アルバートが試すように言うと、マリーナは反射的に「はい」と答えてしまい、その答えの意味に気付くと、頬を染め、慌てて「いえ……気になることがあるので」と打ち消した。

 

 

***



 マリーナが自分の裏をかいて王太子と共に王宮に行ってしまったと知ったチェレグド公爵は唖然とした。どうやら護衛は、マリーナを王太子の小姓として、馬車に乗せたらしい。トイ軍曹あたりに頼んだのだろう。


『なんだ、マリーナはあの男が好きなのか』


 よくもあんな目にあった王宮に戻る気になったものだ。


『あの勇猛果敢さはキール艦長譲りか? いや、あの向こう見ずさは妹の血だな……つまりルラローザ家?

いや、俺は違うぞ』


 すぐにも迎えに行こうかと思ったが、チェレグド公爵邸内に出自不明の新たな”ねずみ”の影が見えることを思い出して止めた。


『あれを駆除してからでも遅くはないかもしれない』


 マリーナがアルバートを好きならば、今後の縁談も心置きなく推し進められるというものだ。

 


***



 今度こそ、確実に中身を王宮に届けるために、王太子の馬車は、窓の外の景色に興味を持たないように鎧戸は閉じられ、扉には閂をかけられていた。

 乗る前こそ、「これではまるで護送車のようだな」と不満を述べたアルバートだったが、今は、馬車の仕立てなど、どうでもよいこととなった。

 マリーナを王宮に連れて行くと決めてから、アルバートはずっと固まっていた。

 あれほど注意された癖だったが、そうそう簡単に治らないのも癖なのである。

 けれども、マリーナは固まっているアルバートも良いという結論に至った。

 内に籠っている分、こちらがじっくりと彼を観察することも出来る。

 見れば見るほど、優美な姿だ。去り際、アルバートに「よく励むように」と声を掛けられた路地裏の少女が「自分が立派な大人になったら愛人にして欲しい」と直訴したのも分かる。

 もっともアルバートは「愛人!?」と一種の不快感を露わにした。

 王太子としてそれでいいのかは分からないが、マリーナはそういう所もアルバートらしくて良いと思った。

 

 アランでなくても、肖像画が描けそうなほど、じっくりと見惚れていると、アルバートの長い睫毛が揺れ、青い瞳がひたっとマリーナを捉えた。


「……!」


 ずっと見ていたのを気付かれたとマリーナは焦った。


「私はまた、固まっていたのか?」


「はい……そのようで」


「すまない」


「いいえ! 何かお考えになっているのでしょう。私の事は気になさらずに」


 その分、心ゆくまであなたの顔を見ていられるので。

 マリーナの声なき訴えは、勿論、届かない。届いても困る。


「しかし……」


「人にはゆっくり考え事をする時間も大事だと思います。

こういう時こそ、その絶好の機会ですよ」


「これも真、ならば、それもまた真、という訳か」


 ふっと笑った。


 マリーナは馬車に二人で乗っていることに、俄かに緊張してきた。つい、男女を意識してしまうのを、すぐさま否定した。自分は男だ。”ジョン”なのだ。もう一度、自分の設定をおさらいする。


「そ、そのことをお考えで?」


 平常心を総動員した。今のアルバートに必要なのは、男とか女とかではなく、適切な話し相手のはずだ。ただでさえ、考え事でいっぱいいっぱいの王太子を、これ以上、煩わせてはならない。


「叔父上は実に見事に人々に救いの手を差し伸べているね」


 アルバートは最初のお忍びの時にそれで失敗していた。後に同行した近衛隊のヘンリー・ランド少尉やトイ軍曹に「安易な施しは、その者の為になりません」、「一人の人間に金を与えれば、他の者たちが不公平と感じるでしょう」と注意される始末だった。

 それなのに、ストークナー公爵は今日もまた、一組の姉弟の身を助けた。それは称賛される行為だった。

 

「これも真、ならば、それもまた真……なのだな。

私のやり方ではいけないが、叔父上のやり方は良い」


「はい……そのようで。

ですが、アラン殿は喜んでいたではないですか」


 トイ商会の従業員は、橋の通行料を徴収する人間から、王太子の外套を買い取っていた。戻ってきたそれを渡されたアルバートは、アランに譲ることにしたのだ。「エンブレアの冬は”花麗国”よりも厳しい。外套が無くては風邪をひく」と。


「どうかな。あの男は、どこか皮肉っぽい顔をしていたような気がする」


「アラン殿はああいう方なんですよ。殿下が気に病むようなことではありません」


 本来の性格か、その後の苦労か知らないが、アランは斜めに構えた所があった。


「あの男も、元は伯爵家の出らしい。施しを受けるのは本意ではないのかもしれない。

私は彼の自尊心を傷つけたかもしれない」


「殿下はお心が広すぎますよ」


「そうかな?」


「そうですよ」


 そう言う、マリーナの方が憤慨していた。「あの人こそ、殿下のお心を傷つけているではないですか!」


「――ありがとう」


 自分の為にマリーナが怒っているのを見て、アルバートは嬉しくなった。


「い……いえ」


「あの男にはこれから何度も会うことになるだろう」


「アラン殿は、”花麗国”に関して、何か知っているようですね」


 アランは明らかに何か言い掛けていた。


「早速、明日にでも召そうと思う。

もしかすると、彼が、エンブレアを救う鍵の一つを持っているかもしれない――」


 再び、アルバートは固まった。

 が、今回はそれほど深く思考の海に潜ってはいなかったようで、すぐに浮上してきた。


「いけない……また、固まる所だった」


 「私は構いません」とマリーナが気を利かせたつもりで言うと、アルバートは目を細めた。お気に召さなかったらしい。


「私は構うな」


 思いもよらずマリーナが戻って来て、邪魔が入らない二人っきりの空間にいるのに、固まっている場合ではないと思ったのだ。

 国を憂うのは大事だが、マリーナとのことも大切だ。アランのことは、アランの話を聞いてから考えても遅くない。

 これも真、ならば、それもまた真。どちらの真を選ぶかは、アルバート自身が決め、責任を取るのだ。

 だったら今は、マリーナのことを優先する。


「そうだ、君の話を聞きたいな。

王宮を下がっていた時は何をしていたの?」


「ずっと臥せっていました……体調が優れなかったもので。

ご迷惑をお掛けしました」


「え、そうだったね……すまない」


 これではまるで、マリーナの体調不良を疑っているようだ。

 アルバートはさらに頭を捻る。ここは、自分も実際に見聞きしている話題を出すべきだろう。

 なるべく固まらないように考えている内に、くしゃみが出た。外の寒気が馬車の中まで忍び込んで来たのだ。


「お風邪を召しますよ」


 マリーナは、トイ商会が王太子に外套の代わりにと差し入れた毛布を、アルバートの肩まで掛けようとした。

 心配するマリーナを余所に、アルバートは話題を見つけた。


「そう言えば、君が首にかけている物は何? 私の外套よりも貴重な品のようだが」


 ぱっと見、豪華な宝飾品ではない。素朴な品物に見えたというのに。


「ああ、これですか?」


 マリーナは首から鯨の歯の彫刻を引っ張り出したが、紐についていたもう一つの物を見て、すぐさまそれを引っ込めたい気持ちになった。だが、ここまで出した以上、見せない訳にはいかない。

 やや不自然な明るさで、マリーナは鯨の歯の彫刻の由来を語って聞かせた。


「そのような物だったのか……」


 アルバートは船乗りの義理堅さと結束力に感心したようだ。

 

「そうなのです。マリーナ・キール嬢が王宮勤めをする私に、キール艦長の遺品をお守りにと預けてくれました」


 設定を復習していたおかげで、すんなりと、そんな話が出てきた。


「それでは確かに、橋の通行料としては相応しくないね」


 鯨の歯の彫刻に込められた想いは、お金では購えない物だった。


「ですが、ノラを助けるためには必要でした」


 マリーナの迷いの無い返事に、アルバートは興味を惹かれた。


「マリーナ・キール嬢も、そう考えると?

自分の父親の大事な形見を、使用人を救うために使っても構わないと?

ジョンはマリーナ・キール嬢をそのような令嬢だと考えている、と?」


「……はい。私は……そう考えています」


「素晴らしいね」


「へっ?」


 アルバートは船乗りの義理堅さと結束力以上に、マリーナの考え方に感動していた。


「見せてくれる?」


 そのままマリーナの手から、鯨の歯の彫刻を取り上げる。紐はマリーナの首にかかったままなので、アルバートの顔が近くになった。膝に掛けられていた毛布が滑り落ちた。


「ところで、これは何? これもキール艦長の形見なの?」


 実の所、本題はそこにあった。橋のたもとで見た時から気になっていた。

 親指でそれを鯨の歯の彫刻の上に出す。同じ材質のようだが、それはずっと小さくて単純な形だ。丸くて、穴が二つ空いている。


「ボタンだね?」


 いつぞやのように、それこそ、そのボタンを手に入れた時のように、マリーナはアルバートを突き飛ばしたくなった。


「申し訳ありません!」


「なぜ謝るの?」


「それは……殿下のボタンだからです」


 アルバートもあの夜のことは覚えていた。そう言えば、自分の服のボタンが一つ、飛んでいった。


「それがこれ?」


 意外だった。あの時のアルバートはお世辞にも紳士的な振る舞いだったとは言えない。それなのに、そんな自分のボタンを肌身離さず身に着けていてくれた。


「そうです。あの……ボタンを拾って……衣装係に戻そうと……」


「首にかけていたと?」


 心が急いたアルバートは矢継ぎ早になり、マリーナはしどろもどろになった。


「ポケットに入れておくと……着替えた時に無くしそうで……」


「それで大事に首にかけてくれていたんだね」


 愛おしそうに言ったアルバートは、マリーナから手を離し、身を引いた。


「そのまま持っておくといいよ」


「ええ?」


「どうせみんな忘れている。私のボタンも海の英雄であるキール艦長のお守りと並べられて、名誉なことだ」


 すっかり癖になったせいで、マリーナは戻ってきた鯨の歯の彫刻とボタンを握りしめた。

 衣装係に返そうと思ったのならば、いつだって出来たはずなのに、自分のボタンをマリーナがそうして大事に持っていてくれたことに、アルバートは自信を感じた。

 今にも抱き締めて求婚したい気持ちだ。


 石畳を走る馬車の音が変わった。


「橋か……」


「そろそろ王宮に着く頃です」


 何しろ外が見えないので、勘でしかなかったが、王宮の前に一本、橋が架かっているので、その上を通過していると思われた。

 この橋は通行料を取られることは無い。


「私は王が橋に通行料をかけているのも知らなかった。

誰も教えてはくれなかった」


 その金で、王は自分の気に入った女たちを着飾らせ、遊んで暮らしている。おそらく、他にもそんな収入源がある。 


「陛下のなさることで、殿下が苦しむのを、誰も望んではいないのです」


 下町の人間がいくら怨嗟の声を上げても、離宮に籠っている王には届かない。対して王太子は離宮に赴き、王に訴えることが出来る。

 出来るが――その場合、王と王太子の間に確執が生まれるのであろうことは、想像に難くない。

 王妃派と反王妃派で揺れ動く国内に、新たに王派と王太子派が生じてくる可能性があるのだ。

 それは王妃派も反王妃派も歓迎する事態ではなく、王太子アルバートも避けたい所なのだ。少なくとも”この程度の些細な事”で事を荒立てるには、まだ彼の力は足りず、時機でもなかった。


「自分のケツも拭けないひよっ子が、他人のケツを拭けると思ってやがるのか……か」


 マリーナをマリーナとして扱うには、まだ早いのだ。


「……殿下?」


 マリーナはそろそろ王宮に着くと言うのに固まってしまったアルバートを、どう馬車から降ろそうか算段を始めた。

 とりあえず、慰め程度に膝に掛かっていた毛布を元に戻した。

 風邪を引かれては困る。

 けれども、寒空の下、じめじめとした路地裏を走り回り、汗を掻き、外套を脱ぎ、川風に当てられたせいか、アルバートは結局、寝込むことになる。

 そしてそれが、離宮に籠っていた王を活気づかせることになってしまった。

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