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婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


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071:山高きが故に貴からず

 食事の用意が出来るまで、アルバートの外套の行方、もとい、ノラの話を聞くことになった。

 二人の公爵は大まかな事情を把握しているようだったが、他の人間はそうではなかった。特にミリアムが我慢出来なかった。

 何しろ、ノラが攫われ、マリーナが消え、大騒ぎになっている内に、なんとノラが自力で戻ってきたと思ったら、今度はマリーナも帰って来た。おまけに、ストークナー公爵とチェレグド公爵が素早く交わした会話の中に、パーシー・ブレイクという名が出てきたではないか。

 一体全体、どうなっているのか、知りたくてたまならい。


「ねぇ、ノラはどうやって助かったの? 怖い目にあった?」


 怪我はしていないことは確認済みだったが、ノラがどんな扱いをされたかはまだ聞いていないのだ。ただし、ノラの表情に深刻そうな色は見られなかった。チェレグド公爵が王太子相手に怒鳴り散らしていた時の方が、顔色は青かったくらいだ。

 『夕凪邸』を爆破炎上させた犯人に会った時もそうだったが、ノラは上手に気持ちを立て直していた。


「私もよく分からないのです。

突然、目の前が真っ暗になって、馬車に乗せられました。

男たちが私を始末するとか、殺すとか話していました」


 ノラがぶるりと身を震わせ、隣に座っているアンジェリカが温かい紅茶を勧めた。トイ商会のお嬢さまは、使用人たちではなく、自身の手でノラを世話していた。


「私、とても怖かったわ! そう、恐ろしかったです。

なのでいきなり馬車が止まった時、これでもう終わりだと思ったんです。

そうしたら、別の男たちが馬車の男たちと争い始めたんです。

私を寄越せ、寄越さないと――」


 ノラの身を、男たちが取り合いになったのだ。決して嬉しい状況ではなかったが、隙は出来た。


「だけど身体が動かなくて」


「固まってしまったんだね……」


 アルバートがさも同感とばかりに頷いた。

 一同、『それ意味合いが違います』と思ったが、面倒なので口に出さなかった。


「はい。

そうしたら、後ろに引っ張られて……ああ、もう殺される! って覚悟したら、なんとまぁ! それがパーシーさんだったんです」


 聞きたかった名前が出てミリアムが反応する。


「パーシーですって! あのパーシー・ブラッド?

『夕凪邸』の?」


「そうですわ、ミリアムさま。

あのパーシーさんです。

助けに来て下さったのかと思ったのですが、どうも様子が違ったんです。

王都に来て、悪い人たちの仲間になってしまったのかと、私の望みは完全に絶たれました」


 しかし、そうではなかった。

 パーシーは、誘拐犯と彼らからさらにノラを攫おうとした男たちが争っている間に、こっそり、彼女を逃がしてくれたのだ。

 

 どうやらノラとアンジェリカ、それぞれ攫おうと計画していた男たちがいたようだ。

 本物のノラを狙ったのは、『夕凪邸』爆破炎上事件の犯人であり、彼女をすぐさま抹殺しようと目論んだ。そして、ノラをアンジェリカと見間違えた方は、身代金、もしくは、なんらかの要求をしようとしていた。後者は前者がノラを連れ去ったのを見て、慌てて後を追い、その身柄を奪おうとしたのだ。

 それで、二組のならず者たちは争い、ノラが逃れる隙が生まれた。


「でも酷いんですよ。

『私はついては行けない。なんとか逃げ切ってくれ。後から必ず追いつく』と言われ、私、一人で逃げる羽目になりました」


 王都の路地裏は、田舎の森とは違った意味で危険だった。熊や狼の代わりに、人間の姿をした野獣が出る。

 高価な絹の肩掛けをした女の子は、彼らの恰好の獲物だった。


「男に肩掛けを奪われそうになりました。それで、引っ張り返したら、裂けてしまって」


 ノラは申し訳なさそうにアンジェリカを見た。もとより絹の肩掛けなんかに未練はないアンジェリカはノラの手をきつく握って、気にしていない旨と、何度目かの無事だった喜びを表明した。「ノラの命に比べたら、絹の肩掛けなんて安いものよ」


「そうよ。それに馬車の扉に挟まった時に、すでに綻びが出来ていたに違いないわ。引っ張られたせいで、そこから一気に裂けたのね」


 物の破壊については詳しいミリアムがしたり顔で説明した。


「申し訳ない事です」


 ノラはひたすら恐縮した。


「でも、そのおかげでノラが見つかった――」


 マリーナはノラが肩掛けを何本もの細い切れ端に裂き、それを目印やお金代わりとして所々配って逃げたことを説明した。

 最終的にノラはストークナー公爵に出会い、無事に戻ってきた。


「もったいないことです」


 ストークナー公爵の手を煩わせ、王太子にまで自分を探させたという事実に、ノラは怯えて震えた。


「そんなことはないよ」


 アルバートが言い、それをチェレグド公爵がすぐに打ち消した。


「そんなことありますよ。

何度もしつこいようですが、国を船に喩えるのならば、たった一人を助けるために、多くの乗員を乗せた船を沈ませるような選択です。

”船長”は時に、犠牲を呑み込まねばならないのです。辛いですが、それが責任というものです」


 それから、バツが悪そうにノラに詫びた。


「すまんな、ノラ。お前を軽んじている訳ではない。

お前を探す為に、我々は全力を尽くした」


「いいえ! 私、分かります。

何が? って聞かれたら詳しくは言えませんが、分かります。

私なんかより、国を預かる王太子殿下の方がずっと大事です。当たり前のことですから」


 ノラは、子どもだって知っている、だから自分も当然、心得ているという態度だった。

 路地裏の姉弟も部屋の隅で同意した。彼らはいつまでここに居ていいのかこそ分からなかった。誰も追い出そうとしないし、姉の方も出て行こうとしないので、弟も動けないでいた。

 そんな路地裏の姉弟はノラの発言に対するアルバートの反応に驚いた。


「なぜそんな風に考える?

先ほどから、まるで自分が絹の肩掛けよりも価値が無いと言っているように聞こえるのだが」


「はい。おっしゃる通りです。

あの立派な絹の肩掛けは、私が一生働いても買えないかもしれません!

だから私よりも価値があります」


 マリーナは悲しくなった。それは、いつか『リネンの良し悪しも分からないような愚か者が、こんな贅沢品を買おうなんて、身の程知らずなんですって』とアンジェリカに言われたことを、あっけらかんと受け入れたノラを見た時と同じ悲しみだった。


「それは違う!」


「そうよ!」


 マリーナにミリアムの声が続いた。


「確かに絹の肩掛けは素敵だわ。羽織ると気分が高揚するものね。

でも、ノラだって、陽気で楽しくって、話していると気持ちが明るくなるわ

同じだわ」


 「いや、それ意味合いが違う」と、その場の半分くらいの人間が思ったが、言わなかった。

 ノラが嬉しそうだったからだ。


「ううん、同じじゃないわね。

絹の肩掛けは、歌えないもの。

ノラの声はとても可愛くて、私もマリー姉さまも大好きよ。

マリー姉さまは、ノラが針仕事をしながら歌っているのを聞くと、気分がよくなる気がするって……。針仕事も上手よ。この間、私のドレスの襟に縫ってくれた刺繍のなんて可愛かったこと! 私、サロンで褒められたわ。とても趣味が良くって、糸の色の選び方も素晴らしいって!

ほら! 絹の肩掛けなんかより、ずっと、価値があるわ!」


「ミリアムさま……」


 若干、理論がおかしいものの、ミリアムの言葉にノラは自分にも価値があるのだということを知った。そう思ってみると、とても誇らしい気持ちになる。


「私と君との間に、それほどの違いがあるとは思わないよ。

私には出来ないことが君には出来るし、君に出来ないことで、私に出来ることがあるかもしれない。

だが、それが価値の違いとは思わない」


 アルバートが真剣な面持ちで言う。彼の脳裏には、王宮で会う人々と、路地裏で会った人々が浮かんだ。

 そんな王太子の考え方に、一同、戸惑った。

 ”花麗国”出身の画家、アランだけが面白そうだ。


「エンブレアの王太子が、まるで”花麗国”の革命家のような考え方をするんだね。

人は皆、平等、という訳だ」


「平等?」


 聞き慣れない単語に、アルバートの愁眉が顰められた。ついでに言えば、彼の存在にも。


「ところで君は?」


「アランと申します。画家を生業としています。以後、お見知りおきを」


「君が?」


「そう、アランですよ」


 アルバートはトイ軍曹の方を見た。


「ノラの似顔を描いてもらって、捜索の役に立てようと思い、呼びました」


「そうか」


 それからアランに視線を戻す。「絵を見せてもらったよ。とてもよく描けている」


「ありがとうございます。続きを描く許可と資金を頂けますか? 殿下」


 アランは「王妃さまにはもう、頼めなくなってしまったのです」と悪びれない様子だ。


「”ジョン”の絵の続きだね」


「ええ!?」


 あの外套を売って得たお金で描いた”ジョン”の肖像画が、アルバートの手に渡っていたとは、当の被写体であるマリーナが知らなかった。自分の姿がアルバートの手の中にあると想像すると、どこかむず痒い。


 アルバートはちょっと固まっていた。

 不機嫌なのだ。

 アランがマリーナの活き活きとした若葉の瞳を魅力的に描こうとしたことに、嫉妬していた。それから王妃の元からマリーナを助けようとした話も聞いていた。

 

「私に用事があるのでしょう? 聞きたいことがあるから、私に仕事を与えて手元に置こうとしているのでしょう。

本当は私の絵なんて、欠片も興味がない」


 アランは隠す必要が無いので、アルバートの躊躇に不満を表明した。


「そんなことはない。あの絵は――本当によく描けている」


 憎らしいほどに。

 

「そう言って頂けたことだけでも光栄ですよ」


 どこまでもアランの口調は皮肉っぽい。彼は自分が”花麗国”に関するある事を知っていると思われ、トイ商会の御曹司に唾を付けられたことを察していた。

 エンブレア王国に亡命してから、いや、それ以前から、アランはの芸術は世間に認められていなかった。

 生きて、絵を描き続ける為には金が必要だ。加えて、彼には絵の他に、譲れないものがあったのだ。

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