069:蒔かぬ種は生えぬ
橋を渡り終わると、ぱったりとノラの手掛かりが途切れてしまった。
たとえ”屑”でも”パン”である以上、お腹が空いている小鳥たちは啄むが、ここではそうではないようだ。
ありていに言えば、橋のこちら側とあちら側では、同じ王都であっても雰囲気が違う。
道は清潔で、歩いている人たちも余裕がありそうな身なりが多い。薄汚れた子どもたちの代わりに、質素だがきちんとした服を着た子どもたちが歩いている。それもなんの目的もなくブラブラしているのではなく、誰もが何か用事というか、使命感を持っているような顔付きだ。
「妙な感じだ」
雑多な路地裏に慣れてしまった王太子の感想だった。
アルバートは向こう側を確かめるように、川の対岸に目を向けた。
「トイ商会があるな」
「本当ですね」
遮るものがなくなったので、トイ商会の大きな建物がよく見えた。自前のはしけ船が停まっている。
「そうか――ここは……そうなのか」
不意に、アルバートが呟いた。
「どうなさったのですか?」
川面を見つめるアルバートは、悲しそうな顔だった。
マリーナは声を掛けたが、そのまま川沿いに歩き始めた。すると、川岸の柵に、ヒラヒラと手招きするように何かが揺れた。
「あ!」
マリーナが駆けつけると、それは絹の切れ端だった。柵からほどき、「ノラのものです」とアルバートの方に振り向くと、彼はどこからか現れた男と話していた。
慌てて戻る。
「アルバートさま!」
「……大丈夫。
ありがとう、”ジョン”」
自分がアルバートを心配して駆けつけたことに対する礼かと思いきや、”ジョン”とは、今、話していた男だった。
またもや現れた”ジョン”は白髪の上に被っていた帽子を取ると一礼して立ち去った。
マリーナは彼を王宮で見たと思った。あれは――。
答えを出す前に、アルバートが嬉しい報告をした。
「ノラが見つかったよ」
「ええ!? 無事なんですか!? 今、どこに?」
良い話題なのに、アルバートの顔はどこか陰鬱そうだった。
「アルバートさま?」
「トーマスが……」
アルバートがなぜか、王妃によって命を奪われたストークナー公爵の長子・トーマスの名を呼んだ。
「え? ……ええ?」
彼の視線の先に、人影があった。
「トーマスが見つけてくれたようだ……」
人影が振り向いた。トーマス……ではなく、その父親、ストークナー公爵だった。灰色の外套に、手に持った色鮮やかな花束が対照的だ。
「やぁ、アルバート」
「フィリップ叔父上」
王都の一角で、偶然出会ったにしては、叔父も甥も少しも驚いた様子ではなかった。
「ここが……そうなのですね」
「そうだ。
今日は”あの子”の遺体が見つかった日だからね。”あの子”を弔いにきたのだよ」
ストークナー公爵は花束を川に投じた。
まさにその場で、子どもの遺体が上がったのだ。ストークナー公爵は毎月、その日に、花を手向けにやって来ていた。
「トイ商会の向こう岸だったと聞いていました。
一度も足を運ぶこともなく、花を供えるわけでもなく……申し訳ないです」
「いいや。そなたの立場では無理な話と分かっている。
それに私はアルバートにそうして欲しいとは思っていないのだ」
叔父の言葉を、自分はトーマスを悼むことすら許されないのだと、アルバートは受け取った。
「そうではない。そんな顔をするな。
ただ……お前はここに来る必要はないのだ。”あの子”の鎮魂は、私がすれば良い」
「ところで……」と、一転、ストークナー公爵は笑った。
「チェレグド公爵家の使用人を保護したぞ」
「はい。ありがとうございます」
アルバートの表情も明るくなった。
「あの娘はなかなか賢い子だね」
「そのようです」
ニミル公爵夫人もそうだが、どうもエンブレア王国の王族はどこか呑気な気質があるようで、空気がのほほんとしてきた。
「ストークナー公爵閣下。ノラはどこにいますか? 無事なんですか?」
たまらずマリーナが聞くと、ストークナー公爵は頷く。
「君はジョンだったね。君も元気そうで良かったよ。
この間は、顔色がひどく悪かった。
あんまり怖い思いをしたから王宮から下がってしまったとばかり。
しかし、またアルバートの側に戻って来てくれたようだね。
ありがとう」
「い……いえ……」
ストークナー公爵に礼を言われ、マリーナは混乱した。自分は何もしていない。むしろ王妃から助け出してもらったのは自分の方だ。
「先日はありがとうございました。
――ストークナー公爵夫人は……」
元気ですか?
変りはありませんか?
どちらも相応しくない気がして、言葉が続かない。
「セシリアを心配してくれてありがとう。元気だよ。
また君に会いたいそうだ。是非、会ってやってくれ」
「はい。私で良ければ」
「勿論……君でなくてはいけない」
さすが王太子の叔父であるだけあって似ている。やたら意味深な微笑は、無駄に色気があった。
「叔父上!」
思わずアルバートが声を上げ、それから気恥ずかしそうに咳払いをすると、「ノラはどこにいますか?」と尋ねた。
「ああ。そうそう、あの娘はチェレグド公爵邸に送って行こうと言ったら、自分はトイ商会からやって来たから、そちらに戻して欲しいと言われてね。
そのようにしたよ。
トイ商会までは船を使えば、あっという間だからね」
そう、ストークナー公爵は向こう岸に視線を向け、手を振った。
すると、一隻の小さな船がすーっとやって来た。
「君たちも送って行こう。
どうやら同じ所から来たようだね。そして、今頃、大騒ぎになっていそうだ」
「トイ商会には伝言を送ってますので――」
お忍びを咎められたようで、アルバートは気まずそうだ。
「私も行こう」
ストークナー公爵は、そんな甥の返事を待たずにマリーナの手を取って、小船に乗った。
「行かないのか?」
「行きますよ!」
アルバートが出航しようとしている船に飛び乗った。
***
船は鰻漁に使うもののようで、獲ったばかりの鰻がうねうねと桶の中で動いていた。その正体を知らないアルバートは、桶と出来るだけ距離を取った。
「今日は豊漁かな?」
「この季節にしては、ですね。公爵」
漁師はまだ若い男だった。王弟でもあるストークナー公爵と親しげに話しているのが不思議だった。
それに気付いたのか、漁師はアルバートに自分の身の上を話した。
「トムの……トーマスさまの下町の友だちだった者でさぁ。
公爵閣下には、あれ以来、とてもよくして頂いて。
俺だけでなく、あの一画の子どもたちはみんな、ストークナー公爵の子どものように面倒を見て貰った。
勉強もさせてもらったし、仕事の面倒も見てもらえた。
……俺は勉強はどうにも性に合わなかったから、親父の跡を継いで漁師になると言ったら、この船を貰ったのさ」
「畑を耕すもの、魚を獲るもの。様々な職に就くものがあってこそ、国は支えられている。
いけないのは、働く能力があるものが、それにふさわしい、真っ当な仕事に就くことが出来ないことだ」
ストークナー公爵の弁に、アルバートは路地裏の子どもたちを思い出して俯いたものの、すぐに顔を上げた。
「叔父上の恩恵は、向こう岸には与えられないのですか?」
向こう岸。トイ商会のある方だ。
それに対し、ストークナー公爵は割り切った考え方を述べる。
「私は王弟で公爵ではあるものの、なんの力もない。
それこそ、能力があっても仕事をしていない人間だ。鰻も獲れやしない。
……私に出来るのは”あの子”のような子どもを、せめて、あの一画からは出さないようにするだけだ。
あそこは、あの橋のせいで行き来が制限されているから、やり易いこともある」
「あの橋! あの橋の通行料はどこにいっているかご存知ですか?」
「王の命令だ。王のものになっている。昔は王妃に、今は愛人に費やされているはずだ」
『私の出来ることはほんの僅かなのだよ』
ストークナー公爵は呟いた。
王位継承権第二位であり、相手を選ばなければ、まだいくらでも子を望める年の成年男子。その男が大っぴらに国内の改革など始めたら、支持するものも多いだろうが邪推するものも出てくるのは当然の帰結だった。そうなったら、王妃だけなく、王も弟に疑惑の目を向けるだろう。
「――っ!」
当たり前のように言われ、アルバートは絶句した。
「先ほど、あの橋の”せい”で、と言ったが、”おかげ”でと言う者も多い。
おかげで金の無い輩が不用意に入ってこないから……と。
あそこは川の三角州で、入るのも出るのも橋を使うか、船を使うしかない」
「入ってきたら、入って来たで、公爵閣下がなんとかして下さる」
鰻漁師が笑った。
「それに、怪しい連中もすぐに分かるしな」
「ほら」と川の真ん中で、船を止める。
別の小船が近づいてきた。
「パーシー!」
マリーナの声に、今は一人になったパーシーが手を挙げる。
「ご無事で。ノラも無事なようで、重畳です」
「パーシーこそ……」
パーシーを乗せた小船の船頭が「へぇ」といったような顔でマリーナを見ていた。
「ストークナー公爵閣下」
「なんだい?」
「チェレグド公爵へ伝言をお願い出来ませんか?」
王弟公爵を無料で使おうとするパーシーに、ストークナー公爵は鷹揚に頷いた。「よかろう」
パーシーの伝言は手紙という形だったが、口頭でこれだけは述べた。
「ノラを誘拐した男二人は警官に引き渡しておきました」
「そうか。分かった」
小船は再び動きだし、パーシーとは別れることになった。
「パーシーは来ないのですか?」
マリーナが聞くと、ストークナー公爵はアルバートと彼女の顔を交互に見て苦笑した。
「チェレグド公爵が来ているのだろう? 私なら遠慮したいな」
「「?」」
トイ商会の裏手に小船が着くと、鰻漁師は桶をストークナー公爵に差し出した。公爵はそれを断らなかったが、「船賃だよ」と、鰻の値段に色をつけた金を渡した。
アルバートは、船を下りるマリーナに手を差し伸べた。
「君が側に居てくれて心強かったよ」
出来ればもっと側に居て欲しいとは、アルバートには言えなかった。




