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婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


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066:犬も歩けば棒に当たる

 エンブレア王国の王太子・アルバートはまるで極上の絹織物のようだ。

 一度、その手触りを知ったら、もう手放すことが出来ない。下手をすると人生を狂わせる。

 アンジェリカが安易に肩掛けをノラに与えたことに、トイ軍曹が怒ったのもその為だ。

 けれども、ノラはその絹の肩掛けの誘惑に打ち勝ち、それを最も効果的に使う術を見つけ出し、実行しているようだ。

 そのことを知ることが出来たのは、アルバートが無意識でありながらも、その絹織物の如き魅力をうまい具合に使いこなした結果だった。


 駄目で元々と、大通りで聞き込みを開始した二人に、親切な答えもあれば乱暴なものもあった。どちらも大約すれば、「そんな田舎出の小間使いの女の子なんて、この王都には掃いて捨てるほどいる」というものだった。ある意味、ジョンと同じだ。

 違うのは、男たちは忙しそうに立ち去るが、女たちはフードの影から覗くアルバートの顔に興味津々で、無駄に話を引き伸ばそうとしていた。

 マリーナはアルバートの美貌で、もっと有益な情報を引き出したい気持ちと、とっとと次の人に聞き込みをしたい気持ちで焦れた。

 そんな中、一人が言った。


「小間使いは見なかったけど、とても素敵な肩掛けを羽織った女の子は見たわ。

あんな綺麗な絹、最近はあまり見ないわね。

”花麗国”からエンブレアにやってきた織物職人も、満足な絹糸を作るのに数年はかかりそうって――」


「その女の子、どちらの方向で見ましたか!?」


 ノラが誘拐された時、アンジェリカに贈られた見事な絹の肩掛けをしていたことを失念していた。

 田舎出の小間使いの女の子はたくさんいても、あの肩掛けをしている女の子は王都でも数人もいないだろうし、おまけに、それを掛けたまま辺りをうろついているなんて、一人しかいないと言ってもいいだろう。

 

 マリーナを見た女たちの反応は二つに分かれる。

 一つはマリーナを可愛い少年とみなし、アルバートほどではないものの愛想を良くしてくれる方。もう一つは、胡散臭そうに見る方だ。

 有益な情報をくれた女性は、幸いにも前者で、マリーナに向かって親切に「あっちの路地を走っていたわよ」と教えてくれた。それから、なぜあんな高価そうな肩掛けをした女の子が走っていたのかしら、まさか泥棒だったのかしら? と首を傾げた。しかし、それを聞こうとしたら、「ありがとう」とフードを少し上げて微笑む青年の青い瞳と目があって、何もかも忘れ去った。

 うっとりとしている間に、二人の姿は見えなくなっていた。



***



 再び路地裏に行くことになり、マリーナはアルバートを止めた。


「アルバートさまは大通りの方で待っていて下さい」


「ジョンは行くのに?」


「ノラは私の……『夕凪邸』からの”仲間”ですから」


 手がかりを掴んだのに、みすみす手放す気はなかった。


「なら私も行こう。彼女とは王都への旅を共にした”仲間”だ」


 アルバートも食い下がる。


「危険かもしれません。ご自身の御身を一番に考えて下さい」


 マリーナの説得にアルバートは首を振った。「いいや」


「なぜですか!」


 マリーナの問いに対する答えのようでいて、そうでない言葉が返ってきた。


「急ごう。ノラは無事で逃げているようだ。だが、いつまでもそうとは限らない。

トイ軍曹を待っている時間はない。

私一人で行きたいところだが、そうすると、今度はジョンが納得しないだろう。

ならば二人で行くしかない。

……出来れば、君は残って欲しいのだが――」


 「なんだか追いかけてきそうだから」とアルバートは苦笑した。それから顔を引き締める。「それほど危険ではないことを祈ろう。我が王都がね」


 願いはそれなりに叶えられたし、驚いたことに、アルバートは強かった。絹の肩掛けをした女の子の目撃情報を尋ね歩いている途中、無法者たちに囲まれたが、アルバートは彼らの一人からナイフを奪い、手を捻りあげた。そのまま、その男を仲間の男に向かって突き飛ばし、二人がもつれ合っている間にマリーナの手を引き、その場を離脱した。無法者たちの仲間が追ってこないのを確かめるまで、走りに走った。


「怪我は無い?」


 表だって戦ったのはアルバートなのに、彼はあくまでもマリーナを心配してくれる。

 

「はい。足手まといになって申し訳ありません」


「いいや……」


 それっきり、しばらくアルバートは黙った。走ったせいで息が上がっているのかと思いきや、よく見ると、足が震えている。


「でん……いえ、アルバートさま」


「みっともないね。

以前、私も軍務に就いていると言ったが、実戦は未経験だった。これが初陣という訳だ。

――海がエンブレアを守ってくれているから。

ウィステリア卿やアシフォード卿なら……」


 そこまで言って、アルバートはまたもや、自分と海軍士官である従兄たちとを比べてマリーナを困らせようとしていることに気付いた。 

 それで彼女に逃げられてしまったではないか。もう二度と、同じ轍は踏むまい。


「すまない」


「いいえ。

アルバートさま自らが前線に立つようでは……その、国としていろいろと切羽詰まりすぎだと思います。

それに――」


「それに?」


「お強かったです。意外に……あ、いえ、思いもかけず? あっ……そういう意味ではなくって、その……」


 内心はどうであれ、無法者と対峙した時のアルバートは落ち着いて見え、あっさりと相手を無抵抗にしてみせた。

 微妙な表現だったが、マリーナに自らの力を認められ、褒められたので、アルバートは安堵と喜びで壁に背を預けた。


「そう? 良かった。

ランド少尉やトイ軍曹に礼を言わねばな。

彼らは私に手加減を……それほどしてくれなかったのだ」


 しかし、訓練と実戦は大きく違う。

 アルバートはフードを外し、火照った顔を晒す。残念ながら爽やかとはとても言い難い淀んだ空気が彼の頬を撫でた。

 一方で、昼なお薄暗い路地裏には、太陽が現れたようだ。変らぬ美貌だったが、さっきよりも明度も彩度も格段に上がっている。実戦を経験し、無事にマリーナを守れたことで、アルバートに自信が付いたことで、煌びやかさに拍車がかかったからだ。

 額に金髪が張り付いた様子も艶やかで、それを煩わしそうに片手で払い除ける仕草も同様。汗を外套の袖や裾で拭うのではなく、ハンカチを取り出して押さえているのも彼らしい。

 マリーナは自分も息を整えようとしているフリをして、胸を押さえた。


「剣を抜かずに済んで良かったよ」


 アルバートが外套の下に佩いていた剣を、軽く叩いた。


「なぜですか?」


 動揺していたせいか、マリーナは思いっ切り愚問を発してしまったようだ。


「我が剣は、敵に向かって抜かれるもので、我が臣民に対し向けられるものではないからだ――君を守るためには別だけど」


 王太子に刃物を突きつけた段階で、大罪であるが、彼らはアルバートの正体を知らない。よって、敵ではないというのが”王太子の判断”だった。もっとも、マリーナを奪われそうになったら抜く覚悟はある。

 と、アルバートは周囲を見渡して嘆息した。

 闇雲に走ったせいで、またもや道を見失ってしまった。最後にノラらしき女の子を見たと教わった場所がどこかも分からない。


「迷ってしまったね」


「はい」


 マリーナも不安気に辺りを見回した。言伝をした場所からも離れてしまった。トイ軍曹は自分たちを見つけられるだろうか。せめてもう少し大きな道に出た方がいいかもしれない。


「”パン屑”を道しるべに落としてくれば良かったですね」


「”パン屑”を?」


「あ、それを言うのならば”光る石”ですね。”パン屑”では小鳥に食べられてしまいます」


 アルバートが眉を寄せたので、マリーナは言い直した。しかし、相手はますます訳が分からないという表情になった。


「ご存知ないですか? お伽噺でそういうのがあるんです。

父親に森の中に捨てられた兄妹が、”光る石”を辿って家に帰るのです」


 再び捨てられ、今度は”パン屑”を目印に使ったが、小鳥に食べられ、森の中で迷子になってお菓子の家に辿りつくのだ。


「初めて聞くよ」


「外国の昔話らしいので、アルバートさまには耳馴染みがないのでしょう」


 エンブレア王国の王太子には、エンブレアの昔話で教育されるのだろう。

 そんなマリーナにアルバートは首を振る。


「王妃がね……お伽噺が嫌いなんだ。そんな夢物語みたいな話を、子どもに聞かせないでって」


 「実はシンデレラ云々の話を聞いたのも、マリーナ・キール嬢の噂を聞いてからなのだ」とアルバートが白状した。

 シンデレラ。

 男爵令嬢から一国の王妃となったロザリンド・ラブリーこそ、シンデレラだ。

 彼女こそ、お伽噺を体現していると言うのに、お伽話が嫌いだという。


「なぜだろうね?」


「なぜでしょうかね……」


 お伽噺は『こうして王さまとお妃さまは末永く、幸せに暮らしました』で終わるからだ。だが、ロザリンド・ラブリーはそうではなかったと言うことだろう。

 憧れた絹の肩掛けの手触りは、うっとりするほど素晴らしいが、今度はそれを剥ぎ取られる恐怖がやってきたのだ。


 

「これは私のもんだ! 私のもんだって言ってるだろうが! 離せ! 汚い手で触るんじゃないよ! この! この!」



 路地に、女の金きり声が上がった。

 一人の女が、もう一人の女をありったけの力で叩いている。その手には、うっすらと見覚えのある見事な絹の残骸がしっかりと握られていた。

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