064:若気の至り
いくら王太子のためとはいえ、マリーナはノラを見捨てて来たことに、罪悪感を抱きながら馬車に揺られていた。
「心配だね」
アルバートも同感である。その思いに、マリーナの気持ちが一気に乱れた。
「ノラを王都に連れて来るべきではありませんでした!
あの娘は故郷で幸せに過ごしていたのに、それをこちらの事情で、こんな遠くに連れてきて……もしも……もしも何かあったら、ご両親になんてお詫びを?
ナタリーだって、きっと自分が『夕凪邸』に斡旋したせいだと悔やむでしょう」
今にも泣きそうな顔に、アルバートは自分が責められているような感覚に陥った。対象はノラだけでなく、マリーナもだ。
マリーナ・キールもまた、王都から離れた田舎で、何も知らずに義理の家族と慎ましく過ごしていた。それを王太子妃候補として引き出された挙句、家を失い、王都で性別を偽ってもなお、危険な目に合わせてしまっている。アルバートさえ、チェレグド公爵家にちょうど良い娘がいると思い出さなかったら、マリーナは平穏な暮らし……それこそ、ジョアン・ウォーナーと両親の思い出が残る『夕凪邸』で所帯を持って、幸せになれたはずなのに。
「可哀想なノラ。
『夕凪邸』では賊に鉢合わせして怖い目に合ったと言うのに、今度は誘拐されるなんて!
どんなに恐ろしく心細い気持ちでいるか――」
「え?」
「え?」
アルバートがマリーナの台詞に固まった。この場合、怒っている訳でもなく、憂鬱な気分を知られまいとしている訳でもない。
驚き、深く考え込んでいるのだ。
では、何に? 何を? とマリーナはアルバートの顔を覗き込んだ。無礼とは思ったが、ノラのことで何か思いついたのかと思うと、気が急いて王太子の顔の前で手を振ってみた。
その手を、アルバートが掴んだ。
「考え事をしている時に、邪魔はしないで。
上手くまとまらなくなるから」
「も……申し訳ありません」
「でも確かに、その暇は無いかも」
アルバートは「馬車を降りないと」と呟いた。
その声が、まさか御者に聞こえた訳ではないだろうに、なぜか馬車は停まった。
不審がる車内の二人に、御者の押し問答するような声が聞こえる。相手はまだ小さな子どものようだ。”元気一杯”に「痛いよぉ!」と訴えている。
「当り屋です」
「あの、馬車にわざと当たって、お金をせびるという?」
前回の社会見学が役に立っているらしい。アルバートも幼い子どもたちの危険な仕事を知っていた。
「はい」
「――その善悪は置いておくとして、私は馬車を降りる」
「私も行きます!」
離されようとした手を、マリーナは掴み直す。王太子を一人には出来ないし、何よりも「ノラのことなんですよね?」
「そうだ。急がないと危ないかもしれない」
「ええ!?」
マリーナとミリアムを乗せたチェレグド公爵家の馬車の御者は、当り屋の上手なあしらい方を心得ていた。要は金が目当てなのだから、幾ばくか握らせて、すぐにその場を立ち去ればいいのだ。問題の解決にはならないし、目を付けられて鴨にされてしまうこともあるが、そうしないと、子どもをひき逃げするのかと、さらなる人を呼ぶことになる。
王太子の馬車はすでにその状態になりかかっていた。馬車の後ろに立っていた護衛が、集まって来た群衆を散らそうとするが、多くは子どもたちなので、手荒な真似が出来ずに、車内に人が入ったり、覗いたりしないように守るしかなくなっていた。
御者は業を煮やし、無理矢理、馬を走らせようとした。
その瞬間に、アルバートとマリーナは反対の扉から出た。
対向してきた馬車を躱し、急いで物陰に隠れる。振り返ると、馬車は再び囲まれてしまっていた。御者も護衛も、身動きできない有様だった。
「どういうことですか?」
さらに元来た方向に歩きながら、マリーナはアルバートに問うた。
「ノラは『夕凪邸』襲撃犯の顔を見たと言ったね」
「正確には、賊と鉢合わせです。顔は覆面をしてあって定かではないと」
「そうなのか――?」
では早まったかな、とアルバートは言いながらも歩は緩めなかった。
「ノラのことを聞かせて。
ここ最近、何か気になることは?」
アルバートの質問にマリーナはそれほど長く考えなかった。つい、最近、聞いたばかりだったからだ。
「王都は怖い所だって。
お釣りは誤魔化されるし、怖い顔の人に見られているような気がするって――あ!」
またもや固まりかけて、動きが鈍くなったアルバートをマリーナは道の端に寄せる。
王太子の金髪と美貌はひどく目立ち、道行く人々から視線を集めているような気がした。
アルバートもそれに気づいたのか、外套に付いているフードを目深に被った。彼の容姿が人目を惹くことから、トイ軍曹がローレンス翁に相談して予め、フード付の外套を着せていたのだ。
フードの下から、アルバートの青い瞳がマリーナを見下ろす。
「ノラはいつも一人で外出を?」
「いいえ。護衛が付いています。何かあったらいけませんから」
それは王妃への対策であった。
「それなのに、その護衛はノラが言う怖い顔の人について何も報告しなかったの?」
「――よく分かりません」
「していないのかもしれない。していたら、チェレグド公爵が護衛に確認させたりするはずだ。
つまり、護衛は”怖い顔の人”をノラに対する脅威と認識していなかった」
「そんなことあるのでしょうか?」
いくら公爵本人や夫人を守る人間よりも格が落ちるであろう”使用人の護衛”であっても、チェレグド公爵家の使用人は総じて質が高い。ノラの護衛も、職務をこなすに十分な人材を当ててくれている。
「もしも、その怖い顔が、世間一般的に”怖い”と認識出来ればね。
ノラを見ていたのはごく平凡な、そこら辺にいる善良な人間のようだったのかもしれない」
「でも、ノラはその人を”怖い”と思った?」
「そう……もしも、『夕凪邸』を爆破炎上させた犯人だと無意識に認識していたら?
どんな優しい顔をした人だって、正体が殺人犯だと知っていたら、恐ろしく見えないだろうか?」
犯人たちは覆面をしていたが、目元は開いていた。
ノラはもしかすると王都の市場で彼とすれ違ったのかもしれない。その時、どこかで見たことがあると思ってしまったのだろう。愛想の良い娘であったから、つい「こんにちは!」と挨拶してしまった可能性もある。それから、その人間が”怖い人”だったような気がすると思ったのだ。もっとも、『夕凪邸』を襲撃した犯人かどうかは辿りついていない。
それを犯人も調査済みだ。
「――っ!
それじゃあ、ノラはアンジェリカ嬢の代わりに攫われたのではなく、犯人は元からノラを狙っていたと?」
アンジェリカと共にノラも見ていたトイ商会の護衛がお嬢さまに気を取られ、ノラから目が離れた。
犯人はこれぞ好機とノラを誘拐したのだ。
「誘拐じゃないかもしれないということですか?」
犯人にとって顔を見られた以上、誰かにそれを話す前に始末しないといけないはずだ。
マリーナは足が震えた。
金目当ての誘拐ならば、まだ要求を呑む姿勢を見せることで無事に返してもらえるかもしれない。助け出す時間も稼げる。
けれども、この場合、問答無用で殺されてしまうかもしれないのだ。攫ったのは、治安の良いトイ商会周辺地域ではなく、もっと人目がない、もしくはあっても、誰が殺されようが気にもされないような場所に連れて行くためにだ。
「ああ、ジョン。一刻の猶予も無い。すぐに探して助けないと」
「はい!」
***
トイ軍曹には一つだけ誤算があった。
彼はマリーナとアルバートを互いに牽制させることで、互いの無事を確保させようとしていた。だが、二人の意見が一致し、気分が盛り上がった場合、止めるものがいない上に、相乗効果で暴走に拍車がかかってしまうのだ。
この場に居ないチェレグド公爵ならばこう言ったであろう。
『そっちじゃなくって、恋愛方向に暴走すればいいのに』
止める者がいない二人の若者は、雑然とした王都の中でも危険な路地裏に、闇雲に突き進んでいった。




