057:看板に偽りなし
トイ商会は王都の商業地区に本店兼住居を構えていた。
港に繋がる河川を背にし、そこから船で荷揚げされた商品が、広い道路に面した正面側から出て行く。間を通っていく時に、商品は値踏みされ、価格がつけらる。
何台もの馬車や荷車が出入りし、そこから羽振りのよさそうな商人や人足が慌ただしく吐き出されては吸い込まれていく。または、一攫千金を狙うような怪しげな輩もうろついている。とにもかくにも、大層な賑わいだ。
「ノラがここの娘さんと?」
マリーナは一体全体、どういった経緯で、こんな大きな商家の娘とノラが知り合いになったのか気になった。商家の娘、というよりも、令嬢と言った方が相応しい。『夕凪邸』のマリーナ・キール嬢よりも財産があるだろう。
「なんでも、市場で知り合ったようよ。
ちゃんとした家の娘さんだから、それほど心配はないようだけど……もっとも、チェレグド公爵も王妃さまも、トイ商会の顧客でいらっしゃるから、取り入りたいとは思っているかもね」
どちら側につきたい訳ではなく、商売人として、出来る限り損をしないように上手に双方と付き合いたいのだ。
それには令嬢の侍女でも、伝手があって悪くは無い。
そのおかげか、チェレグド公爵邸からやって来た二人の令嬢は、人混みを縫って応接間に通された。
ゴールドンと名乗った若い女性が安心するような風貌の、しかし、やり手そうな壮年の商会の人間が、恭しく二人にお茶を勧め、主人が不在なことを詫び、用件を聞いた。
鯨の歯の彫刻を渡されたゴールドンは、それを手に取り、ひっくり返したり、透かしたり、じっくりと観察すると、「元通りにならなくても構わないと? たとえば、ここを金で継ぐといった方法でもよろしいですか? 腕の良い職人を知っています」と確認した。
「構わないわ。出来るだけ、頑丈にしてね」と言うミリアムの許可を得ると、それ以上、客を煩わせることなく、鯨の歯の彫刻の預かり書を作り始めた。
どうやら話はうまくまとまったようだ。
「さすがトイ商会。噂通り、売っていないものはないわね」
ミリアムが褒めると、ゴールドンは顔を上げ微笑んだ。「嬉しいお言葉です」
「しかし、我がトイ商会でも売っていないものがあります」
「あら? そうなの」
「はい。お嬢さまのような美しさは、いくらお金を積んでも、商うことは出来ません」
客を良い気分にさせておいて、続けて彼はこう言った。
「折角のお越しです。どうぞ見て行って頂きたいものがあります」
早く帰りたいマリーナは遠慮したかったが、ゴールドンは素早く人を呼び、目の前に宝石類を並べた。
「悪いけど、宝飾品に興味はないの」
ごくり、と喉が鳴ったミリアムだったが、今流行りの”花麗国”風ではご法度の贅沢品だ。こんなに大きい宝石は野暮だし、第一、手持ちがない。
彼女がチェレグド公爵邸の”方”から来たのは嘘ではないが、単なる客分なのだ。鯨の歯の彫刻の修理費用はチェレグド公爵が出してくれるが、それは「ではこの鯨の歯の彫刻の契約は、私が全船乗りの代表として返そう」という理由で、全額負担してくれることになっただけだ。
「それはもったいないことです。
お嬢さまのような美しい方には、美しいものがお似合いと思いますのに。
そちらのお嬢さまは?」
水を向けられたマリーナも首を振った。
「用件が済んだので、もう帰ります」
断ったものの宝石から目が離せないミリアムの注意を必死で引き、ゴールドンに預かり書を渡してもらうように頼む。
ゴールドンは二人の淑女の気持ちを惹けなかったことに失望した様子は見せなかった。商売人としては残念なことだが、若い娘が考えも無しに高価なものに飛びつくような真似をしなかったことに好感を抱く。
「では、お菓子をどうぞ。お茶のお代わりも。
預かり書はもう少しかかります。
壊れている箇所だけでなく、他に傷があるかどうか一緒に確認して貰わねばなりませんので」
王太子のボタンと同じように、責任の所在を明白にしておかなければならないのだ。ゴールドンは定規と物差し、ディバイダなどを持ち出し、簡単でありながら正確な実測を取り、拡大鏡を使って傷や気になった点をミリアムに確認しながら書き込んでいく。
マリーナは諦めてお茶を頂くことにした。宝石は下げて貰った。目に毒だ。
「今は流行らなくて御商売としては困ったことでしょうね」
ミリアムが惜しそうに言った。
「いえいえ、お買い求めになる方はそれなりにおりますよ」
「――あら? 本当??」
「はい。宝石は今は流行っていませんが、いつの世でも人を魅了する力をもっています。
それにベルトカーン王国や神聖イルタリア帝国などに持っていけば高く転売できますしね。
流行っていないおかげで、値は下がっています。買い時ですよ。
いかがですか? 宝石ではなく、金も扱っております。この鯨の歯の彫刻に、金の鎖などは?」
「そうねぇ」
とにかく修理にかかった費用は全額、チェレグド公爵が払ってくれるのだ。紐を金の鎖に付け替えるのも、その中に含めようと思えばできそうだ。本来ならば、無条件でどんな願いも叶えられるという鯨の歯の彫刻を、使う前に失効させてしまった。とはいえ、事故であり故意ではないのだから、その恩恵を享受したって罰は当たらない。それどころか、父親の残した遺産を無駄にせずに済むではないか。どうせもうサロンにはつけて行かない訳だし。
「ミリー……さま」
一応、ミリアムの友人という体で付き添ってきたマリーナは窘めた。
「わ……分かっているわよ!」
そう、どうせ直ったらローズマリーが大事に保管するのだ。皮の紐だろうが、金の鎖だろうが、ミリアムの首を飾ることはないだろう。
資産的な価値などよりも、ミリアムは自分を装えるかどうかで物事を判断する。
「――止めておきます」
「そうですか。お気持ちが変りましたらご連絡を。価格は勉強させてもらいます」
「でも、売値が下がったら、やはりご損ではないのですか?」
やけに宝石や金を売り込んでくるゴールドンを、マリーナは不思議に思った。
「いいえ。価格が下がったのは需要が減ったからだけではないのです」
「と、言いますと?」
商売の手の内を見せないのが商売人と思いきや、ゴールドンは開けっぴろげに告白した。このくらい、秘密でもなんでもないらしい。
「供給が過多なのですよ。
”花麗国”から亡命してきた貴族の方々が、持って来た貴金属類を買って欲しいと持ち込んで来ていましてね。
下手なところに持ち込めば、足元を見られ、買いたたかれますが、我がトイ商会は違います。正しく宝石の価値を判断しておりますし、金は相場に従っております。
そのせいで、ここ最近は、持ち込みがさらに増えています」
それでも、出来るだけ高額で買い取るようにしているのだ。そうすれば、ますます宝石類は集まってくる。それをまず裸石にし、新たな顧客が気に入るような作り直すのだ。新たな顧客とは、ベルトカーン王国や神聖イルタリア帝国である。トイ商会は販路を持っているので、多少の費用は必要経費だ。儲けは十分出る。その合間に、エンブレア王国の貴族たちに売りつけることも忘れない。このキナ臭い情勢では、紙幣よりも貴金属の方が確かなものになるはずだ。本来ならば高騰してもおかしくないはずなのだが、最新の”花麗国”風のお洒落が一世を風靡していることが、歯止めとなっていた。
「お嬢さまのような美しい方が、宝石で着飾って下さいますと、また流れが変わるかもしれません。
宝石を小さくして売るという案も出ましたが、さすが”花麗国”の貴族ともなれば、いずれ大きさも質も見事な品ばかりで、それを砕くのは躊躇されます。
宝石は、相応しい方が、相応しい形でお持ちになるべきです」
ゴールドンは宝飾品に造詣と愛情を深く持っていると見え、最後の方は、やや本音が見えた。
「そうですか……ありがとうございます。また今度」
会話をしながらも、手は動いていたゴールドンから、ようやく出来た預かり書の控えを受け取る。
「三日もすれば修理は終わるでしょう。急がせます。出来上がりましたらお届けしますか?」
「お願いします」
受け取るに行くと言う口実で、また遊びに出たがったミリアムの代わりに、マリーナが返事をしたが、ゴールドンは「承りました」と返した。




