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婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


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056:宝の持ち腐れ

 馬車に揺られながら、ミリアムは感心してみせた。


「まぁ、この小さな鯨の歯の彫刻が、そんなにすごいものだったとはねぇ」


 チェレグド公爵が語った鯨の歯の彫刻の由来は、単なる形式的なお守りではなかった。もっと実質的な契約の証だというのだ。


「ウォーナー海尉は立派な方だったのですね」


「そうみたい」


 同乗しているマリーナの言葉に、ミリアムの顔が誇りに輝いた。

 彼女が受け継いだ鯨の歯の彫刻は、命を助けられた、あるいはそれと等しい扱いを受けた船乗りが、恩人に感謝して捧げるものだった。ある種の勲章であり、助けてもらった恩をいつの日か返すための目印であった。しかもそれは、助けられた本人だけではなく、同じ船乗り同士が、その証を持つ者の求めに応じて、無条件で手助けをすることで、それを果たせることになっているという。

 主にエンブレア王国の軍艦乗りに伝わっている密かな伝統で、『夕凪邸』にいた手先の器用なリードのような仲間に頼んで特別に作ってもらっているそうだ。

 ただし、乱用は縛められ、その使用は一回限りとされている。


「それがこの通し穴が壊れているか、そうでないか……だったなんて」


 契約が果たされたことを証明する為に、鯨の歯の彫刻は、紐から引き千切られることになっていた。

 父親が行った勇敢なる善行の成果を、ふいにしてしまったことに、粗忽な娘は一瞬、顔を曇らせたが、楽天家でもある彼女は続いて朗らかに言い放った。「やっぱり、この通し穴自体、弱く出来ていたのね」

 だから壊れても当然よ、と言わんばかりだった。


 一緒に話を聞いていたローズマリーは、さすがに怒りかけたが、「大体、私たちが何をした訳でもないのに、誰かに助けてもらおうなんて、虫のいい話よね」というミリアムの言い逃れに近い言葉に、それもそうかもしれないと納得してしまった。軍艦乗りであり、由来を知っているはずの兄が、何も言い残していかなかったということは、形式的なお守りとして残したはずだ。ならば、形さえ残っていれば、その役目は果たせる。

 なによりも、ほとんど初めて”父親”の評判を聞いたミリアムが嬉しそうだったので、水を差したくなかった。

 思えば、ローズマリーには、かろうじておぼろげに父親の記憶があったものの、ミリアムにはそれすらもなかったのだ。ウォーナー海尉は末っ子が産まれて間もなく、末娘を一度も抱くこともなく、亡くなってしまったからだ。

 身の回りの物は、艦の仲間たちが買い取った。陸の上では二束三文のものでも、海の上では役に立つものもあれば、残された家族に幾ばくかの見舞金として渡すために買われたものもあった。

 だが、勿論、勲章ともいえる鯨の歯の彫刻は数少ない遺品として、ウォーナー一家に戻された。


 その時に、説明があれば良かったのに。ミリアムはそう思った。なにしろ、彼女は父親が軍艦のマストの上から誤って滑落して亡くなったことを聞くたびに、自分の不用意さは父譲りなのかもしれないと疑っていたからだ。そして、それ以外、ミリアムは父親を評価する情報を得ていなかったのだ。


「お母さまもお姉さまもちっとも話してくれないから、これは話すようなことがないんだとばかり思っていたわ」


「そんなこと、ありませんよ。

……きっとお辛かったのでしょう」


「そうかしら?」


 幼い娘の前で、夫の死を嘆いたり、それに伴う生活の苦労を漏らしたくなかったのであろう。

 キール夫人だって思い出を共有したい気持ちもあったが、それはジョアンが担当していた。頼りになる一人息子は、妹たちに心配を掛けないように、母親を慰め、励ましていた。父親のことを知りたいという妹への気配りを欠いていたが、それだって、ジョアン自身が父の軍歴を聞き知るには時間がかかり、大方を知り得た後、家族は『夕凪邸』へと越していたからだ。そうなると、キール艦長の手前、実の父親のことを言うのは憚られたのだ。なんとなく、妹たちが実の父親とマリーナの父親とを”比べて”しまうのではないかと恐れたからだ。何も知らなければ比べようがない。

 しかし、ミリアムは知らないからこそ、誤った認識を作り上げてしまった。


「私は父の姿を全然知らないから、悪い方、悪い方に考えてしまっていたわ。

あれね、マリーナの言う、”幻想の乙女”の反対ね。

もう二度と会えないからこそ、挽回の機会がなかったの。

あ、でもキール艦長と比べたりはしなかったわよ。あなたったら、一体、どうして母親と自分を比べるようなことをしちゃったの?」


「いえ……私は母”とは”……」


「とは?」


 お洒落と色恋沙汰にはありったけの感覚を張っているミリアムは、マリーナの言い方に敏感に反応した。

 ローズマリーが知識欲にかられたのと同じくらいの情熱で、興味が湧いてくる。妹は確かにどこか変わったかもしれない。


「ふーん。そうだわ、ちょっと聞きたいのだけど、マリーナ。あのボタンはどなたの?」


「……ボタン?」


 なんのことかしら?

 マリーナはとぼけようとしたが、彼女が父親の形見の他にもう一つ、肌身離さず持っている物があることはすでに見られてしまっていた。


「そうよ。公爵にあなたの鯨の歯の彫刻を見せた時、一緒に吊るされていたボタンよ。

あれも鯨歯製に見えたけど?」


 小さなボタンだったが、わざわざ持ち歩いているのが怪しい。王宮に上がる前までは、持っていなかったし、下がってきてからは、しょっちゅう、それを触っていた。


「あ……あの……その――」


 マリーナの顔は赤らんでいた。


「いいわ。聞かないでおいてあげる」


 さらりとミリアムが言ったが、どこか訳知り顔で、余計にマリーナは恥ずかしかった。

 恥ずかしいと言えば、久しぶりにドレス姿での外出なのもそうだ。男装姿が板につきすぎて、ドレスを着て外に出るなんて信じられない気分だ。おまけに、ミリアムが気合をいれて選んだ”花麗国”風のドレスなのだ。胸元がいやに涼しく、スカートも履いている気になれなかった。

 王妃に付けられた顔の傷を隠すのに、薄いベールを付けているが、もっと長く厚い生地をすっぽりかぶりたい気持ちだ。

 チェレグド公爵もローズマリーもミリアムと同じく、マリーナには気晴らしが必要だと外出を勧めてくれたが、それだけで気疲れしそうなほど、馴染まない。

 せめて、男の恰好をして出てくればよかった。

 さっさと用件だけを済ませて帰りたいというのが本音だった。


「と、ところで! その鯨の歯の彫刻、直す当てがあるそうですが?」


「ええ! トイ商会という場所よ。

貿易から国内での商売まで手広くやっているエンブレア一の商会らしいわ。だから顔も広いの。

ノラがそこの娘さんと、なぜか仲良くなってね。

そこなら、どんな物でも取り扱っているって。相談してみる価値はあると思うわ」


「トイ商会???」


 聞いたことのあるような名前に、マリーナは一抹の不安を覚えた。

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