053:気は心
チェレグド公爵家の使用人たちは、美しいミリアム・キールにパーシー・ブラッドの行方を聞かれるのが日課のようになっていた。
だが、答えられる言葉といったら「申し訳ありません。存じません。お嬢さま」しかない。
今日も、ミリアムは外套を片手に、パーシーを探す。
「もーう! どこに行ったの?
『夕凪邸』から王都に来てから、姿も見てないんだけど!
ねぇ、ノラ? ノラ? って、ノラもいないの?」
「みんな、私を置いて、遊びに行っちゃって! ずるいわ!」憤慨したミリアムが部屋に入って来て、マリーナの隣に座った。
「ミリー姉さま、ノラもどこかに行っているんですか?」
チェレグド公爵家特製の、今度こそ苦い薬を飲みながら、マリーナは顔を顰めた。
「そうよ。
そんな顔しないで。
だって、あの年頃の女の子を、ずっと部屋に閉じ込めておくわけにはいかないわ。マリー姉さまじゃあるまいし。
私はいいのよ。今、すっごく素敵なサロンに出入り出来るようになったの。
でも、ノラはそうじゃないでしょ?
少しくらい息抜きとして、王都の賑やかな市や祭りを見ないと。田舎に帰ってから、お友だちに話も出来ないのじゃ、可哀想よ」
そう言うミリアムも、素敵なサロンだけでなく、雑多な人混みに想いを馳せているようだ。
「危なくはないのですか?」
マリーナは向かいに座っているローズマリーに聞いた。
キール家の長女の体調はかなり良さそうだ。なんなら、チェレグド公爵に運び込まれた時のマリーナよりもずっと顔色が良い。
「危ない場所には行かせないわ。簡単なお使いをさせているの。
護衛も付けてもらっているわ。
ミリーの言う通り、あまり閉じ込めておくと、勝手に抜け出そうなんて、よからぬことを思いついてしまうかもしれない。
それにね……」
ローズマリーは咎めるようにミリアムを見た。
「王都は魅力的だけど、危険な場所だって見せておかないと、肝心な時に自衛出来なくなるわ」
「そうよ〜」
姉の視線の意図など、まったく感じ取れない妹は、さらに下の妹に訳知り顔で言う。
「公爵家の使用人だって知られたら、いろんな人が誘惑してくるんですって。
使用人を通じて、公爵や夫人に繋がりを持とうとするらしいわ。あるいは、情報を引き出そうとしたり、最悪、内部に手引きするように誘導されるんですって!
マリーナもそうじゃない? 王太子殿下の一番、近くにいるんだから」
「それは私も知りたいわ、マリーナ」
姉二人の問いにマリーナは頭を振った。「そんなこと、なかったわ」
ロバートに言わせれば、自分が王太子にもっとも近くて、もっとも信頼されているから、”ジョン”などの力は要らないだろうし、ローレンスはボタンの数しか興味がないし、ランド少尉もトイ軍曹も実力でもって王太子の信任を得ている。その他の人間と言っても、マリーナはあまり面識がなかった。
「そう言えば、王宮に上がってすぐに、宮殿の中を案内してくれようとしたり、街の話をして誘ってくれる人がいたんだけど――」
「「ど?」」
「いつの間にかいなくなってしまって」
あ……察し。
どうやら王太子はマリーナに変な虫が付かないように、囲っていたようだ。近づけば王太子の知己になれるどころか、左遷なんて、恐ろしくて近寄りたくない。そりゃあ、『王太子、ご乱心?』の噂が出回ってくるのも頷ける。ローズマリーは参考として手に入れている反王政派が出している機関誌をそれとなく隠した。今はまだ、反対勢力が”魅惑の王子さま”の評判を落とそうと誹謗中傷しているだけだが、それを裏付けるような行動があっては敵に利となってしまう。
「ねぇ、もう王宮には戻らないのでしょう?」
ローズマリーは、妹の今後の身の振り方が気になった。
チェレグド公爵は王妃の元に、何人か密偵を放っていた。なので、マリーナが王妃に呼び出されたのを王太子よりも早く知ることが出来た。
もっとも、幸いにも王妃との直接対決は避けられた。
『会議を切り上げて、急いで助けに行ったら、先にストークナー公爵”夫妻”が来ていたので、そちらに任せたのだ。その方が角が立たない』
彼は同時に、王太子の所にも、当然、人を差し向けていた。
マリーナどころか、”ジョン”まで王妃に目を付けられてしまった。おまけに、マリーナ自身も酷く体調を崩していたので、公爵家に戻すことにしたのだ。顔と心に傷は作ってしまったが、これで姪も”満足”したことだろう。二つの傷も、それほど深くはない。すぐに良くなるはずだ。
だが、帰って来た直後のマリーナは悄然としていて、今もそうだった。
「そうね……」
「王妃さま、そんなに怖かったの?」
その正体を見極めると意気揚々に王宮に上がった妹の変わり様に、ローズマリーは俄然、好奇心を刺激される。
「いいえ」
「違うの?」
「恐れるような方ではないと思いました。ですが、決して侮ってもいけない方でした」
自身になんの力もないのに、王妃と単独で対面してしまった。マリーナは項垂れた。怖いのとは違う。王妃という人間はあくまでも卑怯でずるい、軽蔑すべき相手だった。怖いのは、美しく気高く、尊敬すべきヴァイオレット妃の方だ。その人は、遠くにいて会うこともなくアルバートの心を占めていた。彼女をベルトカーン王国に嫁がせようと言う話が出ただけで、温厚な彼があれほどまでに動揺し、怒ったのだ。
「ねぇねぇ……」
もう一人の姉が、遠慮がちに、それでも抑えきれない興味で落ち込み続ける妹に問いかける。
「王妃さま、どんな服を着ていた?」
ローズマリーは実の妹の軽薄さに呆れ、マリーナは苦笑した。ただ、苦笑いとはいえ、笑顔が出たのは確かで、それだけでも身体の力が抜ける効果があった。重苦しかった口調が、僅かに明るくなり、皮肉っぽさまで出る。
「”花麗国”の最新流行で全身を固めていました。すごく涼しそうで、風邪を引きそうだと思いました」
「まぁ、実際、若い娘の間で風邪が流行っているそうよ。どこぞの男爵家のご令嬢は肺炎になってしまわれたんですって」
ミリアムはその涼しい恰好の上に、早くも厚い毛織物を羽織っていた。チェレグド公爵家の領地から取り寄せた薪が、部屋の暖炉に惜しみなくくべられている。その中には、かつて『東の森』に立っていた木もあるかもしれない。
ともあれ、部屋はいつも温かく、ローズマリーもミリアムも風邪を引く心配はなかった。マリーナもほっとする温かさに包まれていた。しばらくすると、ローズマリーの昼寝の時間になったので、やはり同じように温められているミリアムの部屋に行くことになった。
マリーナはチェレグド公爵邸の中ではミリアムを訪ねて来た客人として扱われていた。
チェレグド公爵が王妃と王太子を探っているのならば、王妃側だってそうなのである。公爵はわざと反目する側から送られた数名の密偵を”飼って”いた。あまりに厳重に締め出すと、何か企んでいると疑われるだろうし、さらなる手練れを送り込まれることもある。そこで、適当な情報を流しながら飼い殺しにすることで、自らを守り、相手側を操作していた。
マリーナを演じるローズマリーの部屋近辺は、限られた信用のおける使用人たち以外の立ち入りを厳重に禁止もしていたが、念には念を入れたのである。
客人としてミリアムの部屋に訪れたマリーナは、再び温かい部屋で気の置けない会話を始めたのだが、どうにも姉の様子がおかしいことに妹は気づいた。自分も落ち込んでいるが、ミリアムもそうなのだ。
「何かお困りごとでもあるのですか?」
『夕凪邸』を失った時に手放したはずの悪い癖が出た。マリーナは自分のことよりも、姉の心配をしだした。ミリアムもまた、遠慮するような性格ではなかった。むしろ、ローズマリーには相談出来ない、ノラにも、他の使用人にも話せないことを打ち明けることの出来る相手が帰って来たのをこれ幸いとした。
「それがね……壊しちゃったのよ」
マリーナは「また?」という言葉を飲み込んで、「何をですか?」と聞いた。




