049:鳥なき里の蝙蝠
「お前がジョン? アルバートの新しい小姓の?」
冷たく傲慢な声がマリーナの頭に降り注ぐ。
自分のお気に入り、自分に反対しない者たちの中では、王妃は、まさしく、その場の女王となることが出来た。「顔を上げなさい」
マリーナは自分の顔がどちらかと言えば、父親似であることを願った。
が、王妃はその顔の中に、ある人間の影を見た。
「その目、嫌な目ね」
吐き捨てるように言われた。
若葉のような緑色の瞳、と父親に讃えられ、王太子にも褒められた目だが、王妃には気に入らないらしい。
すぐに視線を落とせば、「誰が顔を伏せていいと言ったのよ!」と、いかにも苛ついた声で咎められた。
嫌な目だって、言ったからじゃないの!
マリーナは腹が立った。王妃にも、何よりも、迂闊な自分に。
「お許しください、王妃さま。
この者は恥ずかしいのです」
相変わらず勘違いをしたままのロバートが口添えする。
「恥ずかしい?」
「はい。先程も申しましたように、この者は、王妃さまのお美しさにすっかり参ってしまっているのです。
きっと眩しすぎて直視出来ないのでしょう」
そう言うロバートも、ちらちらと王妃を伺っては、目を逸らす。挙動不審であるが、王妃にはそれが可愛く映る。
「あら、そうなの?」
「はい。王妃さま。
私が住んでいた田舎には王妃さまのようなお方はおられませんでした」
村にだって、傲慢で、意地が悪く、自己中心的な人間はいた。だが、王妃ほど豪勢に着飾っているくせに、卑屈な人間などいなかった。
そういう意味である。
王妃は褒め言葉として受け取ったようだ。
「あら……そう、そうね。
田舎者には、この王都は……王宮は何もかもが美しく珍しく見えるでしょう」
「はい。何もかもが珍しく、戸惑うばかりです」
なるべく、嘘は言わないようにした。
王妃は自分に不利な言葉には敏感そうだったからだ。
「あなたキール男爵の縁故らしいけど、では、あなたの父親はどんな方?」
赤い服を着た人々がざわついた。
『暁城』にはロバートが随行していた。そこから大体の情報が漏れたのだろう。
敵艦に包囲されているって、こういうことかしら。「よく分かりません。その……父は、いつも船に乗っていて、稀にしか帰ってこないので」
「名前は?」
「――ジョンです。ジョン……グリーン。私と同じ名前です」
キール艦長の名は、本当にジョンなのだ。
「そう。下々のものは簡単でいいわね」
笑われた。
どんなことでも、人を嘲る癖がついているようだ。それに合わせて取り巻きも、マリーナを卑下して見る。
母親が『意地悪な公爵令嬢』を読んだ後に、いつも言い聞かせた教訓が脳裏に過ぎった。
『誰かが誰かを貶めれば、他の人もそれを真似するでしょう』
その結果が、この王妃という化け物を生み出してしまったのだ。だが、最初に彼女を貶めたのは、マリーナの母というのも忘れてはならない。
「母親は? なんてお名前? 同じような不気味な緑色の瞳をしているの?」
王妃があからさまに煽ったが、母親の教訓のおかげで、マリーナは怒りながらも冷静だった。
「私の母はもっと綺麗な緑の瞳です。名前はエヴァです」
父が母を愛情込めて呼ぶ時の名だった。「エヴァ・グリーンです」思いもかけず、いい名前となったので、つい微笑んでしまった。気をよくして、愛想良く「母に王妃さまにお目通りが叶ったことを報告してもよろしいですか?」と聞いてみた。
「お母さまは生きているの?」
「はい。”母”は健在です」
継母だけど。
と、マリーナはさらに良い事を思いつく。嘘は吐かないまでも、王妃を煙に巻く方法だ。
「それから姉にも!」
「姉?」
「はい。私の姉は、私が王宮に上がってから、王妃さまをお見かけしたか、どんな衣装を着ていたのか、しきりに知りたがっています」
それはまごうことなき、本当のことだった。ミリアムは”花麗国”のお洒落の最先端をいく、エンブレア王国の王妃の動向が気になっている。
王妃もまんざらではないようだ。手にした扇を開いた。ミリアムが見たら、その扇面に書かれた花の絵も、今、流行りの図案だと歓喜するだろう。
「ですが、私は女性の服には疎いので、どう説明して良いのか分かりません」
ついでに、”異性”を強調しておく。
すると王妃が扇を口元にやった。そのまま小首を傾げる姿はひどく愛らしい少女のようだ。
「可愛いことを言うわね。あなた」
マリーナは王妃を上手くやりすごせた、と自分の賢さを過信した。王妃は自分の耳に心地よい言葉を与えれば、満足してくれるのだと、侮ってしまった。
対して、王妃はもったいぶった仕草で王妃付き女官長のハンナを呼び、何事かを囁いた。
ハンナは王妃の代わりに、一人の名を呼んだ。
「アラン」
「はい。王妃さま、お呼びでしょうか」
美しい金髪の瀟洒な身なりの男が進み出た。王妃が扇を閉じて片手を差し出したので、彼はその手に口付けをした。ロバートの大きな身が震えた。
「この子の絵を描いてくれない?」
「え……」
アランと呼ばれた”花麗国”風の身なりの画家と思わしき男は、怪訝な表情をした。
「私は王妃さまのお美しい姿を描きたいのです」
このような貧相な小僧ではない――。
そう王太子の小姓を指差そうとして、アランはその顔を見直した。
想定外の出来事に、不安そうに揺れているが、素晴らしい緑色の瞳の持ち主だった。さらに少年と少女、子どもと大人の狭間にあるような姿形に、すっかり魅了され、創作意欲がかき立てられる。
「あなたの腕前を見せて貰わないと、私の絵を任せる気にはなれないわ。
だからこの子の絵を描いて。それを見てから、決めるわ。
もし、上手に描けたら、あなたに、陛下に差し上げる私の肖像画をお願いするわ。
陛下が側に置いて、いつでも私のことを想い出して下さるような――」
いかにもこの美しい私を描ける技量があるかしら? という驕った発言だった。
しかし、アランはその条件をよしとした。
彼の芸術的な感性が、この不可思議な雰囲気の少年を描いてみたいと訴えたのだ。
「承知しました。
是非、王妃さまの絵を描けるように、努力しましょう」
マリーナはアランが自分の姿を描き写そうと、紙の上にペンを走らせるのを見た。想定していなかった事態に、彼女は困惑した。
なぜ、王妃は自分の絵を描かせようとしているのだろうか。
薔薇園に咲き誇る花の香りはあまりにも濃く、頭が痛くなってくる。
「あなた、こうして見ると、顔もなかなか可愛らしいのね」
「へ?」
王妃がマリーナを見ながら、明らかに褒めてはいない口調で言った。マリーナは慌てて「ありがとうございます」と答える。が、礼など言うべきではなかった。
「男のくせに、そんな可愛らしい顔で、可愛らしいことを言ってアルバートに媚びているから、皆が誤解するのね」
「そのようなことは――!」
「お黙り!」
ぴしゃりと、持っていた扇で側頭部をぶたれた。細い腕のくせに衝撃が強い。もしかしたら、扇に何か仕込んでいるのかもしれない。額が切れたようで、そこがじんじんと熱を持ち、生温かいものが流れる。
「王妃さま……被写体の顔を変えられるのは困ります」
周囲は先ほどまで機嫌が良かった王妃の豹変ぶりに恐れをなしたが、アランだけは控えめな抗議の声を上げた。彼にとって、王妃の行為は芸術を冒涜する行為だった。
「ああ、そうだったわね。早く描き上げてしまって。
それから、そこの者、暖炉で火箸をよく焼いておきなさい」
なぜ、火箸を……、とその場の者が一様に思ったが、ある可能性が思い浮かび、口を噤んだ。
沈黙を肯定と取って王妃は得意気に笑った。
「あなたのその可愛い顔、アランに描かせて残してあげるからもう要らないわよね?」




