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婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


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046:言わぬが花

 アルバートは慣れた手つきで服を脱いだ。

 脱いだ服を床に散らかし、裸体の上に寝間着を被る。それから、ちらりと壁を見た。そこは壁のようでいて、実は扉があって、マリーナの部屋に続いているのだ。


「なかなかどうして……」


 手ごわい。

 彼が誘惑しようとすると、彼女は決まって、何か別なことを考えているようだ。

 おそらく、ジョアン・ウォーナーのことなのだろうと、彼は思いこんでいた。

 彼女は何も出来ない王太子よりも、自分のことは自分で始末を付けられる海軍士官の方が好ましいと思っている。


「かと言って、今更、海に出て、十年も士官として働くわけにはいかない」


 人前ではあまり見せないようにしているが、一人である。アルバートは心置きなく、不機嫌そうに口を尖らせた。


「私はチェレグド公よりも魅力がないというのだろうか?」


 昼間見た、マリーナの可愛らしい表情も思い出す。おまけとばかりに、ローレンスを部屋に入れて、あまつさえ着替えを手伝わせたこと、トイ軍曹をはじめとする近衛の下士官たちと楽しそうに笑っていたのも、不機嫌の要素に追加した。特にトイ軍曹ときたら、確かに”ジョン”が下士官たちに絡まれないように注意して欲しいと預けたが、あそこまで馴れ馴れしくして欲しいとは頼んでいない。


「私だって、まだ一緒に踊ったことなんてないのに! トイ軍曹の方が好みなのか?

そう言えば、彼女はどうも年上で無骨な男が好みそうだ……いや、しかし、私は母に似ていると言っていた。そして、その母は魅力的だと。

つまりは、私にも魅力があるということではないか?」


 ぶつぶつと謎の三段論法を振りかざしながら、彼は歩き回った。


「いっそ、マリーナ・キール嬢だと分かっていると、言ってしまおうか?」


 マリーナは男として振舞っている。マリーナにしても、傍から見ても、あまりに攻め込むと、王太子が男色に走ったように思われてしまう。

 もっとも出来れば、マリーナ自身から申し出て欲しい。彼女が隠している秘密を打ち明けようとしてくれれば、それこそ、マリーナが自分に心を許したことになると、アルバートは思っていた。


「そうすれば……」


 どうなると言うのだろうか。晴れて恋人同士?

 そこで足が止まる。

 舌打ちが出る。


「それではあの”魅力的な”母上が黙ってはいまい」


 小さい頃、母親というものは、どろどろの何か腐ったものが、薄い綺麗なものに包まれたような存在だと思っていた。うっかりその膜を破くと、汚い何かが噴出してくるのだ。いつも不安定で、いつ爆発するか分からない恐ろしい存在。それが母親。

 長じて、それはただ単に、自負心だけが肥大化した、小心者に過ぎないことを知った。ついでに言えば、我儘で外面ばかり着飾って、中身の伴わない薄っぺらな人間。

 それが一国の王妃だなんて、本人以外には不幸なことだ。いいや、本人も不幸なのだ。いっそ、もっと身分と釣り合った、もしくは、身分はなくても金はある商人の家かなにかに嫁いだ方が、分相応の虚栄心を満たせたかもしれない。

 マリーナの母、エリザベス・イヴァンジェリンのやったことは王妃の憎しみの口火を切ってしまったかもしれないが、それだって、自身がもっと気高く誇り高くあれば、些細な出来事だと笑い飛ばせたはずだ。行動したのは王妃であり、その結果は、王妃の責任だと、息子であるアルバートは認識していた。


 エリザベス・イヴァンジェリンに多少の責はあれど、娘のマリーナには一切の咎はない。

 あの本の中身を知っているのは、二人だけだ。このまま黙っていれば、誰にも知られないはずだ。卑怯なことかもしれないが、今更、あの事を蒸し返しても誰も幸せにはならない。

 ただ、エリザベス・イヴァンジェリンが娘に知らせようとしてあの本を書き遺したのか、それとも、良心の呵責に耐えきれずに『王さまの耳はロバの耳』とばかりに、つい書き遺してしまったのかは、もはや判別はつかないまでも、娘であるマリーナは知らないままではいけないのではないかと思った。 

 

 そこでアルバートは苦笑した。

 

「違うな。私はマリーナ・キール嬢に少しだけ、重荷を背負わせたかったのだ」


 あの本を拾った時、アルバートはマリーナのことを誤解していた。”ジョン”だと思って、”彼女”を好ましいと思っていたのに、”本物のマリーナ・キール”は他の男と通じていた、全然、知らない女だった。

 裏切者と罵るほどのことではないが、遣り切れない気持ちが澱のように淀んだのは確かだ。それでつい、意地悪な気持ちになった。

 親切を装って、エリザベス・イヴァンジェリンの『罪』を娘につきつけるような真似をしてしまった。

 マリーナはあの本を読んだことだろう。


「本物のマリーナ・キール嬢がね……」


 アルバートは後悔の念を込めて呟いた。

 自分の誤解でマリーナに余計な足枷を嵌めてしまったのだ。

 もしも、先に”ジョン”はやはりマリーナ本人だったと確認しておけば……誤解が解けた時、動揺せずに本を取り返しておけば……あんな本、『暁城』の暖炉にくべてやったのに。あんな真実は、たとえどんなに重くても、自分一人の胸に秘めて生きていったのに。

 『母親』は『母親』。その『罪』は『子ども』の『罪』ではない。

 ただ、それに関して、マリーナも『母親』は『母親』、『子ども』は『子ども』と分けて考えらるようだ。

 ストークナー公爵夫人に会っても、母親のように徒に怯えたり卑屈にもならず、きちんと対応していた。

 彼はマリーナの精神力に感嘆した。 

 彼女ならば王太子妃に、将来的には王妃になっても母親のようになってしまう可能性は少ないように思える。

 王妃になんてなったばかりに、身に過ぎた重圧に、母親はストークナー公爵夫人とは別に、狂ってしまったのだ。ひたすら内に籠るストークナー公爵夫人とは違い、王妃は外部に対し、あまりに攻撃的すぎる。


「似ているって言われるの、嫌だなぁ」


 アルバートは寝間着の胸元を摘み上げて、子どもっぽい呟きを漏らした。

 もう一度、マリーナの部屋を見る。彼女とどうこうなるには早すぎるようだ。仮に、男女の関係になったとして、彼は母親の魔手からマリーナを守りきれる自信がない。


「なるべく早くなんとかしないと。このままでは、国もろとも滅びるだろう」


 目を瞑ると、彼は自分に言い聞かせるように、言う。


「ランド少尉の報告だけでは、まだ、いくらでも言い逃れをされてしまう。

私自身も信じられない気持ちだ。もっと、何か決定的なものがないと――」


 アルバートは未練がましくマリーナの部屋の扉を見た。


 ”彼女”が示唆してくれたことが本当ならば、母は王妃ではいられなくなる。地位は保障されても、身柄はよくて幽閉だ。あの自己愛の激しい母の精神は、耐えられないだろう。


 誰かに聞かれることはないはずの部屋でも、声に出すことは憚られた。


 私はいずれにしろ、母を”殺す”ことになる。

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