表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

45/121

045:焼き餅焼くとも手を焼くな

 午前の大臣会合、午後のお茶会と乗馬、つづく夕食で、へとへとだと言うのに、今日に限って王太子に手が掛かるって、どういうこと?

 マリーナは寝室でアルバートと相対しながら、ぐったりした気分になった。


 兵舎から戻ってからというもの、アルバートはマリーナにやたらと用事を言いつけた。


 やれ、お茶が飲みたい。


 もう二杯も飲んでいるのに?


 やれ、部屋が寒い。


 さっきは暑すぎるからと、暖炉の火を消したのに?


 やれ、ベルトカーン語の辞書が無い。


 そこにあるのはなんですか?

 

 などなど。


 極めつけは、寝る直前に「着替えさせてくれ」である。


 これまで散々、『一人で出来る』と言い張っていたのに。

 とは言え、命じられたことはこなさなければならない。マリーナはそのために、侍っているのだから。

 しかし、仕事とはいえ、男の服を脱がすなんて、初めてだ。手が震える。


「あれ?」


「どうした? ジョン。

ボタンの外し方が分からないのか?」


 得意気な様子のアルバートこそ、マリーナの疑問だった。


「初めて会った時から気になっていたのですが……」


「え!? 本当に?」


「はい。

お聞きしてもよろしいですか?」


「勿論だよ」


 許可をもらったので、忌憚なく疑問をぶつける。


「なぜ殿下は着るのはへた……苦手ですのに、脱ぐことは出来るんですか?」


「へっ? そっち!?」


 アルバートは拍子抜けしたようだ。そして、少し不機嫌になった。


「脱ぐのは練習させられた。十五歳になった時に」


 言ってから、彼は固まり、その後、頬を染めた。


「正確に言うと――脱ぐ練習ではなく、脱がせる練習だ」


「?」


 王太子なのに、誰かの服を脱がせることなんてあるのだろうか?

 意味が分かっていない彼女に、アルバートも目が泳いだ。普段の彼なら、ここで引いただろうが、今日はちょっと攻めたい気分だった。

 彼はマリーナを独占したかったのだ。それで、ついつい我儘を言ってしまっていた。その極致が、今の事態である。


「ジョンも覚えておかないと。

たとえば……」


「?」


「コルセットの外し方とか?」


「へっ? そっち!?」


 ようやく気づいたマリーナは羞恥と共に、王太子に向かって無礼な口をきいた。

 それから思わず身を引いてしまった。


「どうしたの?」


「い…いえ……最悪、コルセットは必ずしも外さなくてもいいのではないですか?

だって、付け直す大変じゃないですか」


 自分は男なのだから、猥談の一つや二つに付き合うべきだろう。さっきの兵舎でも、マリーナ比で言えば、聞くに堪えがたい下品な会話が行われていた。男というものは、男同士となると、そういう話になるようだ。

 もっとも、アルバートも同じだと思うと、ガッカリもしてくるのだが。

 そんなマリーナに余裕などあるわけもなく、必死の形相で噛みつくような言い方になる。

 対して、アルバートが面白そうに笑いかけるものだから、手が震える。

 

「ジョンは誰かのコルセットを付け直したこと、あるの?」


「ありますよ」


 それは自信を持って言えた。マリーナはミリアムのコルセットを締めたことは、何度もあった。

 

「マリーナ・キール嬢の?」


「へぇ? あ、そうです。そうですね、きっと」


「会ってみたいな」


 やけにしつこい王太子の心情を、マリーナは汲み取れない。もうとっとと、脱がせて、着せて、寝かしつけよう。


「お会いになりたければ、お召し出し下さい。

殿下のご命令に逆らうものなどおりません」


 実際に呼ばれたらどうしようか、と思いながらも、この場合、そう言うしかない。一回くらいなら仮病も使えるだろう。チェレグド公爵邸には毎日のようにローズマリーのための医者が呼ばれていた。世間的には誰のため、とは公にしてはいなかったが、引き取った姪の体調が悪いのだと思われているに違いない。

 けれどもマリーナの安易な策略は、アルバートには懐疑的な受け取られ方をした。


「――本当にそうかな?」


「そうです!」


 焦燥のあまり、力加減を間違えて、ボタンを引きちぎってしまった。


「も……申し訳ありません。付け直しますので……」


 慌てて床に落ちたボタンを拾い上げたマリーナの手に、アルバートのそれが重なった。

 何? 今日はなんなの?

 

「私は王妃に会いたいという君の願いを叶えたよ。

で、どうだった?」


 手を取られたまま、立ち上がらせられた。

 思わず俯くマリーナの顔を、アルバートが顎に手を掛けて、上を向かせる。

 王妃よりも、王太子の方が危険人物に見える。


「正直に言ってごらん?

我が母上は、君にはどう見えた?」


 マリーナの喉元に悲鳴がせり上がって来た。もう、叫んで、この男を突き飛ばして、逃げ出したい。踏みとどまるために、必死になって心の守護艦の点呼を始める。昼間にチェレグド公爵に会っていたこともあり、大分、気持ちが落ち着いてくる。陸軍の近衛も海兵隊代わりに乗せよう。

 なのに、アルバートはそんな彼女をあざ笑うように顔を近づけてくる。


「私の質問についてちゃんと考えている? それとも余所事が気になるのかい?」


「いいえ。とても混乱しています」


 それは嘘偽りのない感想だ。


「混乱?」


「そうです。王妃さまは大変、魅力的な方ですね」


 アルバートが固まった。意表をつかれたようだ。


「おべっかは必要ないよ」


「いいえ、正直な気持ちです。

王妃さまはとても大きな子どもがいるとは思えないほど、若くてお綺麗で……蠱惑的な方でした」


 その姿を思い浮かべる。目の前の青年とよく似ている。危険なまでの魅力。


「さすが殿下のお母上です」


「――それをどう受け取っていいのか、私が混乱しているよ」


「雰囲気が似ているのは当たり前です。親子ですから。でも、内面は……まだよく分かりません。

だって、話も出来なかった」


「話までしたかったのかい?」


 王太子付きの小姓が、王妃と直接やりとり出来るはずがない。

 三公爵夫人と親しく接したこともあって、マリーナは王妃とも言葉を交わせるものだと勘違いしてしまった。ついでに言えば、自分が”男”なのも思い出す。

 アルバートの魅力に、異性として惑わされている。まるで強い酒でも飲まされ、酔っぱらっているような感覚だ。

 もう一度、守護艦の総員を招集しようとしたが、こちらも酔っぱらっているようで、いくら呼んでも集まって来てくれない。

 そうこうしている内に、アルバートの魅惑の微笑が、マリーナの心の中に侵入し、占拠しようとしてくる。

 ついにマリーナは物理的にアルバートを押しやってしまった。無礼だが他に成す術がない。


「ジョン」


「そうです。私はジョンです。

殿下、私のような一介の、田舎から出てきた”若造”が王妃さまに近づこうなど、思い上がったことでした。

さらに言えば、殿下にも不用意に近づきすぎました。

ご無礼を、お許し下さい。今後、一切、このような非礼がなきよう、努力しますので」


「――そうくるか」


「え?」


 アルバートが小さな声で言ったので、マリーナは聞き返したが、二度目はなかった。


「もういいよ。

服は自分で着替えるから。

ジョンも休むと良い。

今日は疲れただろう? 我儘を言ってすまなかったね」


「はい、そうですね……し、失礼します!!」


 マリーナは脱兎の如く、逃げ出した。



***



「あ、ボタン……持ってきちゃった」


 アルバートの服から落ちたボタンをずっと握りしめていたようだ。

 手の中にはマリーナの汗とぬくもりを宿した鯨の歯で出来た小さなボタンがあった。

 今更、返しに行くのは気まずいので、明日の朝になんとかしようと考えた。


「いやー、恥ずかしい! 何、あの王太子!」


 マリーナは隣室に聞こえないように小さく叫ぶと、寝台の上に突っ伏した。

 胸の鼓動が、激しく打ち付け、とても眠れる気分にはならなかったが、しばらくすると、一日の疲れがどっと出て、眠りの海に引きずり込まれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ