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婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


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044:同じ釜の飯を食う

 アルバートとマリーナはそのまま兵舎で夕食を取ることになった。王太子は近衛の連隊長も務めているので、兵たちと親睦を深めないといけないらしい。

 マリーナはそろそろ自室が恋しくなってきた。彼女に与えられた食卓が、下士官の席だったことも大きかった。

 お茶会といい、夕食といい、アルバートは知らない人の間に、マリーナを置いて行く。『夕凪邸』での生活では、狭い世間だったのに、いきなり広がった世界に、彼女は付いて行くのが精一杯だ。

 皆、悪い人間ではないし、近衛隊だけあって、街の酒場よりは上品そうではあったが、上官たちが別室ということもあって、とにかくうるさい。

 特に今日は、ストークナー公爵夫人より質の良い牛肉が差し入れられ、王太子からは酒が振る舞われたので、大いに盛り上がっていることもあった。

 牛肉のパイ包みに、柔らかい白パン。新鮮な果物。なによりも、葡萄酒が男たちの胃袋と心を満たす。それをもたらした人間への感謝と評価はいやがおうでも上がる。

 まずは「王太子殿下に乾杯!」から始まり、パイを一口食べたものから、歓声が上がる。


「ストークナー公爵夫人はいい人だなぁ」


「我々を”トーマスのお友だち”として、いつもいろいろ差し入れてくれる」


「この間なんて、俺の破れた袖を縫ってくれた」


「なんか故郷の母さんを思い出すよ」


 赤い顔をしたいい大人が、ストークナー公爵夫人の話題となると、途端に、少年のような口調になる。

 マリーナは隣に座っていたトイ軍曹に尋ねた。


「ストークナー公爵夫人はいつも差し入れを?」


 「そうだな」と、無精髭が伸びてきた顎を撫でながら、トイ軍曹は答える。


「ストークナー公爵夫人は我々だけでなく、貧民街や救貧院などにも様々な手を差し伸べてくれている」


 ついつい、マリーナは一度も会ったことのない”彼女”を思い出してしまった。”彼女”も嫁いだ先の民衆たちに、同じように乾杯を捧げられる敬愛の対象だ。アルバートも彼女を崇拝しているほどの立派な王妃。


「ヴァイオレット妃みたいですね……”花麗国”の王妃さまの」


「いやぁ……」


 トイ軍曹はマリーナの言葉に、嫉妬めいたものを感じ取り、戸惑った。


「”高貴なるものの義務”だろう。

本当は、それこそヴァイオレット妃の母親であるニミル公爵夫人やチェレグド公爵夫人も、寄付や慈善活動を行っていたのだがね。

王妃さまが嫌がって――」


 それで王妃を恐れぬストークナー公爵夫人だけが、表向き活動しているという。


「でも、実際は、ニミル公爵夫人からのものも入っているはずですよ!」


 近衛兵の一人が声を上げた。


「それと、チェレグド公爵夫人からのもね」


 陸軍と対抗する海軍大臣の夫人なので、やや控え目にその名は出された。


「まぁ、そういうことだ。小さいの。

みんな、知っているが、知らないふりをするんだ。

真に善なる者は、自分の慈善を吹聴したりはしない。

ストークナー公爵夫人の名で行うことで、事が収まるなら、そうすることを選ぶのだ。

ストークナー公爵夫人だけは、王妃さまの意向に沿わないで済むからな」


 トイ軍曹がそう言うと、その場の近衛兵は全員、頷いて見せた。それから誰ともなく、ストークナー公爵夫人への同情の声が上がった。


「あんなに良い方なのに、あのようなご不幸に見舞われるなんて。まったくあの“女狐”――」


 下士官だけの食卓でこそ出る話題だった。

 別室の士官の部屋には王太子がいるのだ。

 マリーナは全員の顔色を見た。一斉に酔いがさめたようだ。


「おい、小さいの」


「ジョンです!」


「なんでもいい。今の話……」


「分かってます。殿下には言いませんよ」


 「違う」とトイ軍曹は、視線を巡らせた。


「ロバートだ」


「ロバートさま?」


「あいつの耳には入れるなよ」


 聞けば、以前、王妃の悪口を言った近衛の兵士にロバートは決闘を申し込んだらしい。

 アルバートは彼の忠誠に感じ入ったものの、決闘はよろしくないとして、止めようとした。


「だが、ロバートの奴は納得しなくてね」


 結局、兵士の代理人としてアルバートが出ることになり、まさか王太子に武器を向ける訳にはいかないロバートが折れた。


「なんかそれ以来、近衛の兵士に当たりがキツイんだよなぁ」


「そうなんですか……」


 そう言えば、アルバートはマリーナを王妃の部屋に連れて行かないように、近衛の練兵場にロバートを同行させない。


「その兵士はどうなったんですか?」


「あー、さすがに王太子を煩わせたとして、お役御免で、田舎に帰された……みたいだぜ」


 らしくもなく歯切れが悪かった。目が泳いでいる。

 それからすぐに話題をマリーナに向ける。


「小さいのも気をつけろよ。

おたく、殿下にやけに気に入られているみたいだから、逆に、ロバートに目を付けられるかも。

あいつは図体がでかいくせに、女みたいに陰湿な所がある。

あれじゃあ、殿下も大変だよ」


 ナイフとフォークで食べるのがまどろっこしくなったのか、トイ軍曹は手づかみでパイを食べてみせる。


「こんないい肉なら、パイで包んだ挙句、味の濃いソースを掛けなくても、塩だけで十分、上手いのに。胡椒は望めないにしろね」


 肉汁がトイ軍曹の手を伝う。乱暴に布で手を拭くと、水差しから直接、水を飲んだ。マリーナの批判がましい視線に、彼はニヤリと笑った。


「いいんだよ。誰も水なんか飲まないんだから」


「私は飲みます」


「おっとそうだったな。小さいの。すまん」


 周りの兵士たちは王太子御下賜の葡萄酒で喉を潤しているのに、トイ軍曹だけは水を飲んでいるのが不思議だった。

 見た目、酒豪そうだけど、意外と下戸なのかも。

 それだけでマリーナのトイ軍曹に対する好感度は上がる。

 葡萄酒の杯を片手に、マリーナに絡んでくる兵士たちが多かったからだ。それを彼は素面で、一人一人追い返してもくれる。


「小さいのは飲まないのか?」


「ジョンです。

私だって、酒は飲みますが、勤務中ですし、それに葡萄酒よりもラム酒の方が好きです」


 本当はほとんど飲めないが、侮られまいとそう言ってみる。


「ラム酒だぁ? ライム野郎みたいなことを言うな」


 途端に、トイ軍曹が顔を顰める。

 陸軍は葡萄酒派らしい。

 どこもかしこも派閥ばかりで、マリーナはうんざりしてくる。

 王太子付きの侍従と近衛の間にも軋轢があるようだ。


「俺は断然、葡萄酒だな。それも”花麗国”のものなら最高だ」


「飲むんですか?」


「当たり前だ。

小さいのが帰った後に、飲ませてもらう。

殿下におたくのことを頼まれているんでね。それまでは素面でいないといけないのさ」


「そ……それは申し訳ありません」


 思わぬ理由だった。

 アルバートはマリーナを一人にしたが、目を離した訳ではなかった。

 

 陽気で少し下品な歌が始まる中、それとは対照的に静かな上級士官の部屋の方が気になる。


「まぁ、任務が無事にすんだらそれこそ、いまや貴重な”花麗国”の葡萄酒をくれるらしいから、俺は構わない。

だが――」


 トイ軍曹は顎に手をやった。


「小さいの。お前、一体、何者だ?」


 マリーナは真っ直ぐにトイ軍曹を見たが、内心は「どうしよう」と焦っていた。

 下手な言い訳は余計に勘ぐられそうな相手だ。

 

「私――」


 とりあえず、何か言おうかと思った瞬間、盛り上がった一団が雪崩込んで来た。


「何、借りて来た猫みたいに大人しくやってるんだ?」


「トイ軍曹! 一緒に歌いましょうよ!」


「ジョンもだ! 今日はいい日だな。肉には筋が無いし、葡萄酒は水で薄まっていない」


 全員、酔っ払いだ。

 無理矢理、歌わされることになった。

 知らない歌だったが、単純な調子と歌詞だったので、すぐに覚えた。マリーナは特段に歌が上手いわけではなかったが、その”声変わり前の”高い声と歌い方には、なんともいえない風情があった。若葉の緑色の瞳が楽しそうに輝く。

 拍手喝さいを受けた彼女はすっかり近衛連隊下士官連中に気に入られた。

 いつしか、肩に手を置き、繋がりながら食卓をぐるぐる回る踊りの輪の中に入っていた。マリーナの肩はトイ軍曹が掴んでいた。マリーナは背が小さいので、彼女が先頭になる。


「ほら、ジョン、右に曲がれ。

あっちの列の先頭とじゃんけんして勝て。負けた方が後ろに付くんだからな!」


 おもわず海軍式の敬礼をしながら、「承知しました、艦長!」と答えてしまい、「おい、小さいの。おたく、海軍の密偵じゃないよな?」と、トイ軍曹が耳元で窘める羽目になった。

 宴もたけなわになった頃、ようやくアルバートがマリーナを迎えに来てくれたが、男たちに混じって楽しそうな彼女を見て、ぎこちない笑顔を見せた。

 固まってはいないが、ほぼ固まっているのと変わりない。

 ”王太子が固まっている”と言うことは、怒っているか、驚いているかのどちらかだと、近衛も分かった。

 その場の下士官たちは、乱雑に散らかった食卓の上、赤ら顔の自分たち、蹴飛ばされた椅子……に気分を害したのだと青ざめた。すぐに怒鳴ったり嫌味を言わないのは、この王太子の長所であり、敬愛する点ではあるが、黙っていられるのも気まずいものである。むしろ非を一喝して欲しくなるが、王太子がすれば大問題に発展し、トイ軍曹あたりが処分されることも分かっていた一同は、ひたすら神妙に押し黙り、沙汰を待った。


「殿下……」


「いや、続けてくれ。しかし、ジョン。君は私と戻るんだ。トイ軍曹、ジョンを離してもらえるかな?」


 トイ軍曹はぱっと、マリーナの肩から手を離した。


「いえ、殿下。あの……」


 何か弁解したい気持ちになったトイ軍曹ではあったが、王太子は有無を言わさず、手にしていた葡萄酒の瓶を突き出す。


「ご苦労」


「ありがとう……ございます」


 彼の労力に向けられたのは、感情を消し去りすぎて、氷のようになった眼差しだった。



***




「いや、そりゃあ、あんまりですぜ、殿下」


 そのまま出て行くアルバートと、どこかしら嬉しそうな”ジョン”の背中に向けて、トイ軍曹は呟いた。

 もっとも、その顔にはニヤニヤとした笑いが広がっていた。


「よし! みんな! 我らが王太子殿下より、極上の葡萄酒を頂いた。

しかし、一本だけだ!

これを俺一人で飲むことも出来るが――ここは、腕相撲で勝った人間が一人占め出来ることにしよう」


 トイ軍曹の声に歓声が上がった。

 彼以外は酔っ払いだ。勝つのは分かっているが、王太子から大っぴらに渡されてしまった酒瓶を、最初から一人占めするよりは反感は買わない。


「夜はまだ長いぞ! 楽しまないとな」


 もう一度、二人の姿が消えて行った闇を見ながら、トイ軍曹は意味深な笑みを浮かべた。「夜は長いねぇ、殿下」

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