043:あちらを立てれば、こちらが立たず
王宮に併設された近衛隊の馬場で、マリーナは嬉しい再会を果たしていた。
と言うのも、父亡き後、泣く泣く手放した馬、”墨黒”が近衛騎兵の馬として飼われていたからだ。
「どこぞの没落男爵家から引き取られてきたらしいですよ。
騎乗用としての躾けが全くと言っていいほど、していなかったから、慣らすのに苦労しましたさ。
まったく、お貴族さまってものは、こんないい馬を飼殺して、一体全体、何をしたいんだ?
お飾りにするなら、木で作った像でも馬小屋に置いておけばよかったのに。
金も無駄なら、こいつも可哀想なことだ」
馬小屋でジャック・トイ軍曹は、その元の飼い主の前で憎まれ口を叩いた。
エンブレア王国の近衛隊と言えば、貴族出身の若者で、見栄えの良い者が多い陸軍の花形である。そんな中、近衛騎兵第一連隊の軍曹、ジャック・トイは異色の人間にマリーナには見えた。
本人も堅苦しい軍服と規律は性に合わないと言って、憚らないような人物だった。王太子とその小姓に対しても、最低限の礼儀を示すのみだった。その彼なりの礼儀も、いつも世話になっている飯屋の主人相手とほぼ変わりない。『俺に給金を払ってくれる相手と、うまい飯を食わせてくれる相手だ。俺の中では同じだね。同じくらい尊敬している』と言うことらしい。
その無礼な態度に、上司であるヘンリー・ランド少尉はアルバートに対し、しきりに恐縮するのだが、肝心の王太子兼連隊長は、あまり気にしない。むしろトイ軍曹が気に入っているようにも見え、自身の愛馬・雪白の世話を一任するほどだった。
その雪白は、マリーナの姿を見ると大層、喜んだが、墨黒もまた同じように喜び、あろうことか彼女を乗せて行こうとするので、ひどく気分を害し、後ろ脚を跳ねあげたものだった。
「お前も私に似て、嫉妬深いね」
アルバートは砂糖をあげながら、雪白の耳元でそっと囁いた。
「小さいのは、馬にモテるな。俺は馬よりも女にモテる方がいい」
そう言うトイ軍曹ではあったが、馬にかける愛情は深く、世話は丁寧だ。だからこそ王太子の馬を任せられるのだろうが、雪白の嫉妬は抑えきれず、結局、小姓が白馬に乗ることになり、王太子は黒馬、墨黒に乗ることになった。
「申し訳ありません」
「いいや、墨黒も良い馬だ」
確かに、トイ軍曹にしっかりと躾けられ、ランド少尉の美意識で手入れされた墨黒は、『夕凪邸』にいた時よりもずっと素晴らしい馬となっていた。トイ軍曹が怒ったように、キール艦長は墨黒を飼殺にしていたようだ。
すでに夕刻だったこともあり、馬場を軽く流すことになった。
それでも重苦しい大臣会合と息苦しいお茶会の後では、またとない気晴らしとなる。
マリーナはお礼を言おうとしたが、墨黒に乗ったアルバートの周りは近衛騎兵の士官たちが固めている。
あれでは自分ほど解放的な気分にはなれないかも、と心配する気持ちと、赤い軍服に着替えた彼が、黒い馬に乗っている姿は、白馬とはまた違う凛々しさがあって、つい見とれてしまう。
でも、青の方が似合うわ。だって、殿下の瞳は青だもの。赤に金髪はよく似合うけど、青に金髪なら最高だ。
「よう、小さいの。大分、上手になったじゃないか」
アルバートに目がいくあまり、手元がお留守になっているようなマリーナに、栗毛の馬に乗ったトイ軍曹が並走して、それとなく注意した。慌てて、しっかりと手綱を握る。彼らの大事な近衛騎兵第一連隊長殿を、海軍士官に置き換えていたことなど知られたら袋叩きに合いそうだ。
「ありがとうございます!」
「それに、ちょっとだけ男っぷりがあがったな。この間までは、まるっきりお嬢ちゃんみたいだったのに」
「――」
「怒るな、怒るな」
笑い声をあげて、背中を叩かれた。
ここに来る時にもローレンスに手伝ってもらい、乗馬服に着替えたことに感謝する。なにしろ、初めて引き合わされた時、女用の鞍を据えられ、横乗りを教えられそうになったのだ。
それを見た下士官たちが爆笑したのを見て、マリーナは自分がからかわれていると分かったので、鞍はそのままに、馬に跨って乗せて見せた。
その時の馬は、雪白でも墨黒でもなかったが、そこそこ乗れたおかげで、”ジョン”は彼らからなんとか合格点を貰えた。
「次は女の乗り方を教えてやるよ」
「――」
うわ、最低。
マリーナは心の中で男を罵倒したものの、なんとか口には出さなかった。が、顔には思いっきり出たらしい。
「なんだその顔。
お前、女は嫌いか? 女が嫌いな男なんていないぞ。それともなにか? あの綺麗な王太子殿下に可愛がってもらっているのか?」
「ち……違います!
私はともかく、殿下を侮辱すると許しませんよ」
「へぇ? どう?
決闘でもするか? 俺と、小さいのが?」
体格的にも、技術的にも、圧倒的にトイ軍曹が上である。それでもマリーナは言った。
「必要ならば」
またもや、大きな声で笑い飛ばされた。
「小さいのは、活きがいいな」
絶対、からかわれてる。
マリーナは雪白に合図をすると、彼から離れた。しかし、「なぜ、追ってくるんですかー!」
「決闘じゃなく、勝負しないか? したら可愛い子を紹介してやるぞ」
可愛い子なんて、いりません!
マリーナは付いてくるトイ軍曹を睨んだ。
「軍曹の言う可愛い女の子? 信用できませんね」
その言葉に、周りの近衛たちが笑った。
「お前、可愛くないな」
「男が可愛い必要なんて、ありませんので」
つん、と言い放つと、トイ軍曹は不服そうな顔になった。
「うちの妹を紹介してやるって言ってるのに!」
「妹さん?」
「めちゃくちゃ可愛いぞ!」
近衛は眉目秀麗をもって良しとする、という規定とは違うが、トイ軍曹は男らしい立派な顔つきをしている。
が、その女の子版となると首を傾げてしまう。
「ジョンはトイ軍曹によほど気に入られたようだね。
彼の妹はとても可愛らしいと聞いているが、私も会わせてもらったことがない」
アルバートが墨黒を操って、マリーナとトイ軍曹の間に割って入った。
「先に紹介すべきは私の方ではないかな?」
「殿下にですかぁ? それは……ちょっとご遠慮してもよろしいですか?」
周りの近衛が「トイ軍曹に妹なんていたんですか?」「こちらにも紹介して下さいよ!」と冷やかし始めた。それをトイ軍曹は一睨みで黙らせる。
「この間、俺の所を訪ねて来た時、ジョンを見たらしくってね。『あのかっこいい男の子は誰? お兄ちゃん、私に紹介して!』って頼まれたんですよ」
妹の声を再現しようと、妙に高い声を出す。ついにで、両手を組み合わせ、くねくねしてみせた。
マリーナは同年代の女の子に好意を寄せられて、嬉しいような申し訳ないような気になる。アルバートはそんな彼女と妹想いの兄を見て、微笑む。
一瞬で、その場の人間が魅了されたのが分かった。この王太子、女だけでなく、男もたらせる実力がある。そりゃあ、変な噂も流れやすいだろう。
その噂の芽を、アルバートはマリーナの身を保障することで、摘んだ。
「残念ながら、ジョンには婚約者がいるんだ。なぁ、ジョン?」
「へぇ? ……あ、はい!」
いつからそんな設定が出来たのだろう。
しかし、王太子がそう言うのならば、自分には婚約者がいるのだ。
「ジョンはその婚約者の為に、王宮で修行をしているんだよ」
そうだったんだ。
雪白が近付いてきた墨黒を嫌がって、長い鼻で押し返した。墨黒が後ろ足で立とうとするので、アルバートは振り下ろされないように、上手く御した。
「おおい、どうした雪白。落ち着け!」
トイ軍曹が興奮する雪白を馬上から手を伸ばしてなだめた。
「すみません」
妹の件と雪白の件も併せて、マリーナは謝った。
「いいや、妹にはそう言っておくよ。悪かったな。
――小さいのは……なんだ……その、婚約者が好きなのか?」
ついさっき出来た設定に、なんと答えていいのやら、マリーナは迷った。
「なんだ? 親に勝手に決められたのか? 俺が殴りに……説得に行ってやろうか?」
「止めて下さい。迷惑です。……婚約者の人は――」
マリーナは思った。どんな人だ? どんな人ならいい?
「優しくて、賢くて、ちょっと抜けているところもあるけど、人の言うことをよく聞き、自分を省みることの出来る……」
なんだか具体的すぎて、マリーナは恥ずかしくなった。それをトイ軍曹以下、のろけていると受け取り、囃したてた。その脇で、アルバートはちょっとだけ固まった。




