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婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


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42/121

042:焼け野の雉子、夜の鶴

「ごきげんよう。セシリアさま」


 新しい声がして、マリーナは再び立ち上がった。

 次にストークナー公爵夫人のテーブルに来たのは、青色のドレスを着たチェレグド公爵夫人だった。彼女とはチェレグド公爵邸で挨拶をし、”ジョン”となる旨を伝えてあった。

 事情を把握しているチェレグド公爵夫人はマリーナに微笑みかける。


「遅くなってしまってごめんなさいね。

あちらでオーガスタさまにお会いしたのですけど、ついその場で話し込んでしまって」


 薄紫色のドレスを着た女性が進み出た。

 赤でもなく青でもない、紫。たっぷりとしたレースはサイマイル王国の逸品で、散りばめられているガラス製のビーズは神聖イルタリア帝国が誇る工芸品である。そして絹地は”花麗国”の最高級品と見た。

 その組み合わせと色で、マリーナは彼女がヴァイオレット妃の母親、ニミル公爵夫人だということが分かった。

 

「まぁ、ごきげんよう。オーガスタさま。ジュディス」


 ストークナー公爵夫人セシリアは、人形を撫でながら、あどけなく挨拶を返した。

 公爵夫人三人が集まったテーブルは華やかで、威圧的だった。青いドレスを着た若い娘たちが、助かったという空気を出していた。

 王妃がちらりと視線を向け、すぐに元に戻す。


「トーマスは海に出ているのよ」


 ストークナー公爵夫人はまたもや繰り返した。


「そのようね」


 ニミル公爵夫人は彼女の隣に座ると、愛おしそうに、励ますように、肩を抱いた。それでストークナー公爵夫人は少し、正気に戻ったのかもしれない。


「ランスロットはお元気?」


 ストークナー公爵夫人の問に、ニミル公爵夫人は肩を竦めた。


「さぁ?」


 思いもよらぬ返事にマリーナが驚く。


「分からないわ。あの子ったら、任務だからって、自分がどこにいるのか、全然、教えて寄越さないのよ。

ひどいわねぇ。

今度会う時は、おじいさんになってるかも」


 王妃に命を狙われ、まともにエンブレア王国の本土に足を踏み入れることのない息子と、母親は顔を合わせないどころか、居場所すら把握出来ていないようだ。

 マリーナはまたもや罪悪感に苛まれる。自分の母親がやったことは、あまりに多くの”母親”を不幸にしている。


「それは私よりも、チェレグド公爵に聞いた方がいいわね。ほら、海軍大臣だもの、さすがに、自分の軍艦がどこにいるか、どんな状態か分かるはずでしょう?」


 ニミル公爵夫人の問いかけに、チェレグド公爵夫人が困ったように頬に手を添えた。

 同じ公爵夫人と雖も、一人は王姉であり、一人は侯爵家出身の令嬢で王弟の妻。チェレグド公爵夫人はその中でも、子爵家の三女という低い立場にあった。それに対し卑屈になったりはしなかったものの、さすがに王姉であるニミル公爵夫人に頭が上がるはずがない。かと言って、夫の仕事関係で知り得たことを話すことは出来ないし、そもそも、夫は彼女にウィステリア伯爵ランスロットがどこにいるかは教えてはくれないのだ。

 ただし、彼女の息子が、”彼女”の娘を救出する為に、混乱を極める”花麗国”に侵入する任を請け負うことになるだろうと、つい先ほど聞かされてはいた。

 

「便りはないのは、元気な証と申します」


 無難な返事に、ストークナー公爵夫人の声が重なる。「トーマスは手紙をくれるのよ。この間は、巨大なイカの化け物と闘ったって! 試しに食べてみたら、あまり美味しくなかったと書いてあったわ」


「それは恐ろしいことねぇ」


 ニミル公爵夫人はのんびりと言った。

 

「”花麗国”からの亡命者がニミル公爵さまにお会いになったとか?

ヴァイオレットさまのこと、何かお聞きになられましたか?」


 息子の無事を祈るチェレグド公爵夫人がニミル公爵夫人にそれとなく”花麗国”の情勢に探りを入れたが、息子の時と同じような答えが返ってきた。


「さぁ? 何も益になることは聞かなかったわ」


 つまりは、何かは聞いたが、特に言うことはないらしい。それにしても、ニミル公爵夫人は自分の息子に関しても、娘に関しても、どこか他人事のような受け答えだ。己が腹を痛めた子どもたちがそうなのだから、他人については、まさしく他人事だった。


「あの人たち、これからどうするのかしらね?」


 最近、エンブレア王国でよく見かける亡命料理人や仕立屋ならば、その手につけた技術で身を立てていけるだろうが、祖国を離れ、領地を捨て、持てるだけの財産を持って逃げてきた貴族は、ただ時間と金を浪費していくばかりだ。

 そこで”花麗国”からの亡命貴族たちは、祖国を同じくする王太后と、その娘であるニミル公爵夫人に頼ってくる。

 もっとも、夫人はもとより、夫のニミル公爵もそんな彼らを援助する気持ちはあまりないようだ。ヴァイオレットを守ることなく、国ごと見捨てて逃げてきた人間たち、という父親の心情もあるのだろうが、一人や二人ならともかく、殺到する”貴族”と呼ばれる、金も人も惜しむことなく使う人種を養うほど、ニミル公爵家には余裕がないことも大きかった。


「一日、二日ほど滞在して頂いてはいるのですけどね。

困ったものよ」


 おっとりとニミル公爵夫人が愚痴った。


「大体の人たちが、召使いをあまり連れて来ないの。

多くは革命派? か、なにかにかぶれてしまって、主人を守ってくれないのですって。

そんなこと、あるのかしらねぇ。

とにかく、そんなことだから、毎朝の身支度も出来ないって、私の侍女を勝手に使うの。

別に使ってくれても構わないですけど、一言、言って下さればいいのにね。

それか――」


 ニミル公爵夫人は遠くにいる王妃に視線を投げかける。


「それこそ、最新流行のドレスを着ればいいのに。

あれ、”花麗国”の流行りなのでしょう?」


 それから「私の所に来る方々には不人気なのよね」と、付け加えた。


「”花麗国”では流行っていないのですか?」


 マリーナは思わず、公爵夫人たちの会話に口を挟んでしまった。

 姉のミリアムが熱狂する”花麗国”の最新流行が、実はエンブレア王国に亡命してきた仕立屋たちが作り出した流行だというのだろうか。

 穏やかではあるものの、ニミル公爵夫人の驚いた視線に、マリーナはただちに自らの非礼を知る。

 彼女……”彼”はアルバートの小姓に過ぎない。それがストークナー公爵夫人の「この子はねぇ、トーマスのお友だちなの。ジョンって言うのよ」という誤解によって、側に居ることを許された身なのだ。

 

「ご無礼を……」


 お許しください、という前に、ニミル公爵夫人が相好を崩した。


「そうだったわね。どこかで見たことがあると思っていたのよ。

ええっと、あなたは……ジョン・ブラウンだったわね」


 違います。

 マリーナは頭の中だけで否定した。

 もう、ジョン・グリーンだろうが、ガーデナーだろうが、ブラウンだろうが、どうでも良いことだった。好きに呼んで下さい。


「”花麗国”でも流行っていますよ」


 ニミル公爵夫人はマリーナに丁寧に接してくれた。

 

「ただ、古くからの貴族たちには、気に入らない者が多いのよ。

ほら、結局は、身支度に人も時間もかけられない身分の者たちが、着替えるのに便利だし、動きやすいからという理由で流行った訳でしょう」


「それにしては、着こなすのが大変ですわ。

体型を隠そうとすると、なんだか野暮ったくなってしまいますし。

その点で言えば、王妃さまほど見事に着こなしている方はいらっしゃいませんわね」


 チェレグド公爵夫人も王妃の方を見た。

 ちらちらと自分が見られるのに気が付いたのだろうか、王妃はひどく怯えた様子を見せたあと、憎しみに顔をゆがませた。陰口を言われていると思っているのだ。


「トーマスは自分でお着替えできるようになったのよ」


 外の世界のことなど、全く関知していないストークナー公爵夫人はひたすら、自分の息子のことを大きな声で語る。あんまり大きな声だったので、王妃にも聞こえたのだろう。王妃は今度は俯く。

 

「新しい服を仕立ててあげないと。きっと大きくなったでしょうね」


 そうして決して変わることのない人形の体型を指で測り始めることに没頭した。


 マリーナはその後も、アルバートが迎えに来るまで、三公爵夫人のドレスの隙間に埋もれるように座っていた。

 彼女はストークナー公爵夫人の取り留めもない話を聞きながら、王妃から感じたものの正体を見極めようとした。

 王妃に会えば、全てが分かると思ったのに、当の王妃はなんともちぐはぐな印象だったからだ。

 無垢なようでいて淫靡。

 純粋なようでいて邪悪。

 自由と束縛。王政と革命。

 相反するものが彼女の中には同居しているように見えた。

 考えすぎたせいで、マリーナはすっかり疲れ果ててしまった。


 そんな彼女を、ようやく戻ってきたアルバートは「お茶はもう十分だろう? これから馬に乗りに行くから付いてくるように」と、連れ出してくれた。

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