029:胸襟を開く
それから二日、”エリック伯父さん”は『夕凪邸』の焼け跡で数々の物を掘り出し、その合間に、”ジョン”に自分の親友の話をしてくれた。
チェレグド公爵は思った以上に気さくで、がらっぱちな所があった。性格だけでなく、公爵らしく手入れが行き届いている身にも、長年、艦に乗っていた名残があった。それは、父親を思い出させた。マリーナにとっては血縁関係のある身内が側にいるのも久々のことだった。
有意義な日々ではあったが、さりとて、このままずっといられる訳ではない。
コーナー家から出て、新しい小さな家を探すか、チェレグド公爵の誘いを受けて王都に出るか。それについて、マリーナは家族と話し合ったが、総じて、チェレグド公爵の世話を受けるしかないとの結論に行きついた。
それでもマリーナは迷っていた。このまま流されるように王都に赴き、一体、自分はどうなるのだろうか。何をしたいのだろうか。
王太子の婚約者候補からは外れてしまった以上、どこか適当な家に嫁がされるのだろうか? キール男爵家復興の為には、その方がいいに決まっている……だけど。
気が乗らない
ちらりと同じ作業をしているジョアンを見る。
一緒に逃げて欲しいと頼めば、優しい義兄はそうしてくれるかもしれない。
それから?
それからのことを考えると、マリーナはもうそうして欲しいと思わなくなった。ジョアンもそれが分かっているのだろう。
気が乗らない。
衝動的に動けないのは、そこまでの情熱がないからだ。
そんなことを思っていたマリーナに、乗馬が出来るようになったせいで、日に何度も父親の遣いに出されるようになってしまったコンラッドが、『暁城』からやって来た。
「殿下がお呼びです。……ジョンを」
「ええ!? 私!?」
「そう、君だよ」
王太子アルバートは三日ほど、固まっていたが、やっと考えがまとまったのか、ようやく動く気になったらしい。
だが、その考えがどんなもので、どうまとまったかなど、誰も分かるはずがない。
とにかく、王太子のお呼びである。行かねばならない。
『東の森』を通過する時、木の影や、揺れる葉に脅かされた。マリーナにはあの親しんだ『東の森』が、まるで悪い魔女の住む森のように見えた。
もっとも、『夕凪邸』を襲った”賊”を警戒して、自警団やチェレグド公爵が連れてきた手勢が巡回していることもあって、安全は確保されているという。
「とは言え、油断は禁物だ」
乗馬の出来ないチェレグド公爵は、見た目は質素だが、頑丈な馬車を仕立てて移動していた。両脇はジョアンとコンラッドの騎馬が固める。その視線は鋭かった。
「殿下の従者は、王妃が付けた者たちだ。正直、どこに裏切り者がいるか分からない。
こちらの動きはある程度、漏れていると思われる。でなければ『夕凪邸』は焼き討ちされなかった」
「焼き討ち犯はやはり王妃さまなのですか? ミリー姉さまが遭遇した男には、何か聞けましたか?」
マリーナが聞くと、チェレグド公爵は苦い顔になった。それから、「ミリアム嬢には内緒」という但し書きで語った。
「あの男は殺された。森の中で遺体が見つかったよ。
ミスター・ブラッドが窓から放り投げた時は生きていたようだが、仲間に回収されて、口封じにね」
ミリアムが知ったら、ショックを受けるかもしれないと、ジョアンが気遣ったのだ。
マリーナも青ざめた。仲間にまで手にかけるなんて、情け容赦が無い。
「……しかし、君が無事で良かったよ」
チェレグド公爵は馬車の中であろうとも、外では決して、マリーナの名を口にしなかった。
”ジョン”が馬車に同席しても良いのか聞けば、「君は王太子が招待した男の子だからね。王太子の客人を歩かせる訳にはいかない」という理由がちゃんと用意されていた。
その警戒もあって、この日も一行は、『暁城』に何事もなく辿りつくことが出来た。
『暁城』では、”ジョン”だけが王太子の居室に呼ばれた。
「ええ!?」と、内心、思ったが、やはり行くしかない。どんな話がされるのか、『母親の罪』が持ち出されるのか、緊張した面持ちのマリーナに、チェレグド公爵が扉のギリギリまで付き添い、何かあったら自分を呼ぶように言った。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、エリック伯父さん」
マリーナは強張った顔に微笑みを浮かべた。
***
さすがに室内に雪白はいなかった。アルバートは長椅子に座って待っていたが、マリーナの姿を見ると立ち上り、椅子を勧めた。
「やぁ、ジョン。呼び立ててしまってすまない。
『夕凪邸』ならともかく、コーナー家では人の出入りが多すぎて、私が行くことは許されなかった。
君は元気だった?」
この三日、ずっと考え込んでいたのだろう。やつれて見えて、マリーナは自分のことはさておき、心配が先に立った。
それから馬車の中でずっと言おうと考えていた言葉を述べる。
「……この前は失礼なことを申し上げました。
動揺していたとは言え、あまりに不敬なことを申しました。
あの、あれは私一人の罪ですので、マリーナ嬢や他の方々のことはどうぞお許し下さい。
すべては私の……その、言い訳になるとは思うのですが、何分、私は田舎育ちの不調法者ですので」
マリーナはキール男爵家のことは諦めたとしても、親切にしてくれた”エリック伯父さん”のチェレグド公爵家までとばっちりを受けてはいけないと思った。アルバートはマリーナがチェレグド公爵家の血を引く娘だということを知っている。おまけに、エリザベス・イヴァンジェリンのことも知ってしまった。彼が『母親』が犯した『罪』の件でマリーナを責めるのかどうかはまだ分からないが、マリーナ自身が起こした無礼は、彼女自身の責任だ。
「その田舎育ちの不調法者に、泉の使い方を教えられた私のような者もいる」
アルバートは自嘲するように微笑んだが、マリーナは焦った。
「そんなつもりで申したのではありません」
「分かっているよ。
でも、人は時に言葉を邪推してとる。気を付けた方がいいよ」
言い方は優しいが、今のマリーナには堪える言葉だった。
「はい」
そこでしばらく沈黙が落ちた。マリーナはますます居心地が悪くなる。アルバートは彼女をじっと見つめているようで、視線が動いている。上から下。下から上に。何かを探るように。一分の隙のない男装をしているのに、全てを見透かされる気分になる。
「ジョン」
「なんでしょう、殿下?」
「マリーナ・キール嬢は元気かな?
『夕凪邸』を失ったこと、ああは言ってもやはり打撃だろう。
それに私が渡してしまった本を読んで――何か、何か落ち込んだりはしていなかっただろうか?」
マリーナは、母親の告白を思い出した。
アルバートも同じ本を読んでいた。ナタリーに確認したので、間違いない。その上で、マリーナの身を案じてくれているようだ。
「少し……いろいろありましたから。
ですがも、元気ですよ。
家族がついています。新しく知れた親戚もいますので」
「そう、もうジョンも知っている通り、マリーナ・キール嬢はチェレグド公爵の血縁だ。それで私は彼女に求婚し、母は屋敷を爆破させた。
それを防ぐことができなかった……すまない。私は非力なのだ。情けない……。
会って……直接、詫びたかった」
アルバートが「会って」「直接、詫びたかった」とは今のことを指しているのか、願望を述べているのか、マリーナには判然としなかった。分かったのは、彼は自分の非を責め、マリーナは勿論、その母親のことにも言及する素振りがないことだ。
「マリーナ嬢も、殿下に対しては、恨みはありません。
殿下から頂きました絹地を燃やしてしまったこと、お許しください……とのことです」
あれはよく燃えたのだろう。すっかり灰になってなくなってしまっていた。
マリーナと王太子の結婚話も同じようになくなってしまったはずだった。
「マリーナ・キール嬢は心が広いね。
彼女を守れるように、私はもっと強くなろうと思う。たった一人の女性を守れずに、この国を守ることなど出来ないと知ったからね」
熱っぽい口調で言われ、マリーナの心がざわめいたが、一般論として受け取ることにした。
「……それは良いお考えだと思います」
「それで、”君は”これからどうするつもり?」
アルバートは真剣な顔で問うた。




