028:便りはないのはよい便り
翌朝、いかにも遠くから親戚を訪ねてきた気の良いおじさん風を装ったチェレグド公爵が、コーナー家の使用人と楽しげに話していた。
「おはようございます」
「おお! おはよう。ジョン。よく眠れたかな?」
目を腫らしたマリーナの表情を、チェレグド公爵は敢えて無視した。
コンラッドの軽めの性格は親譲りかもしれない。そのコンラッドは、不機嫌そうだ。父親の登場に、自身の計画のとん挫が堪えていそうだ。それでもマリーナが挨拶をすると、二カッと歯を見せて笑った。曰く、「かわい子ちゃんに挨拶されるのは、精神衛生上、とても良いね」だそうだ。
とは言え、マリーナは”ジョン”の恰好をしているので、”かわい子ちゃん”呼ばわりは不満だ。そう伝えると、「そこまで成りきらないでよ」と肩を落とした。
「お早いのですね」
「先ほど、キール艦長と妹の墓参りに行って来たのだ。
昨日も『暁城』からここに来る間に寄ったのだが、本当に久しぶりで、積もる話がありすぎたよ……」
「ありがとうございます」
父の葬式の時、嘆きを見せなかったのは、王妃の手前があったのだ。
マリーナはチェレグド公爵が真実、父の親友であり、母を大事に思う兄だったことを知った。
「いやいや。
それから、『夕凪邸』の片付けにも参加しようと思ってね」
「ええ!?」
昨日の王太子といい、筆頭公爵といい、この国の王族と高位貴族は気さくすぎやしないか?
チェレグド公爵は、今でこそ公爵として申し分ない振る舞いを身に着けているが、海と市井で培った庶民感覚は失われてはいないようだ。アルバートはおそらく、世間知らず過ぎて、それが気さくな行為なのか、軽率な行為なのか、いまいち理解していないと思われる。
そんなマリーナの戸惑いに、チェレグド公爵は言った。
「『夕凪邸』の片付けは、金目のものばかり拾って、そうでないものは、軽視されがちな傾向があると思ってね。
それは仕方が無い事とは思うが、ほら、昨日の本。
『暁城』の例のお方が拾ったそうじゃないか。
ああいう物は、知らない人間にとっては、ただの焦げた本だ。
だが、家族には思い出深い本だったろう。
助け出せるのならば、そうしたいから、そういう物の見分けがつく人間が立ち会った方がいいのではないだろうか」
「殿下が……!」
ナタリーが持って来たので、マリーナは彼女が拾ってきたとばかり思い込んでいた。確かにあれは想像以上に重要な品だった。あの本をアルバートが拾ったことは奇縁だ。彼はあの本を読んだのだろうか?もし、その上で、マリーナに渡すように言いつけたのならば、何も知らない彼女にも、自分が知った『母親の罪』を知らせようとしたのだ。
彼はエリザベス・イヴェンジェリンのやった事を知り、マリーナと結婚したいと思わなくなったのだろう。
と、そこまで考えて、王太子からの結婚断念が申し出されたのが、本が見つかるより、少しだけ前だったことに気がつくが、いずれにしても、マリーナを王太子妃にしなかったことに、感謝はしているに違いない。
「私はキール艦長夫婦の若い頃の持ち物に詳しい。役に立つよ」
考え込んでいるマリーナが、自分に遠慮していると思ったチェレグド公爵は、そう申し出た。
「あ、ありがとうございます!」
慌てて、マリーナも礼を言う。
彼女は、両親の若き日の事情もだが、物も把握してはいなかった。チェレグド公爵の意見は貴重だ。
「私も……出来れば片づけに参加したいです」
命を狙われているからと、反対されると思いきや、チェレグド公爵はそれを歓迎した。
「君の身は我々が守ろう。
”ジョン”が後生大事に家にいては、不審に思われる。
”マリー姉さま”が身代わりになって、引きこもってくれるそうだ。
――ああ、あの婚約者の青年も納得済みだよ」
マリーナの出生の秘密を聞き、ジョン・スミスがアシフォード伯爵で、気の良いおじさんがチェレグド公爵だと知ったマイケルは茫然自失として、自分の部屋に戻っていったが、ローズマリーに朝早く呼ばれ、しっかり口止めされたらしい。
「今は『東の森』に行っている」
「ああ、マリー姉さまの為に、泉に水を汲みに行って下さったのですね」
「いいや」
「ええ?」
そう言っている内に、マイケルがやって来た。一人ではなく、コーナー家の刀自さまも一緒だ。
大きな籠いっぱいに薬草があった。
「おはよう! マリーナさま! ……おはようございます。ミスター・エリック」
恐る恐る、マイケルは言われた通りにチェレグド公爵を呼んだ。
「おはよう。頼んだ薬草はあったかな?」
「はい。祖母に聞きました。
この草を煎じて飲めば、気鬱によく効くそうです」
「気鬱?」
『夕凪邸』が燃えたことで、一時、キール夫人が寝込んでいたが、大分、元気になっているし、姉二人は殊更に明るい。マリーナも、チェレグド公爵に薬が必要なほど、落ち込んでいる様子を見せてはいないはずだ。
一体、誰がこんな薬草、必要なのだろうか?
マイケルたちは『東の森』で摘んできたローズマリー用の薬草を煎じにいそいそと母屋に向かってしまった。「これも祖母に教えてもらいました。いつも摘んでいる薬草だけど、生えている場所で、効能が高いものと、そうでないものがあるそうです! これはその良く効く方の薬草ですよ」
マリーナはアルバートに初めて出会った日、『東の森』でマイケルにも出くわしていたことを思い出した。あの時、彼は腰につけていた小さな籠の中身を隠そうとしていた。あの中にはローズマリーの為に探し、摘んで来た薬草が入っていたのだ。
「これを、『暁城』に」
チェレグド公爵が息子に薬草を渡した。
「かしこまりました。父上」
そう言うと、コンラッドは『暁城』から連絡用に連れてきた馬に乗って、目的を果たすべく、去って行った。
「あれは馬に乗れるようになったんだな」
颯爽と馬を操る息子に、父親が感心しているところを見ると、彼も乗馬が不得手のようだ。
「いやぁ、便利、便利」
「あの――」
「エリック伯父さんと呼んでくれると嬉しいな」
「エリック伯父さ……ん」
「なんだ?」
姪に初めて”伯父さん”と呼ばせたことに、チェレグド公爵はご満悦だった。
「あの薬草はどなたが?」
「ふむ……」
浮かれてはいても、チェレグド公爵は冷静に、周囲を見回してから、声を潜めて答えた。
「殿下だよ。
どうも昨日から、気分が優れず、部屋に籠ってしまわれたのだ。
医師に診せたところ、怪我でも病気でもない。
ずっと固まっている」
「固まっている?」
「そうだ。あの殿下の悪い癖だよ。
何か落ち込んだりすると、固まるのだ。
まぁ、変なことを口走ったり、八つ当たりに走ったりすると、周囲の人間に迷惑がかかるから、そういう時はひたすたら閉じこもって、無言でやり過ごすようにしているようだが……」
王太子も、つくづく大変な身分だ。
「だが、我が城で預かっている以上、出来るだけのことをせねば、不敬の謗りを受ける」
公爵も、面倒な立場である。
「まぁ、これで今日の分は、十分、構った。必要ならばコンラッドがなにかするだろう。さぁ! ジョン!
伯父さんと共に、『夕凪邸』の片づけをしよう!」
チェレグド公爵の参加は非常に役に立った。
思い出の品だけでなく、高価なものの値踏みも出来た。一日で、二つの視点から価値のあるものが救い出された。
いくら思い出があればいいと言っても、やはり物が残っていると嬉しいものだ。
ただ、昨日の今日だったので、母親の物を見つけると、マリーナは複雑な気分になってしまった。反対に、父親からの手紙の一部が見つかったことはマリーナを大いに喜ばせた。文箱代わり使っていた頑丈な船用の木箱は、外側がすっかり焼け焦げていた。中も蒸し焼き状態ではあったものの、かろうじて読める手紙が何通かあったのだ。
それを見て、チェレグド公爵は懐かしそうに微笑んだ。
「キール艦長は筆まめだったからね。よく便箋の在庫を切らして、私のものを差し上げたものだ。
私は筆不精で、便箋など、余らせるだけだった。
……艦に乗る息子を持ってみると、手紙と言うのは、待ち遠しいものだったのだね。父親はともかく、母親にはもっと手紙を書くべきだった。
たった一枚か二枚の手紙でも、親孝行が出来るのならば、お安い御用だというのに。
うちは息子も同じようなもので……これまた、筆まめなウォーナー艦長に差し出すために便箋を持っていくようなものだ。
もっとも、私も妻には手紙を書く労を厭わなかったので、コンラッドにもそのような女性が出来れば、話は変わってくるだろうがね」
チェレグド公爵の話に、マリーナも笑みを漏らす。
「ジョアン兄さまは家族四人に、万遍なく長いお手紙を書いてくれます。
ここ最近、航海が長くなると、やけに立派な紙に変わるので不思議に思っておりましたが、あれは……」
「そう、うちの便箋だ」
「ご迷惑をお掛けします」
「いやいや、艦の上にいつまでも紙を置いておいてもしけるばかりだ。紙も火薬もしけっては使い物にならんからな。
人間も……いつまでも悲しんでいるのはよくない。
マリーナは元気そうで良かったよ」
チェレグド公爵は姪を見た。母を失い、父を失った。そして今、家まで失った娘は、思ったよりもカラッとしていた。
「落ち込んでいては仕事になりませんから。
父が申しておりました。
『落ち込むのは陸に上がった後にまとめてする』と。
『航海中に他に気を取られていては、思わぬ事故に繋がるし、戦いにも勝てなくなる』そうです」
「なるほど。
キール艦長が熱心に手紙を書いた理由がよく分かるよ。
こうも自分の話を良く聞き、その薫陶を胸に、立派に育つ娘に会う度に、さぞや誇らしい気持ちになっただろう。
マリーナこそ、キール艦長の一番弟子だよ。私は、弟子失格のようだ――」
誇らしげに父の言葉を語ったマリーナを見て、そう言うと、チェレグド公爵はかつての艦長の教訓に倣うことなく『夕凪邸』の焼け跡を前に、しばし、その手を休めた。
マリーナは決して、その伯父を急かすことはせずに、同じく黙ってその隣に立った。




