027:鳴かぬ蛍が身を焦がす
チェレグド公爵令嬢・エリザベス・イヴァンジェリン・ルラローザは恋をした。
休暇中の兄が、チェレグド公爵邸に連れて来た素敵な年上の男性、若きキール艦長である。けれども、その身は王の婚約者。決して叶えられる恋ではなかった。
秘密の恋は、そのまま秘密で終わるはずだった。
だが、そんな彼女と王の目の前に、ロザリンド・ラブリーが現れる。王は瞬く間にロザリンドに恋をした。
多くのものはエリザベス・イヴァンジェリンを憐れんだが、当の本人にとっては渡りに船である。
そして、恋する乙女は無謀だった。
「まるで『焼き打ち船』みたいな迫力だったよ」
兄のチェレグド公爵はそう、述懐した。
自らを燃やし尽くしても、相手を壊滅させる。
「妹は王を唆したのだ」
「ええ!?」
娘であるマリーナには、往時の母の姿からは、そんなこと、とても想像できなかった。人違いではなかろうか。
「『あなたは王。ただ一人の王。成人したのに宰相が実権を握っているなんておかしい』、『王さまなんだから、なんでも思い通りに出来るのよ。好きな人と結婚だって、当然、出来るわ。その権利があるのよ』と、言葉巧みに吹聴したのだ」
王はすっかりその気になり、自身の婚約者と謀って、芝居を打った。
「それが『意地悪な公爵令嬢』」
「ああ。妹は父をも陥れた。元々、嫌いだったんだよ。強欲で自分勝手な父を恥ずかしいと思っていた。よく父の目を盗み、屋敷の金目のものを売っては、下々のものに施しをしていた。
王に父の不正も密告した。娘という立場を利用して、そりゃあ見事な証拠を一揃い、準備したらしい。
追放される馬車の中で、妹は公爵令嬢という身分から解放された嬉しさと、愛する男の元へ嫁ぐ希望で……笑い転げていた」
チェレグド公爵は妹に付き添っていた。昨日のことのように思い出すのだろうが、どこかうんざりした表情になった。
「そして私の手引きで、その馬車は山賊に襲われ――憐れ公爵令嬢は賊に攫われてしまった」
「ええ!?」
「その山賊の一味が、そこにいるミスター・ブラッドだ」
「ええ!?」
昔の悪事をばらされたパーシーが、気恥ずかしげに頷いた。
「お頭は、キール艦長でした」
海軍が山賊となって、無法を働いたのだ。
「妹とキール艦長は、結婚を宣誓した」
それでもう、父親の先々代のチェレグド公爵は手が出せなくなった。娘は傷物になってしまった。
田舎に数年置き、ほとぼりが冷めたら、どこか適当な貴族に嫁がせることも出来なくなった。
「父の怒りはすさまじかった。
期待していた娘が、自分を裏切っただけでなく、公爵家まで危うくしたんだからね。
もういっそ、死んでしまったことにした方が、名誉は守られると、娘は病気になり、亡くなったとして葬式を出してしまった。
もっとも、事の次第を知っている人間は、知っていたさ」
国王もその一人だった。何しろ共犯者だったからだ。
先々代と先代のチェレグド公爵が、キール艦長に不利な扱いをしようとするのを、さりげなく助けたこともあったらしい。
しかし、その内、国政と妻に倦み始めると、逆にキール艦長に嫉妬するようになっていった。
あのエリザベス・イヴァンジェリン・ルラローザという女性は、素晴らしい女性だった。想い人と結ばれるために、決然とその意思を貫き通した姿も見事だった。彼女に対し、一番の権利を持っていたのに、一時の気の迷いでロザリンド・ラブリーなんかと結婚してしまった自分が愚かだった。
「王は私を見ると、しみじみ言うのだ……チェレグド公の妹は見事な人だったな……と」
「ひどい……」
王妃が歪むのも当然だ。しかし、同情ばかりはしていられない。
王との婚約を破棄させ、田舎に放逐し、世間から葬ったはずのエリザベス・イヴァンジェリン・ルラローザが実は自分を利用していて、いつまでも王を魅了し、ことあるごと王妃の前に姿なき姿を現す。そして、ついにはその憎き女の娘が、自分の息子と結婚しようとしている。
二度と、そんな愚かな真似を考えないように、徹底的に脅かし、懲らしめなければいけない。
それが『夕凪邸』焼き打ち爆破事件の真相だった。
***
その夜、マリーナは一睡も出来なかった。
自分が公爵家の血筋だった驚き。王太子があっさり自分を諦めたことに対する言い様のない気持ち。将来に対する不安。
それらが浮かんでは沈んでいった。
起き上がり、闇の中で、母が自分に残した本を探り当てる。
あの後、ナタリーが焼け跡の中で見つけて来たと持ってきてくれた『意地悪な公爵令嬢』だった。少し焦げているが、中身は無事らしい。懐かしい本だった。内容をそらんじていたことと、いつの間にか置き場所が分からなくなってせいで、本自体を見るのは久しぶりだった。
僅かな明かりで、その本を読むことにした。
マリーナにしてみれば、それによって、母親のことを懐かしみ、思い出に慰めてもらうはずだったのに――。
彼女はアルバートと同じように、その物語の真意を知った。娘には語って聞かせなかった事実。夫のキール艦長も、兄のエリックも知らない真相。王も王妃も気づかなかった事情。いつしか開くことのなくなった本に書き足されていた真実を。
「お母さま……! なんてことを!!
お母さまも苦しんでいたのですね。ただ、好きな人と結ばれ、幸せに過ごしたいと望んでいたはずなのに――。
それがこの結果なの!?」
両親いての自分だったが、両親の起こした行動のせいで、マリーナは困った立場に置かれた。
「殿下も大変なのね……」
ある意味、マリーナとアルバートは同じく、両親の恋愛によって生まれ、その恋愛によって翻弄されている。今なら、少しだけ、アルバートが恋愛に関し否定的で、事務的な結婚に走りたがる気持ちが理解出来なくもない。
国王と公爵令嬢。
結ばれることのなかった二人には、当然、子どもは生まれることがなかったが、彼らが引き起こした婚約破棄によって、『憎しみ』と『混乱』が生み出されてしまった。
それは婚約破棄が残した忘れ形見。
「お母さま……」
母の残した本を抱きしめ、物思いに浸っていると、こんこん、と扉が叩かれる音がした。
まさかまた賊が? と身を引き締めた彼女に、擦れた声が聞こえた。
「マリーナさま?」
「ジョアン兄さま?」
義兄はマリーナの部屋には入らず扉越しに聞いた。
「物音がしましたので……起きていらっしゃるのですね?」
「はい」
「眠れないのですか? それは構いませんが、部屋からはお出にならないように」
どうやら彼が、今夜の彼女の護衛らしい。ずっと扉の前にいたのだろう。
「ええ……」
マリーナは扉の所まで来て、ぴったりと身を寄せた。そうすれば義兄の温もりが感じられるかもしれないと思ったのだ。
「黙っていてすみません。なかなか言い出せずにいました」
それはなぜだろうか?
パーシーはあっさりとマリーナの正体を告げた。彼にとって男爵令嬢のマリーナも、公爵令嬢の忘れ形見のマリーナでも、身分がずっと上という点では、大差ない存在だからだ。
けれども、ジョアンは違う。男爵令嬢のマリーナならば、まだ、彼の手の届く存在なのだ。
――と、思いたいところだが、実際はどうなのだろうか?
「ジョアン兄さまは、私が殿下と結婚すべきだと思いますか?」
もうその話は無かったことになっていたが、聞いておきたかった。
扉の向こうで沈黙が続く。
「――私は……」
ようやくジョアンの口は開いたが、歯切れが悪い。
「キール艦長とイヴァンジェリンさまより、マリーナさまを任されました」
つまり、結婚して世話をしても良いと言うことだ。
マリーナの胸は期待で膨らんだ。
「なので、マリーナさまには幸せになって頂きたいと思っています」
「それが王太子との結婚なの?」
そうじゃないでしょう? とマリーナの口調は問い詰めるようだった。
「王太子でなくても……チェレグド公爵の姪御さまとして、相応しいお相手とご結婚なさるのが、一番だと……」
「ジョアン兄さまは……?」
その問いかけに、先ほどの沈黙はなかった。
「マリーナさまに、私は相応しくありませんので」
分かりきったように言われた。
「マリーナさまはイヴァンジェリンさまのように、お美しく優しく、賢明な女性にお育ちになりました。
きっとよき縁談があるでしょう」
「ジョアン兄さまの馬鹿……!」
「?」
小さく呟いた声は、扉を通ることはなかった。マリーナは泣き声も外に漏れないように、枕に突っ伏した。
結局、ジョアン・ウォーナーは自分のことを、大恩ある男の娘としか見ていないのだ。
――いいや、違う。『イヴァンジェリンさま』だ!
がばっと枕から、顔を上げた。
これまでジョアンは何度となくマリーナの母・イヴァンジェリンの話題を出していた。直接だったり、手紙だったり。
しかし、こんな風に、声は聞こえど、姿は見えない状態でその話を聞くのは初めてだった。それで気が付いた。
あの物言い、口調。どちらも、アルバートがヴァイオレット妃を語った時と、そっくりではないか。
ジョアンにとって、マリーナは敬愛する女性の娘。見果てぬ幻想の女性の忘れ形見。
だが、マリーナはイヴァンジェリンにはなれなかった。若葉のような緑色の瞳は同じだったが、”あの気高く善良で美しい”イヴァンジェリンさまには程遠い。
「でも、私、知ってしまったわ」
ジョアンだけでなく、自分も尊敬する母は――『意地悪な公爵令嬢』。
本をそっと撫でる。
「いっそ、本当の妹として扱ってくれれば良かったのに」
もしも、ローズマリーやミリアムと同じように接してくれれば、純粋に”兄”として慕えたのに。なまじ妹のように、そうかと思えば他人行儀に優しくする。そんなどっちつかずの対応で、自分に可能性を感じさせるなんて、卑怯ではないか。
「お母さまもよ……こんな本を書いて! 知りたくなかったわ!」
尊敬する二人の新たな一面を知り、マリーナは母と義兄に幻滅しかけた。が、やはりどうしてもそこまで思い至ることは出来ない。
いっそ一思いに、嫌いになれた方が楽だろうに。そうするには、マリーナには愛情がありすぎた。
『殿下は王妃さまがお嫌いなのですか?』
『ずばりと聞くね。『そうだ』とも言えるし、『そうではない』とも言いたい。
何しろ母親だからね――』
マリーナの脳裏に、以前交わしたアルバートとの会話が甦った。アルバートにとって王妃は産みの母親だった。その存在を否定することは、子どもとしては辛いことで、王太子という立場ではしなければならないことだった。
「『そうだ』とも言えるし、『そうでもない』とも”言いたい”――か」
マリーナは暗闇の中で『意地悪な公爵令嬢』の物語を綴った本を抱きしめ、呟いた。




