026:白羽の矢が立つ
マリーナがパーシーと共にコーナー家の一角に戻ると、キール男爵家関係の人間が全員揃っていた。
すなわち、キール夫人、ジョアン、ローズマリー、ミリアム、そして、マイケルとコンラッド。それからもう一人……。
「公爵閣下……」
パーシーが片膝をついた。
コンラッドに良く似た陽気そうな顔つきに、もっと色を薄めたような銀に近い金髪は、手入れは行き届いていたが、かつて海風に晒された名残があった。マリーナは父親の葬儀で一度、その顔を見て、その名を知っていた。彼は海軍大臣・チェレグド公爵エリオット・グレン・ルラローザだ。
当代のチェレグド公爵は、まずパーシーの元に行き、その手を取り、立ち上がらせる。
「怪我は大丈夫かい? ミスター・ブラッド。楽な姿勢を取ると良い」
それでもパーシーはかしこまったままだ。
「『夕凪邸』を守りきれませんでしたこと、申し訳ありません」
「いやいや。こちらこそ、うちの馬鹿息子のせいですまないね」
父親に馬鹿息子呼ばわりされたアシフォード伯爵コンラッド・アーサー・ルラローザは、肩をすくめた。さらに厳しい声がかけられる。
「まったく、だからあれほど気を付けろと言ったのに。
お前たちのような青二才の浅慮で、マリーナがどんな酷い目にあったと思っている! …おお! マリーナ? ……マリーナ……か?」
最初の印象からガラリと公爵らしくなく変貌した男に馴れ馴れしく、肩を掴まれたマリーナは、どう反応して良いか分からなかった。代わりにパーシーが答える。
「はい。この方がキール艦長とイヴァンジェリンさまのご息女、マリーナさまです。
故あって、男の恰好をしております。外では”ジョン”と呼んで下さい。まだ、狙われていると思います。危険ですので」
「そうか……年頃の娘にこんな格好をさせなければならないなんて。可哀想に……」
「いいえ。あの……趣味も入っていますので……」
マリーナがちらりとコンラッドを見ると、神妙な顔で頷き返された。どうやら、父親の前ではいつもの軽い調子は出ないようだ。
「チェレグド公爵閣下……あのー、うちの娘が狙われているとは、どういうことなのでしょうか?」
キール夫人は突然、偉い人がやってきて、いきなり息子を叱りつけたり、マリーナを甘やかしたりしはじめたので、困惑していた。キール艦長の友人とは聞いていたが、どうもそれだけではない雰囲気だ。
「大変、申し訳ない事態です」
パーシーを長椅子に座らせ……ミリアムが率先して手助けしようとしたが、案の定、怪我をしている所にぶつかって、激痛を走らせたので、妹を反対側の椅子に座らせ、ジョアンが介添えした。それから、全員が個々の居場所に落ち着くと、チェレグド公爵はかいつまんで今の状況を説明した。
それは現在の国勢と、それに伴うアルバート王太子とマリーナの縁談であった。
「お……おおおおお……おおう……おう……」
泡を吹きそうなキール夫人は置いといて、ローズマリーが問うた。
「それで王妃……っと、あのお方が、それを破談にさせようと、いっそ殺してしまえとばかりにマリーナを襲わせたのですね」
「そうです。お嬢さん」
チェレグド公爵は、コンラッド以外の人間には、非常に公爵らしく対応する。
「ミスター・ブラッドが『夕凪邸』を伺う怪しい男を見つけ、戦いになったんです」
コンラッドが長椅子にやっとのことで座っているパーシーを見た。例の怪我・打ち身・擦り傷によく効く『チェレグド公爵家特製の酸っぱい飲み薬』を嫌そうに飲んでいる。薬の味だけでなく、手負いにさせられたことも苦々しいといった風情だ。
「それで、これはいけないと、我々は、マリーナ嬢に”ジョン”という少年の姿を装わせ、賊の目を晦ましました。
夜は交代で、『夕凪邸』を巡回し、警戒にあたってはいたのですが」
ジョアン、コンラッド、パーシーは昼間は何事もなかったように過ごしつつも、夜は二人一組、三交代で朝まで起きていた。「体力だけはありますので」
「だから、あんな真昼間に焼き打ちがあったんですね」
マリーナの疑問が解けた。
賊はマリーナが誰か把握していなかった。結果、様々な噂からマリーナは栗色の髪の毛の病弱な娘だと思いこんだ。
「つまり僕のマリーをマリーナと思わせて、囮にしたってことですよね!」
マイケルが激怒したが、ローズマリーがその手を軽く叩いて、落ち着かせた。
「怒らないで。寝ているばかりの私が妹の役に立てて嬉しいわ。
賊はジョアン兄さまとアシフォード伯爵が不在な時を狙って、凶行に至ったのね。まさか本当の狙いのマリーナが”ジョン”として一緒に『暁城』に行っているとは思わずに……」
「そういうことだろう」
頷くチェレグド公爵の表情は苦々しかった。
「私の領地の鼻先で、あそこまで派手に動かれるとは、侮られたものだ」
先代チェレグド公爵は妻の影響と、自身の気位の高さもあって、反王妃派であることに疑問を抱いていなかった。しかし、跡を継いだ弟のチェレグド公爵エリオットはこのままでは国のためにならないと、融和を求め、王妃に近づこうとしていたが、今の所、王妃側にはまったく歩み寄るつもりはなさそうだ。
「ここに来る前に王太子殿下にもお会いしたが、今回の縁談はなかったことにして欲しいそうだ」
「聞いております」
先程、マリーナはアルバートに会って、直接、そう聞かされた。なぜだか気分が重かった。
「そうか……『夕凪邸』を失わせた挙句、こんなことになって、いくら謝罪してもし足りない。
それだけではないのだ。あの方は、マリーナの存在を思い出してしまった。そして疎ましく思われた。
こうなったら、もはや安全な生活は出来ないと思ってくれ」
「ええ!?」
王妃の望み通り、王太子から結婚話はなかったことにされた。これ以上、マリーナが狙われるなんて、おかしい。まかさ一生、男の恰好をして生きていかなくてはいけないのだろうか。
「ああ、妹に申し訳ない。きっと天国で怒っているぞ」
チェレグド公爵はうわ言のように言い、ぶるりと震えた。それから、またもや息子に怒った。
「だから言ったのだ。頼むからマリーナのことはそっとしておいて欲しいと」
「そうは言いますけど、目に見える形がなければ海軍閥の血気盛んな連中は納得させられません。
……ウォーナー艦長は反対しておられました」
「はい。大臣。私も出来ればマリーナさまをこんな危険な目には合わせたくはありませんでした……」
一瞬、部屋の中に気まずい沈黙が訪れた。キール男爵家の人間は互いに顔を見合わせた。
「悪いな、ウォーナー艦長。しかし、もうこの運命からは逃れられない。
マリーナ……『夕凪邸』は失われた。その身は狙われ続ける。
よって、今後は王都のチェレグド公爵邸に来て、そこで暮らしてもらえないか?」
「ええ!?」
思わぬ誘いにマリーナは驚いた。なぜ自分がチェレグド公爵の家に引き取られるような話になっているのだろうか。
キール夫人はローズマリーによって気付け薬を嗅がされていた。
「ご親切はありがたいのですが、私……。
あ! 下働きか何かで雇って下さるのですか?」
人間、自分の予想もつかない現実の前では、多少、強引でも納得のいく答えを見つけようとするものだ。
だが、チェレグド公爵は首を振った。
「私の娘として、引き取る」
「ええ!?」
「もう、マリーナ、あなたさっきから『ええ!?』しか言ってないわよ」
そう言うミリアムも所在なさげにウロウロした挙句、パーシーの手から、空になったカップを受け取った。
「でも、だって! 娘って……」
いくら親友の娘だからって、公爵家の令嬢として引き取るなんて、あり得ない話だ。
「マリーナさま……マリーナさまには、時期がきたらお伝えするように、イヴァンジェリンさまより託されたものがあります」
パーシーが胸元に手を入れ、小さな袋を差し出した。
恐る恐る受け取り、マリーナが中を確認すると、そこには、紋章の入った指輪があった。
「これは……?」
「これはチェレグド公爵令嬢・エリザベス・イヴァンジェリン・ルラローザさまの紋章と指輪です。マリーナさまのお母上の指輪ですよ」
いよいよ畏まった様子でパーシーは言った。
カップが床に落ち、盛大な音がした。
「お……お母さまが? エリザベス・イヴァンジェリン・ルラローザ?」
『意地悪な公爵令嬢』だ――。
「そうだ、マリーナ。
そなたは私の妹の娘。私にとっては姪。コンラッドにとっては従妹にあたる娘なのだ。
なにもまったく縁もゆかりもない娘を引き取る訳ではない」
「だから……」
「そう、だから、王太子殿下は君に白羽の矢を立てたんだよ」
マリーナにとって従兄にあたる人間が、そう言った。
ただの男爵令嬢ではない。
マリーナ・キールは海の英雄・キール艦長の令嬢であり、海軍閥の長にして、筆頭公爵家・ルラローザの血を引く令嬢。
王妃派と反王妃派の融合を目指す王太子・アルバートにとっては、まさにうってつけの結婚相手であった。




