024:踏んだり蹴ったり
その夜、『東の森』を赤く染め、炎に包まれた『夕凪邸』は、なすすべもなく燃え続けた。
キール男爵家はコーナー家の好意で、屋敷の一角に避難させてもらった。コーナー家は、まさかうちの坊ちゃまが、キール男爵家のお嬢さまと恋仲だったとは知らず、どうも、これは結婚とか、そう言った方に話が向かいそうだ、ならば家族も同然ではないか、という気持ちになって、心からのお見舞いと、親切を惜しまなかった。
肝心のローズマリーは火事の衝撃もなく、元気だった。やっとマイケルとの仲が公になって、気持ちが弾んでいる。キール夫人の方が、衝撃で寝込んでしまっていた。
ミリアムも沈み込んでいたが、そちらは健全な悩みからだ。
「私の髪の毛……ちりちりになちゃった……」
いち早く逃げ出したミリアムだったが、その最中、自慢の赤毛を一房、燃やしてしまった。
「それくらい、大したことないじゃない。切ってしまいなさい」
逃げ遅れたものの、マイケルのおかげで傷一つ無い姉がこともなげに言ったので、妹は立腹した。
「そういう問題じゃないの!
だったら、マリー姉さまの髪の毛、譲ってよ!」
「それは無理よ。髪の色が全然、違うもの。私の髪の毛はマリーナと同じ栗色なんですからね」
「何よ! 意地悪! 大体、自分一人だけ恋人を作っていたなんて、ずるいわ!」
賢い姉と比べて、美貌しか取り柄がないと思っているミリアムは、その取り柄すら姉に奪われた気持ちだ。一体、いつの間に! そして、ミリアムは姉がマリーナの結婚を推し進めようとした真意に気付いた。 この閉塞的な田舎で、王都に行くことも出来ず、頼りになれる親戚もいない男爵令嬢であるマリーナに相応しい相手は”西隣”のマイケル・コーナーしかいなかった。彼は身分は別として、資産もあり、年齢も性格も申し分ない。しかし、その妹のお相手候補と、姉の方が恋に落ちてしまった。こうなったら、自分の全知全能を掛けて、多少強引でも、キール艦長と縁がある”東隣”のアシフォード伯爵と娶せなければ、申し訳がたたないと考えたのだろう。
そのために撒いた餌に、なぜか王太子が引っかかってしまったのだが。
「あ……マリーナ、大丈夫?」
大人しすぎて、気が付かなかった。それほど、マリーナは落ち込んでいるのだ。自分の髪の毛が一房くらい縮れたって、姉の言う通り、大したことではない。髪の毛なんて、また伸びる。だけど、『夕凪邸』はもう失われてしまったのだ。
「平気です」
青白い顔で、マリーナは言った。『夕凪邸』を見に行こうとして、止められていた。
彼女はミリアムに、何があったのかを聞くことにした。『夕凪邸』が火事になったのは事実だが、それにしても、燃え方が激しい。火元と思われる場所は、台所とは反対方向だし、使っていない部屋で、人気は勿論、火の気だってない。火があがるはずがない上に、爆発するなんて考えられない。
「賊よ!」
ミリアムは断言した。
「「賊?」」
さしものローズマリーも、火事の原因はよく知らなかったようだ。マリーナと共に驚く。
「そうなの。あれはえーっと……」
話し始めた時、扉が開いて、ジョアンが入って来た。
焦げた臭いが、身体中から漂っている。ジョアンはコンラッドと共に、『夕凪邸』の周りを警戒し、手助けしてくれる村の自警団の人々を指揮していたが、そろそろ火の勢いも落ち着き始めたことから、交代で休憩することになった。そこで、有能な副長は、まず艦長に休むように進言した。「ご家族に顔を見せてあげてください。『夕凪邸』を見守るのは私でも出来ますが、キール男爵家のみなさまを安心させられるのは、艦長だけです」
そこでジョアンはまず、怪我をしたパーシーの様子を見た後、家族の集まるコーナー家の一角に顔を出したのだ。
「ミリアム、その話、私にも聞かせてくれないか?」
「いいわ」
ミリアムは語った。
「マリーナたちが『暁城』に行ってしばらくしてから、『ノラが変な臭いがする』って言うんです。私も、なんだかそんな気がして。油みたいな、火薬みたいな……」
そこでノラと一緒に、その臭いを辿っていくと、普段は使っていない『夕凪邸』の北側の方に入りこんだ。
「そこで、黒尽くめの男に会ったんです! ……ノラが」
その時、ミリアムは一つの部屋を覗き込んでいた。ノラの悲鳴を聞いて、飛び出すと、偶然、賊とぶつかった。
「なぜか床がやたらと滑って、勢いよく衝突しちゃったの」
慌てたミリアムはその賊を踏みつけ、それにビックリしてさらに蹴飛ばした。顔面を。
「その男、鼻血を出して、伸びちゃった」
破壊のミリアムの面目躍如だった。ローズマリーとマリーナ、ジョアンすらも、ついつい忍び笑いが出る。
しかし、状況は笑っている場合ではなかった。賊は一人ではない様子だ。
だが、そこにパーシーが現れると、賊は逃げ出した。
「その頃には、油の臭いは我慢出来ないくらいひどくなったわ。あれは、古くて良くない油よ。
とにかく、ここから逃げないと、となったんだけど、窓の外を見たパーシーが『焼き打ち船だ!』って叫んだの」
「『焼き打ち船』とは……お兄さまの得意技ですわね」
ローズマリーにそう言われたジョアンは不本意そうな顔をした。
「人聞きの悪い」
『焼き打ち船』とは、船一隻に火薬や油を積み込み、敵の艦隊の中に突っ込む戦法だ。船は木造なので、よく燃える上に、逃げ場所がない。よって、船での火は厳重に管理されていた。その際たるものの火薬は、艦内の火薬庫に置かれ管理された。いざ戦闘となれば、濡れた布を垂らしたそこから、火薬が火薬運搬係に渡され、各砲門に運ばれる。パーシーが子どもの頃に従事していた仕事である。
港などでは船は密集し、互いが繋がった状態で係留されていることもあって、味方の船を一隻、犠牲にはするものの、上手くすれば敵側にはそれを上回るかなりの損害を与えることが出来るのだ。
ジョアン・ウォーナーは海尉だった頃、焼き打ち船の指揮を任じられた。彼の初めての艦長経験は燃える艦であった。その後も、二度、『焼き打ち船』作戦に携わっていた。
「船じゃなかったわ」
ミリアムが自分の話に引き戻した。
「荷車だった。荷車に火薬樽が乗せられて、それが裏口に突っ込んで来たの。その後、賊が火を放ったら、見る見る間に、燃え広がったわ」
それであの爆発音と、火の回りの速さだったのだ。屋敷内にも予め、油が撒かれていた。
「パーシーは私たちを逃がし、気を失った賊を二階の窓から放り投げ……酷いと思うけど、そうするしかなかったの。
あの賊、助かったかしら?」
ジョアンは暗い表情で頷いて見せた。
「パーシーは?」
家を燃やした賊よりも、ミリアムはそちらが気になっていた。パーシーは『焼き打ち”荷車”』を阻むために、裏口へと向かったのだ。
そこで、戦闘になったが、真昼間にあの爆発音と煙である。あっという間に人が集まってきたこともあって、賊は『東の森』の奥へと消えて行った。
「ここに来る前に見舞ってきたよ。怪我は酷いが元気そうだ。コーナー家の人が良くしてくれている」
「良かったわ。私も明日の朝に、お見舞いに行く!
……マリーナは『東の森』を通って来たのでしょう? 賊に会わなくて良かったわね」
そうミリアムは自分の話を締めくくり、今度は自分の疑問を兄にぶつける。
「それにしてもなぜ、『夕凪邸』は焼き打ちにあったの?
お兄さまったら、どこでそんなに恨みをかっちゃったのよ? やっぱり『焼き打ち船』で敵を殺したせいなの?」
「それは――」
ジョアンとマリーナが顔を見合わせた。
アルバートは自分の母親、すなわち王妃の仕業だと断定していた。
キール男爵家の令嬢と王太子である自分の息子を結婚させないために、マリーナごと『夕凪邸』を燃やそうとしたのだ。
そうだとしても……だ。やりすぎではないか? それに、こういうのは夜中にやるものだ。人目につかない上に、『夕凪邸』の全員が揃って、眠っている。こんなに日が高いうちに、しかも、標的が不在なのに、こんな蛮行をするなんて、おかしい。他の手際が良いだけに、単純な失策とは考えられない。
「少し……時間をくれないか? 『夕凪邸』はまだ燃えている。
気持ちを落ちるける時間も必要だろう。
マリーナさま……お守り出来ずに、申し訳ありません」
「しかし」とジョアンはマリーナに念を押した。「私が許可するまで、この部屋から一歩も出てはいけません。ジョンの姿も続けて下さい」
言われなくても、ドレスはすっかり灰になっている。マリーナにはジョンの恰好の為に仕立てた服が、村の仕立て屋に残っている。それを着ればいいだけだ。
「私はマイケルが着心地の良い服を用意してくれるって」
「――え? 私は……?」
煤で汚れたままのドレスのミリアムはその場の全員の顔を見回した。
「なんで私だけ、着るものがないの!? みんな、ずるいわ!!」
ジョアンは自分の軍服も燃えてしまったことを妹には言わなかった。ミリアムはわざと駄々をこねて、場を和ませようとしていた。マリーナはちょっとだけ表情を柔らかくして、姉を慰めた。
「ミリー姉さま、『夕凪邸』で何か焼け残ったものを探してきます。
それを換金すれば、少しはお金になるかも。それで新しいドレスを仕立てましょう。
新しいドレス……お好きでしょう?」
「マリーナ……!! あなたって、本当、良い子!」
感極まって妹に抱きつこうとしたミリアムは、その途中で何かに躓いた。
とっさにジョアンとマリーナは、その場の壊れそうなものを救出した。
「頼むから……コーナー家のものは壊さないでくれ」
ジョアンは呻き、ローズマリーは「マイケルは許してくれると思うわ。優しいから」と惚気た。
「きぃー! 爆発してしまえぇ!」
「本当に。こんなことなら『夕凪邸』の物、あんなに大事にしなくても良かったわ。
どうせ燃えるなら、ミリーお姉さまが壊しても同じことだったもの。無駄な気を遣わせてしまいましたね」
床の上でミリアムは自分の不謹慎な叫びにすら微笑むマリーナを見上げた。
困ったわ。私の妹、大事な家が燃えたショックで、錯乱している。




