022:過ぎたるは猶及ばざるが如し
王位継承権を持つ若者は、それからも不自然な死を遂げた。しかし、アルバートと同世代で、彼を除けば最も王位に近いウィステリア伯爵ランスロットは、危険と隣り合わせでありながら、その命を守った。継承権が近い若者が少なくなったせいで、彼の存在は俄然、貴重となり、おまけに、継承権が繰り上がったせいで、数代前の王家の血を引くアシフォード伯爵コンラッドの順位までも上がった。彼はウィステリア伯爵ランスロットと同じく、若く有能な海軍士官だった。
それだけではない、他国の国王で、エンブレア王家と縁組をした者まで、継承権を主張してくるようになる。”花麗国”を狙うベルトカーン王国の国王もその一人だった。海を挟んだ大陸の王家は、何重にも姻戚関係にあり、ベルトカーン国王は様々な国の継承権を有していた。野望に燃える国王は、”花麗国”だけでなく、あわよくばエンブレア王国も手に入れたいらしい。
「完全に誤算だよ。考えが浅いんだ。母上は」
アルバートは辛辣だったが、そうなりもしよう。内憂は外患も呼び込んだ。それも率先して。
「その上、母はさらに愚かな選択をしようとしている……いなければ増やせばいい。ただし……」
「ただし?」
愁いに満ちたアルバートは、こんな青空の下でも、一層、色気を増し、話題までもが艶っぽくなった上で我が身に迫ってきたことを察したマリーナは、怯えた。
「ただし増えて良いのは”正統なる継承者””直系血族”。
簡単に言うと、私の子どもだね。私に子どもが出来れば、私の立場もより安泰したものになる。
子どもを作るには正妻が必要だ。愛人や恋人が生んだ子では、王位継承権の正統性にケチを付けられる。
出来れば、良い家柄の最高の血筋の女性がいいけど……」
「自分よりも高貴な女性は、王妃が気に入らないのですね」
「ああ。
外国の王族から? とんでもない! では、公爵家から? 絶対に嫌。
ならば、侯爵家? それも嫌。
では、男爵家? と聞けば、それも駄目らしい」
「なぜですか?」
自分と同じ出自なら、王妃という立場で上に立てる。マリーナの問いに、アルバートは微笑んだ。
「息子の嫁はそんな出自の低いものではいけない。生まれてくる王子が侮られる、とね」
実際、アルバートも王姉と公爵の血筋のランスロットや、王弟と侯爵令嬢の間に出来たトーマスと比べられた。ベルトカーン国王も、また殊更に、男爵令嬢の産んだ王太子をやり玉に挙げた。
「わた……我がキール男爵家のマリーナ・キールも、男爵令嬢ですが?」
「私は構わないよ」
「あ……そうでしたね……」
男爵令嬢が嫌だと言っているのは王妃であって、その息子ではなかった。
「それにマリーナ・キール嬢はただの男爵令嬢ではない訳だし――」
「え?」という顔をしたマリーナを見て、アルバートは口をきゅっと閉じ、それから彼の望む方に話題の舵を切った。
「それでも母は、私に結婚をさせたいと思っている。今すぐにでも。なんとしてでも。
そこで、母は諦めた……」
王妃は自分の愛する息子を、他の女にやること自体、嫌で嫌で仕方が無いのだ。
「だが、母の気に入るような女性が、この国の為になると思うか!?」
すでに何人かに引き合わされているのだろう。そして、いずれもお気に召さなかったらしい。声と握り拳が震えていた。
マリーナは怒りを堪える姿ですら、この人は色っぽいなぁ、と明後日のことを考え始めた。現実逃避の一種である。
「皆、美しい令嬢だった。しかし、美しいだけでは王太子妃としての務めは果たせない。
王太子妃になるためには、姿形が美しいだけではなく、内面が美しくなければならない。
慣れない異国の地にあっても、私利私欲を捨て国の為に尽くし、人々に愛され、尊敬される……それこそが王妃の……王太子妃のあるべき姿だ」
ニミル公爵令嬢ヴァイオレット・ヴィクトリア・アークライトだ――。
マリーナはすぐさま現実に引き戻る。アルバートが浮かべている理想の女性像がすぐに分かった。
幼い頃、サイマイル王国に嫁いだヴァイオレットは”喪服の王妃”と呼ばれていた。それは夫と二度、死別したからだ。
その度に、エンブレア王国の駒として、幼い少女はさらに異国に嫁がされた。一度目はサイマイル王国の国王、二度目は神聖イルタリア帝国の皇帝、三度目は”花麗国”の国王。そして、どの国でもエンブレア王国の王太后も王妃にもなれなかった”皆に愛される王(皇)妃”となった。
彼女の気高く崇高な振る舞いは、大陸中に鳴り響き、海を越えてエンブレア王国にも届くほどだった。
「殿下はヴァイオレット妃がお好きなのですね」
「……何を言うか!」
今度こそ、はっきりと怒りを露わにしたアルバートに、マリーナは確信するしかなかった。けれども、アルバートは否定した。おそらく自覚していないのだ。少女が結婚の挨拶に来た時、少年は彼女に恋をした。それは一生、叶わぬ恋だ。その恋は、しかし、彼に王妃への疑問を抱かせ、正しい道へと導いた。けれども、その恋は、彼に別の枷を嵌めた。
「私はただ、尊敬しているのだ。
サイマイル王は淫蕩な王。イルタリア帝は厳格な老帝だった。幼い身の上なのに、まったく異なる夫、見知らぬ土地でも、彼女は見事にエンブレア王国の名誉を守り、その名を高めた。今も”花麗国”の幼王の病床で、甲斐甲斐しく看病していると聞く。
あれほど素晴らしい女性はいない――」
「そう、いないのです」
マリーナは心の中で思った。『そんな完璧な人間、本当に現実にいるのかしら?』近くにいないからこそ、どれだけ美化しても、それは裏切られない。
「ヴァイオレット妃の面影を追いかけると、殿下の妃は王妃さまの二の舞になります」
「――!? 私の妃も母と同じになる?」
あんまり失礼なことを言ったら、不敬罪で罰せられるかもしれない。それでもマリーナは言わねばならばかった。このままでは、王妃の姿は未来の自分なのだ。
「王妃さまは男爵令嬢という出自を恥じました。それはなぜですか? 誰も彼もが彼女を他の高貴な女性と比べたからではないですか?」
分かってもらえるだろうかと不安だったが、アルバートは得心したように頷いた。基本的に素直な性質なのは、その育ちの故だろうか。もっとも、その育ちも複雑ではあった。
「そうだね。
私もウィステリア卿やアシフォード卿と比べられるのは遠慮したい。自分が惨めにな気持ちになる。
ジョンが私とウォーナー艦長を比べるのもね……君は海軍ではなければ男ではない、という目で私を見るね」
「……そ……それは……」
気づかれていた。マリーナは頬を染め、俯いた。そのせいで、アルバートの表情が曇ったことに気が付かない。
「母は特にチェレグド公爵令嬢と比べられるのを嫌がっていた」
「先代のチェレグド公爵夫人ではなく?」
先代のチェレグド公爵夫人は、王の従姉妹で、侯爵家の出身として、反王妃派の筆頭のはずだ。
「そう……夫人の方ではなく、先々代のチェレグド公爵令嬢・エリザベス・”イヴァンジェリン”・ルラローザだ。
父の……王の婚約者だった女性だよ」
ミドルネームが強調された言い方だった。
「意地悪をしたと聞きました。それで、王都から遠ざけられたと」
アルバートはマリーナを凝視する。彼女が「な……んですか?」と戸惑うと、やはり口をきゅっと閉じた。
「その田舎に追いやった意地悪な公爵令嬢の方が、王妃となった男爵令嬢より、決断力のある素晴らしい女性だった、と王までも言うのだ」
「可哀想にね」。アルバートは母親に折檻された女官に同情したのと同じような声音で言った。伏し目がちの視線も合わさって、ゾクゾクする。
まずい淫魔だ。淫魔がいる……! マリーナはアルバートの色気に追い詰められてきた。
「私はそんなつもりではなかったのだが、ジョンにはそう聞こえたか?
その……ヴァイオレット妃の方が君……の姉上よりも素晴らしいと……」
「その件は、間違ってはいないと思います。
ヴァイオレット妃の方が、優れています。マリーナ・キールでは、とても王太子殿下の希望に添えるとは……思えません」
だから諦めて!
声にならない叫びを上げる。
「そうかな?」
「そうですよ! それに、勝手に決められても困りま……困るのではないでしょうか?
殿下がヴァイオレット妃がお好きなように、マリーナ・キールにも好きな……人が……いるかもしれません」
脳裏には赤毛と灰色の瞳が紺色の制服によく映える一人の青年。
やはりキラキラ王子さまよりも、くすんだ海軍士官の方が好みなのだ。
もっと気持ちを落ち着かせる為に、マリーナはパーシーやコンラッドの姿まで総動員した。日に焼けて海風に痛めつけられた、カサカサの肌とぱさぱさの髪の毛。
ああ、素敵。
「諦めてもらうしかない。
それがこの国の為だ。
よく聞くがいいジョン。そして、君の姉上に伝えるのだ。
ウォーナー艦長がこの国のために命を懸けるように、あなたにも命を懸ける仕事がある、と。
何も銃を背負い、剣を佩き、艦に乗って戦うだけが、この国を守ることではないのだ」
「仕事? 結婚の話ですよね?」
滑らか艶やか王太子は、まるで、大勢の兵士の前で演説するが如くだ。
その誠実さと魅力的な雰囲気があれば、居並ぶ将校、一兵卒にいたるまで、歓呼でもって応えるだろう。その点で、彼は未来の王として十分な素質がある。
だが非常に残念なことに、国をもひっくり返した両親の大恋愛の末に生まれた息子は、恋愛に夢が持てなかった。
「そうだよ、ジョン。
初めて会った時から、そう言っているじゃないか」




