019:虎の威を借る狐
おとぎ話は『こうして、王さまと王妃さまはいつまでも幸せに暮らしました』で終わった。けれども現実はそうではない。それどころか、そこからが、王妃にとっての本番だった。
王妃を『国民の王妃』と讃えたその口で、国民が『エンブレアの女狐』と罵るまで、それほど時間はかからなかった。
愛しい娘と結婚出来た王は、チェレグド公爵から取り戻した王権と愛に溺れた。王妃を着飾らせる為に、ザブザブとお金を使った。ロザリンドの実家であるラブリー男爵家には、お金がなかった。娘のために高価な宝石もドレスも用意出来なかったのだ。ロザリンドは宮廷での舞踏会や晩さん会で、他の貴族たちから密かな侮りを受けた。王権が強かった為、以前ほどあからさまに王妃を表だって馬鹿にする者はいなかったが、それでも着ているドレスの質や、時折、見せてしまう作法の違いなどが、ロザリンドに劣等感を持たせる。国王の母である王太后は、ただでさえ自国よりも文化が遅れていると軽蔑しているエンブレア王国の、さらに下位貴族の娘など、視線の端に入れるのすら拒んだ。
その屈辱に負けまいと、ロザリンドは王に宝石やドレスをますますねだるようになる。少しでも自分に友好的な態度を見せた人間に、贅沢なもてなしや贈り物をした。
自分たちの税金が、あの女の虚栄心を満たす為に使われている。
国民の希望は次第に失望に変わり、怨嗟の響きを帯びた。
あの女は自分の為にしか金を使わない。チェレグド公爵家の令嬢は、折に触れ、貧民街を訪れては施しをしてくれた。救貧院にも寄付を惜しまなかった。
あの方こそ、真の王妃さまではなかったのだろうか? 自分たちが知る公爵令嬢は、貧しい人や身分の低い人間を虐めるような人間ではなかった。きっとあの『女狐』が汚い手を使って、王妃の座を奪ったに違いない。
国民の不満を抑えるために、王は特赦や徳政令を出して宥めた。すると国民は、王妃への不満を口にすればいい事があると学んでしまった。面白半分の行為が増えたが、王妃には、その全ての言葉が心を苛んだ。
結婚してから数年、子どもが望めなかったのも王妃の精神の負担になった。若くして嫁いだ王姉・ニミル公爵夫人にはすでに男の子が産まれていた。続いて、王弟・ストークナー公爵にも男の子が生まれたことが、さらに彼女を追い詰める。しかも、ストークナー公爵に男の子が生まれた夜、何者かによって『王太子殿下ご誕生、万歳!』との声と祝砲があがったと、次の朝、王都で話題となった。
ロザリンドの鬱屈した憎しみは怒りに変った。徹底的な捜査が行われたが、ついに犯人は見つからなかったが、何人もの人間が疑いだけで連行され、鞭打たれた。
人々は沈黙した。
ほどなくして、王妃は子どもを産んだ。産んだ子どもが男の子と分かった瞬間、彼女はむせび泣いたという。
アルバートが生まれて一年後、立太子礼が行われた。王太子の母として小さな息子を抱いたロザリンドの自信と狂気に満ちた表情に、心ある人は、これから起きる惨劇を予感した。
王妃の反撃が始まる。
彼女は旧来からの貴族に対抗して新興貴族を、海軍に対抗して陸軍を味方につけることで、地歩を固めた。
チェレグド公爵家は先々代の判断で、その命脈を保っていたが、後を継いだ先代チェレグド公爵の妻が、これまた歴史のある侯爵家出身の上に、母親が王の叔母、自身が王の従姉妹という血筋でもあり、加えて、王太后とも仲が良く、その関係上、新しい王妃に対して批判的であった。
すなわち旧来からの貴族の代表的な立場で、反王妃派の旗印となったのだ。
さらに、チェレグド公爵家は海軍閥だった為、そのライバル関係にあった陸軍が王妃派にまわることは自然な動きだった。
一大勢力である海軍と昔からの貴族たちを味方につけている反王妃派は、王妃派と拮抗した。
それでも王が強権を発動したのならば、かつて先々代チェレグド公爵が退いたように、どちらかを抑え込むことが出来たはずだった。だが、王としての実権を握ってみて、彼は知った。国政とは面倒なものだ。彼は政務や軍務を家臣たちに分担して任せることにした。それはそれで良いことではあったが、この状況では悪手となった。王妃派も反王妃派もそれぞれ力を保持したものだから、収拾がつかない事態となったのだ。
こうして、エンブレア王国は、内憂を抱くことになったのだ――。
***
「それを私と殿下が結婚したくらいでなんとかなるとでも!?」
マリーナは叫びたくなった。
「すっかり解決出来ないにしろ、ある程度、抑えることは出来るでしょう。
国は今、内憂だけでなく外患も抱えているの。
知っているでしょう? ヴァイオレットさまが嫁いだ”花麗国”の内政が荒れているの。
”花麗国”の国王は、我が国王さまと同じく、若くして即位なされ、今は七歳。幼いだけでなく、私よりも病弱で、枕から頭が上がらない状態と聞くわ。
そのせいで、国母である王太后と愛人の伯爵が国政を思うがままにしているそうじゃないの。
しかも、すでに国王崩御を待つように、隣国・ベルトカーン王国が国境に軍隊を進軍させているそうよ。かの国の王は”花麗国”の王位継承権を持っている。
もしも侵攻して来た場合、ヴァイオレットさまを通じて友好関係にあるエンブレア王国は、同じく神聖イルタリア帝国、及びサイマイル王国と共に、援軍を送らなければならなくなる。それを見越しての縁組ですもの。あの国政に関心のない王太后も自分の国の危機には黙って見過ごせなかったようで、王妃に頭を下げたと聞くわ。
援軍を送るとなれば、海軍の艦に、陸軍の兵士を乗せて運ぶことになるでしょう……」
「――あのー、たびたび聞きますが、マリー姉さまはどこでそんな情報を?」
ミリアムが姉の長調子にすっかり呆れた。
「全部、新聞に書いてあるわ。たまには新聞くらい読みなさい」
「私だって、新聞くらい読んでいるわよ!
王妃さまは今流行りの"花麗国"風の素晴らしいドレスを着こなしている、素敵しい女性だって!」
「王妃さまが"花麗国"風のドレスを誉めそやしているのが、私には不思議でたまらないわ」
王妃に対する意見は、新聞によっても割れていた。それもまた、二つの派閥の存在を感じさせる。ならば、どちらの言うことも頭から鵜呑みにしてはいけないというこだろう。
けれどもマリーナは数日後、知ることになった。
新聞に書かれている王妃の話など、氷山の一角に過ぎない。彼女にはもっと恐ろしく、もっと暗い秘密があった。




