018:両雄並び立たず
マリーナへと贈られた薄紫色の絹を見て、ローズマリーは呻いた。
「これは……王太子殿下はマリーナを通して、王妃派と反王妃派の統合を狙っているのね。あるいは、新たな勢力を作るとか?」
「お……王太子!? 誰が!?」
驚くミリアムに、マリーナが偽アシフォード伯爵こそアルバート王太子だったという事実を教えた。それを聞いたミリアムはあまりの驚きに、物を壊すのを忘れた。
「王太子……王子さま……ええ!? いいの?
私、確かにマリーナには玉の輿に乗って欲しいと思っていたけど、ちょっと王家との縁組は……なんて言うの?
なんて言うか……適度にお金持ちか適度に身分の高い、マリーナのこと大事にしてくれる人と結婚して欲しかった。
そういう点でアシフォード伯爵も、相当の家柄だけど、でもね、お父さまも本人も、海軍出でしょう?
マリーナとは気が合うと思ったし、マリーナの方も家風に慣れそうだと思ったの」
「それが陸軍閥の王太子殿下では、嫁いでも苦労するわ」とミリアムは嘆いた。ローズマリーもまた、マリーナの苦労を簡単に予測出来た。
「王太子殿下との結婚は、そう簡単じゃないわ。
何しろ、それが原因で今の王妃派と反王妃派が生まれることになった訳だし……」
***
エンブレア王国の先代国王は、まだ三歳の王子を残し、亡くなった。三歳の王子は、すぐさま国王に即位する。”花麗国”から嫁いで来た新しい国王の母は、先代の王との間に、後にストークナー公爵となる三人目の子どもを宿していた。身重な上に、エンブレア王国の言葉をまったく話せなかった彼女は、筆頭公爵家の長である先々代のチェレグド公爵を宰相とし、幼い国王の後見人を任せた。もっと言えば、国の責任と国王の養育を全て丸投げしたのだ。
もともと政略結婚で嫁いで来た彼女は、エンブレア王家の家風に馴染めず、言葉を覚えることも拒否し、自国の文化に囲まれて過ごすことを好んだ。その為、国民の間では『あの外国の王妃』と非常に人気がなかった。彼女は三人目の子どもを産むと、早々に『花宮』と呼ぶ離宮に引きこもり、言葉が通じる高位貴族の夫人や娘たちをだけを集め、侍らせた。
他国の血を引く彼女が国政に介入しなかったのは、むしろエンブレア王国にとっては賢明な判断だったかもしれない。しかし、幼い国王を擁し、実権を握った先々代のチェレグド公爵は宰相としての職務をこなしながらも、多少強引で、私利私欲に走るきらいがあった。
彼が行った便宜の中で特筆すべきことは、自身の娘、エリザベス・イヴァンジェリン・ルラローザを国王の妃にと推したことであろう。
だが、外国からの王妃の評判が悪かったことから、次の王妃は自国から出したいとの空気が、国全体、身分の上下にかかわらず流れていたのと、幼い国王に外国の王族の娘が嫁ぐと、国を乗っ取られるかもしれないという外交的な懸念もあったことが、先々代チェレグド公爵には幸いした。
自国から王妃を立てるならば、王族、もしくはそれに次ぐ家柄の娘から出すべきである。そうであるならば、チェレグド公爵家の令嬢はうってつけ。むしろ彼女以外にいないという意見が大勢を占めたのだ。
それでも、あまりに権力が自身に集中しているように見えるのは良くないと考えた先々代チェレグド公爵は念を入れて、自身の嫡男には侯爵家から嫁を娶ることにし、国王の姉・オーガスタ王女はニミル公爵の嫡男に”譲る”ことで、ニミル公爵家に恩を売りつつ、体裁を取り繕い、その後、娘を国王の婚約者とした。
当時、国王は七歳。エリザベスに至っては二歳だった。
婚姻はエリザベスが十六歳になるのを待って、行われる予定だった。
順調だった宰相チェレグド公爵に誤算が起きたのは、まさにその約束の年をすでに一年過ぎた頃だった。国王は立派に成人し、二十二歳の青年王になっていた。彼は、自分の立場に疑問を持つに至った。
幼い頃は宰相であるチェレグド公爵の言うがままでも仕方が無い。だが今はどうだ? すでに二十歳を超えた。自らの意思で物事を決めてもいいはずだ。それなのにチェレグド公はまるで自分が王さまになったように振舞い、国王である余をないがしろにしている。
自我が芽生えた王には何もかも不満だった。宰相の娘と結婚しなければならないことも嫌だった。彼には恋人が出来たのだ。
それが男爵令嬢・ロザリンド・ラブリーだった。
そんなに好きならば、愛人として側に置けばいい。
事情を知る人間はそう勧めた。だが、王はそのような誠意のない対応で、ロザリンドの愛に報いことは出来ないと答えた。
宰相からの支配から抜け出したいと望む王は、遅れてきた思春期のようなものだったが、彼が国王である以上、穏やかにはすまない話となった。
先に動いたのは王だった。先々代のチェレグド公爵が王の反抗心を深刻に受け取ってはいなかったのだ。何しろ、王が小さい頃から後見人として、守り育ててきたという自負があった。
王はまず、そんなチェレグド公爵の娘であり、自身の婚約者、エリザベスをやり玉に挙げた。
曰く、公爵令嬢であることを笠に着て、男爵令嬢・ロザリンドを虐げている。ロザリンドは王の想い人である。彼女に対する不敬は、自分に対しての不敬であり、反逆である。また、そのような心根の醜い女性をこの国の王妃にすることは出来ない。よって、エリザベスとの婚約は破棄する。
どこからかチェレグド公爵の不正の証拠をも掴んだ王は、王宮を近衛兵で固め、その出入りを禁止した。
チェレグド公爵は愚鈍ではなかった。自身の不利を悟り、チェレグド公爵家を存続させることに全力を尽くすことにした。自身は謹慎し、エリザベスは王都から離れた田舎へと送り、恭順の意を示すことで、断罪から逃れた。
若く見目の良い王が男爵令嬢との純愛を貫く姿勢は、国民に好意をもって受け入れられた。さらに、その男爵令嬢が高位貴族たちによって苛められていたことを、自分たちが虐げられていることに重ね合わせ、ロザリンドこそ『国民の王妃』として誉めそやした。
結果、男爵令嬢・ロザリンド・ラブリーは、ついに王妃の地位を射止めた。
***
ローズマリーから、細かい成り行きを初めて聞いたマリーナは「あれ?」と思った。
どこかで聞いたことのある話だ。まるで母親が小さい頃に彼女に読んでくれた『意地悪な公爵令嬢』という話とそっくりではないか――。




