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婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


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16/121

016:上には上がある

 三日ぶりに『暁城』に向かうマリーナの足は重い。

 ジョンの為に、急ぎ仕立てられた服は体には合っていたが、気持ちには沿っていない。まだ本調子ではないと断りたかったが、生憎、”チェレグド公爵家特製”の煎じ薬はよく効いた。こうなれば行かなければならない。


 賢いローズマリーは偽アシフォード伯爵の正体まで掴んだようだが、それを妹に教えることはなかった。「私の口からは、とても言えないわ」と言いつつ、ちらりと、脇に置いた新聞を見た。

 ジョン・スミス改め、本物のアシフォード伯爵コンラッド・アーサー・ルラローザも冷たかった。面白がっているとも言える。


「さて、マリーナ嬢、当ててみて下さい。そうしたら、我々が何を企んでいるのか、教えてあげましょう」


 それでマリーナは考えた。考えた結果、あまりにも信じられない事実に突き当たった。ローズマリーがその名を安易に口に出来ないように、彼女もまた、それが出来なかった。下手な動きをすれば、ジョアンに迷惑がかかる。

 そのジョアンのことも、マリーナの心を重くした。偽物であろうが、本物であろうが、誰であろうが、彼は自分を余所の男に嫁がせようとしている。



***




 偽アシフォード伯爵とその愛馬・雪白は、何事も無かったように、今日も見事なまでの元気な淫靡さでマリーナ、ジョアン、コンラッドの三人を迎えた。


「先日はすまなかった。まさかそんなに身体に負担を掛けるとは思わなかった。思い出せば、確かに、私の師も、最初の頃は少しずつ馬に馴らしてくれた」


「いえ……」


「どうした? 元気がないね。まだ身体が痛むかい? それとも姉上に似て、ジョンも身体が弱いの?」


「いいえ! 私は健康そのものです!」


 今日も、マリーナが乗った雪白の手綱を偽アシフォード伯爵が持った。雪白ほどの馬なら、そんなことをしなくてもマリーナを振り落としたりはしなそうだが、そうすることで、男はジョアンの目の届く範囲で馬上の少年と内緒話が出来るのだ。

 ジョアンとコンラッドは、馬に乗っていることもあって、マリーナの姿は見える場所にいるものの、近くに留まれなかった。

 馬上のマリーナを見上げる偽アシフォード伯爵の視線は優しいが、どうしても淫靡な印象が拭い去れないので、彼女はなるべく真っ直ぐを向いて話していた。すると、姿勢が良いね、と褒められてしまった。


「”キール男爵家のご令嬢の一人”が、それはそれは身体が弱く、いつも床に伏せっているとは聞いていたが、それがマリーナ・キール嬢のことなの? では、元気があり余っている令嬢は? 頭でっかちの令嬢は? それからとても美しい令嬢に、粗暴な令嬢もいるようだけど……」


「そうですね……キール男爵家の面々は、あまり外に出ないので、いろいろと憶測がされるのでしょう。

正直、困っています」


 偽アシフォード伯爵は今度はローズマリーのことをマリーナだと誤解していた。


「だから本当のことが知りたいな。マリーナ・キール嬢とは結局、どんな娘さんなんだ?

意地悪な義理の家族にいじめられ、下働きをさせられている憐れなお嬢さま?

それとも、病弱なお嬢さま?

それとも、ウォーナー艦長が讃える素晴らしいお嬢さま?」


「そのどれでもないです」


「また新しいマリーナ・キール嬢が私の前に現れるという訳だ。実に興味深い娘さんだね」


 義兄が自分のことをよく言ってくれたのは嬉しいが、ややざっくりした、抽象的な説明だった。

 しかし、マリーナは自分のことをなんと評して良いのか分からなかった。

 とりあえず、今は病気で休んでいるが、身体が弱い訳ではないことは強調しておいた。


「それはいい情報だ」


「そうなんですか?」


「勿論だ。『東の森』で私は妻となるべき女性について語っただろう?」


「ええ」


 つい嫌そうな声が出た。美醜は問わないが、賢く優しく教養があって云々……。まったく注文の多い話だったのに、男は「言い忘れていたことがあった」と、もう一つ、追加した。


「健康でなければならない。後継ぎを産んでもらわないといけないからね」


「――あ……っ!」


 後継ぎ……!

 マリーナの動揺に、雪白が止まった。


「どうしたの? 顔が赤いね。また体調が悪くなった?」


「い……いいえ」


 一般論と分かってはいたが、この視線を合わせただけで妊娠させられそうな男に言われると、余計に恥ずかしさが先に立つ。

 立ち去れ、この淫魔め! ……いいや、彼の正体は――。


「少し休憩しよう」


「大丈夫です」


「いいや、ジョン。馬というのは繊細な生き物だ。乗り手の体調が悪いと、馬の調子も狂い、ともすれば大きな事故に繋がりかねない。

少し落ち着いてから、また練習を再開しよう」


 「はい……」と、マリーナが雪白の背から降りようとすると、自然な動作で偽アシフォード伯爵が手を出した。自分一人で降りられると言おうとして、彼女はふと気が付いた。

 自分たちは彼が偽物だと分かった。ならば、彼の方だって、自分が男ではないと気付く可能性もあるのではないか。

 今日のマリーナはジョアンの要請とミリアムの工夫によって、いつも以上に男の姿だった。胸はさらしでしっかりと潰し、腰も補正した。あまりにグルグル布を巻きつけられたので、「まるで丸太になったみたい」だと愚痴を言ったら、ミリアムは「そんなのコルセットに比べれば、全然、楽よ」と笑った。

 とは言え、ミリアムのコルセットはそれほどギュウギュウに締め付けられている訳ではない。人手の足りない『夕凪邸』で彼女のコルセットの紐を力一杯締め付けていく時間のあるものはいなかったし、そもそも、最近の流行では、コルセット派とコルセット無し派が拮抗しており、その折衷案として、緩めのコルセット派なるものも出ているらしい。それに、ミリアムの成熟した身体は、締め付けの緩いコルセットでも十分、美しい線を描いていた。

 一方、マリーナはまだ発育途中といった感じだった。しかし、それでも女性の身体である。それなりの曲線と柔らかさがあった。

 最初の乗馬練習の時、彼女はまだしっかりとした補正をしていなかった。腰辺りは無防備で、それでも偽アシフォード伯爵は気が付いた様子を見せなかった。だが、本当にそうだったかは、確証がない。

 そこでマリーナは敢えて、偽アシフォード伯爵の手を借りることにした。

 今度はしっかりと表情の変化を観察しようとすると、目が合った。男は小さく笑いかけたものの、マリーナのガチガチに補正した腰に触れても、特段、変った感じは見せなかった。


「ご親切にありがとうございます」


 言ってから、思った。

 確かに彼は親切な青年だった。

 こうやってまじまじと顔を見ると、母が幻惑されたのももっともだと頷く。淫靡さだけなく、美しい顔と育ちの良さがにじみ出る優雅さがあった。姉二人も直接顔を見合わせていたら、騙されたと思われるし、いっそのこと、自分のことを騙して欲しいと懇願するかもしれない。


「気にする必要はない。

私はジョンに親切にしている訳ではない。マリーナ・キール嬢に親切にしているのだ」


「……ええ!?」


 やはりバレていたのだ、と今度は青ざめるマリーナに偽アシフォード伯爵は自嘲気味に微笑んだ。


「君に親切にしておけば、君を通してマリーナ・キール嬢に私が『親切な男』と伝わるだろう?

君は利用されているんだ。だから気にする必要はないと言った」


「はぁ……い」


 思わず無礼なまでに間抜けな声が出そうになり、慌てて修正する。

 それから、なんとなく失礼な言い分だな、と思い、次に、そんなこと言ってもいいのかしら? と疑問が湧く。


「もしも、私がアシフォード伯爵の言うことをそのまま伝えたらどうするのですか?

少し正直すぎやしませんか?」


 彼を前にすると、本物のアシフォード伯爵コンラッドが腹黒い策士に思われる。

 やたら色気がだだ漏れな以外は、偽者は素直な印象が強いのだ。


「かまわないさ。ジョンの好きにすればいい。

それだけ私がマリーナ・キール嬢によく思われたいと願っているという気持ちが伝われば良い」

 

「なぜ……あの……なぜ一度も会ったことのない女の人をそれほど好きなんですか?」


 マリーナの問に、偽アシフォード伯爵は素っ気なく答えた。


「別に特に好きではない」


「ええ!?」


「ただ、私が結婚するに相応しい立場の女性だと思っているだけだ。

そして、どうやら結婚するに相応しい女性でもあるらしい。

ジョンを見れば分かる。ジョンが姉上を慕い、私のような胡散臭い男から守ろうとしている。

それだけの価値がある女性ならば、私の妻にちょうど良いだろう」


「あの、何か誤解があります」


 最大の誤解はマリーナを”ジョン”という男の子として扱っていることだが、まず、それは置いておく。


「誤解とは?」


「マリーナ・キールは男爵家の娘です。貴族ではありますが、父親は亡くなり、男爵位の継承も危うい、新興の末端貴族です」


 自分で言ってて、嫌になってきた。卑下するつもりはなかったが、事実だけ抜き出すと、相当、積んでいる。


「それが王国最古の歴史をほこり、王族にも縁のあるチェレグド公爵家の嫡男と、釣り合うとお思いですか?」


「現国王の妻が男爵家出身でも?」


「それが原因で、問題が起きていると聞きました」


そう、キール家の姉二人は、王妃が男爵家出身であることを、マリーナがチェレグト公爵家に嫁ぐ前例として挙げていたが、それは実のところ、良い前例としてものではなかった。


「――二代続けて男爵家から王妃を立てるおつもりなのですか? ”殿下”」


「ジョンは賢いね。それとも、マリーナ・キール嬢がそう教えてくれたの? 私がアルバートだと――」


 アシフォード伯爵と、その配下の『暁城』の面々を言い含め、従えることが出来るのは彼らよりも格上の存在しかいない。冗談でどこかの馬の骨をアシフォード伯爵と祀り上げるのは、義兄・ジョアンが絶対に許さないだろう。そうなれば、候補者はぐっと狭まる。年齢を加味すれば二人しか残らない。その内の一人は海軍歴がアシフォード伯爵よりも長く、現在も海に出ている勅任艦長なのである。

 彼を除外したら、後はもう、一人しかいない。

 エンブレア王国は先代チェレグド公爵の命を奪った疫病の影響が残り、公爵家の嫡男という存在は十数人しかいなかった。それでも十数人はいる。そして、今後、増える予定もあった。

 だが、”彼”は、いついかなる事情があれど、この国にたった一人、もしくは存在せず、という立場であった。

 敬称は『殿下』。

 エンブレア王国王太子・アルバート。それが偽アシフォード伯爵の正体だった。

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