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婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


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014:骨折り損のくたびれ儲け

 いつもは誰よりも朝早く起きられるはずのマリーナが、その日、目を覚ましたのは、すっかり日が高くなった頃だった。

 びっくりして起き上がろうとしたが、身体が動かなかった。


「い……痛い……」


 正確に言うと、動かそうとすると、痛いのだ。

 そこで気が付く。

 昨日の乗馬の練習のせいだ、と。

 朝起きられなかった原因も、疲れ切って泥のように眠っていたからだ。

 原因が分かると、痛みはあっても身体を動かすのは怖くなくなった。なんとか起き上がり、「いたたたた……」と言いながらも着替える。偽アシフォード伯爵が勝手に決めたものの、マリーナは今日も『暁城』に行かなければならないはずだ。そこで、昨日着た服と同じものを身に着ける。

 二日続けて同じ服なのは無礼なのだろうか? いいや、庶民は服など、そう何枚も持ってはいない。

 あの世間知らずの偽伯爵さまにはその旨を教えてあげよう。

 それよりも、早く支度を済ませないと、約束の時間に遅れるのではないかと心配になった。世間知らずでも、待たされるのは嫌なはずだ。

 一体、何時に行く予定なのかは分からなかったが、もし遅れそうなら、そうと知らせてくれるだろうし、昨日も、そんなに早い時間の訪問ではなかったことから、まだ大丈夫だと判断する。

 

 そうやって、ゆっくりだが確実に身支度を済ますと、部屋を出た。


「あ! マリーナお嬢さま! おはようございます」


 幼さの残る声で挨拶をしたのはナタリーの姪のノラだった。今まで、マリーナがしてきたような下働きを引き受けてくれている。


「おはよう」


 どことなく申し訳なさと、居心地の悪さを感じながらマリーナも、挨拶を返す。


「あの、マリーナさまが起きられましたら、ジョアンさまがお話があるので、居間に来てほしいと……」


「ジョアン兄さまが!? ……ありがとう、ノラ」


 たとえ少しの間でも、すぐに着替えることになっても、ドレスを着ておけば良かったとマリーナは急く心の隅でちらりと思った。

 だが、ジョアンの話は、そんなマリーナの気持ちを裏切るようなものであった。



***




 居間にはジョアンだけでなく、『夕凪邸』の面子と、客人のジョン・スミスまでいた。

 そこでみんなに挨拶を交わし、ナタリーが持ってきたお昼までのつなぎとしての軽い食事を取ることになった。話と言っても、義兄と一対一で話すようなことではないと知ったマリーナは、もう急がなかった。それに急ぎたくても身体中が痛いのだ。同じように乗馬の練習をしたジョアンは、と見れば、さすが海軍歴十年をゆうに超える人間は、彼女ほどの影響はないようだ。

 ぎこちなく動く彼女に、ジョン・スミスが微笑む。


「大丈夫ですか?

初めての乗馬体験なのに、根を詰め過ぎたようですね。

今日も、あの飲み薬を煎じましょう」


 パーシーではなくとも「うぇ」という声が出そうになった。


「艦長も」


 黙って頷くジョアンは、すでにその薬を飲んだ様な顔になっていた。多少の素養があったジョン・スミスは、だからこそ、自身の練習はほどほどに切り上げ、高みの見物だったのだと気付き、恨みがましい顔に変る。


「まったく、アシフォード伯爵も少しは手加減すればいいのに。

そういう訳で、今日は『暁城』にはお伺い出来ません、とあちらに連絡しておきました」


「ありがとうございま……」


 とても『暁城』まで行って、そこからさらに乗馬なんて無理だと思っていたマリーナはジョン・スミスの計らいに感謝しかけた。が――。


「そうしたら、アシフォード伯爵がきちゃってさ」


「ええ!?」


「そうなのよ! マリーナ!」


 キール夫人は手に持ったハンカチをぎゅうっと握りしめたものの、興奮は抑えきれなかった。


「あのアシフォード伯爵が、『夕凪邸』に来て下さったの。

噂通りの、とても美形で……あの、ゆ……優雅な人だったわ」


 きっとあの意味不明な淫猥さに当てられたのだろう。少女のように頬を赤らめる母親とは別に、姉二人は意外にも冷静だった。 


「お姉さまたちも、お会いになったのですか?」


 これはアシフォード伯爵が偽物だと二人には分かったのだと、マリーナは期待した。ローズマリーは賢いし、ミリアムは全てを破壊する。それには”嘘”も含まれる。

 しかし、二人は揃って首を振った。


「残念ながら。

訪れを聞いて向かおうとしたら、あの子……ほら、新しく入って来た……そうそう、ノラがね。

ノラが『誰か! お嬢さまが倒れたの! 助けて!』って叫ぶものだから、ビックリして!」


 ミリアムが「ビックリして!」と言いながら立ち上がり、サイドテーブルに身体をぶつけたので、その上に置いてあったローズマリーの新聞や本が崩れ落ちた。壊れるものではないので、ミリアムはそのまま続ける。


「最初ね、『お嬢さま』っていうものだから、てっきりマリーナに何かあったのかと思って、「ええ!? マリーナが!」って、私も気が動転したけど、あなたの部屋に行こうとして、ふと、気づいたの。

もしかして、マリー姉さまのこと? って」


 案の定、倒れたのはマリーナではなく、ローズマリーだった、という訳だ。


「マリー姉さまは……」


「大丈夫に決まっているわ。今もそこにいるじゃない」


 ローズマリーが朝、気が遠くなるのは『夕凪邸』では、もはや日課のようなものだった。新しく来たばかりのノラは、それを知らなかった。ついでに、『夕凪邸』にはとんでもない破壊者がいることも知らなかった。彼女は殺風景な『夕凪邸』の廊下に、白磁の壺を飾ってしまった。そして、マリーナの部屋から姉の部屋へと方向転換する際のミリアムによって見事に、割られたのだ。


「ノラを怒らないであげてね」


 粉々になった壺は、キール艦長が持って帰って来た東洋の壺だった。その成れの果てを見たマリーナは、また父の思い出がなくなったことを悲しんだ。

 そして、そんな大騒ぎがあったのに、まったく気が付かず寝ていた自分に呆れた。


「私のせいだもの。

いつも同じ場所に置いてある物は、気を付けて壊さないように出来るけど、そうでないものは……うっかり。

ごめんなさい」


「いいえ……仕方がないです」


「本当にごめんね。

アシフォード伯爵がいつ挨拶に来てもいいように、今、『夕凪邸』にはいろんなものが出ているの。

これからは、きっともっと気を付けるから」


 言われてみれば、マリーナが『暁城』に行っている間、『夕凪邸』は模様替えをしたようだ。客人が目がするところだけは、見せても大丈夫なように整えている。そして、その準備は今朝の偽アシフォード伯爵の訪れにおいて、成果を発揮した。

 再度、気にしない旨をマリーナがミリアムに伝えると、彼女はそれからのことを話した。


「それでも、万が一ってことがあるから、私、一応、マリー姉さまの側についていることにしたの。

私だって、アシフォード伯爵に挨拶したかった。せめて、一目だけでも見たかった。

お母さま一人、小娘みたいにはしゃいでいるのよ」


「もう、本当に素敵な方だったわ」


「お母さまはそう思われたのですね」


 キール夫人の元の旦那も、再婚相手も海軍出だったのに、偽アシフォード伯爵に違和感はなかったのだろうか?

 マリーナがそれとなく探りを入れると、もう、とにかく美形で上品で、身分が高いということに目がくらんでしまっていることが覗えた。

 もっとも、キール夫人を責めることは出来ない。マリーナだって、もしも、彼が最初から、ちゃんと衣類を着ていて、常識的な振る舞いをして、アシフォード伯爵だと名乗ったら、不審な点は目を瞑って、そうかもしれないと思っていた可能性が高い。


「マリーナはどう思うの?」


 母親とは違う反応のマリーナにローズマリーが尋ねた。昨日、ほぼ一日、アシフォード伯爵と一緒にいたのは、マリーナなのだ。


「……私は……あまり……」


 続く言葉が「好きではない」であろうことが、一同、分かった。


「なぜか聞かせてくれませんか?」


 質問者がマリー姉さまかミリー姉さまだったら良かったのに。

 ジョアンに聞かれたマリーナは落ち込んだ。

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