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婚約破棄の忘れ形見  作者: さぁこ/結城敦子


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012:食わせておいて扨と言い

 到着したては息が上がっていたが、鍛えられた海の男は、すぐに平素の呼吸に戻った。

 どこから現れたのか、アシフォード伯爵の従者たちがわらわらと集まってくる。その中の一人がジョアンに冷たい水を差し出すと、彼は黙ってそれを受け取る。言いたいことはたくさんあるようだが、水とともにそれらを全て飲み込んだ。


「走らせて悪かったね」


 どこか他人事のように偽アシフォード伯爵が謝った。


「いいえ、アシフォード伯爵」


「いきなり馬を走らせるなんて、お人が悪いですよ、アシフォード伯爵」


 ジョン・スミスもどこか他人事のように怒ってみせた。


 それから四人で軽食を取ろうと言うことになった。

 瞬時に、アシフォード伯爵の従者たちによって、支度がなされた。

 敷物の上には、熱い紅茶と甘いお菓子が並ぶ。


「やぁ、嬉しいな」


 さきほどまで怒っていたジョン・スミスがすぐに機嫌を直す。

 ジョアンとマリーナはまだ口数が少なかった。海軍大臣チェレグド公爵の嫡男・アシフォード伯爵の手前、艦長と雖も平民のジョアンと男爵令嬢にすぎないマリーナは礼儀を失してはいけなかった。それでも、先ほどのかどわかしまがいの衝撃が思いの他、大きく、すぐには平静に戻れないでいたのだ。


「ジョンはあまり食べないのか? だからそんなに細いのか?」


「いえ……」


 誰のせいで、こんなに鼓動が早くて、食欲がないと思っているの? 

 マリーナは睨み付けないように、お菓子の方に視線を向ける。こんな田舎の地では見たことのないような華やかな菓子だ。

 エンブレア王国と海峡を挟んである隣国、”花麗うるわしきはなの国”からやってきた料理人が作ったらしい。ジョン・スミスは美味しいものが好きらしく、菓子を摘みながらマリーナに説明してきた。


「あの国の料理はたいしたものですよ。

もともと神聖イルタリア帝国から”花麗国”に嫁いで来た王妃が料理人をたくさん連れてきてね、そこから”花麗国”は美食の国へと発展したそうです。

この所、先代の王の妃、現在の王太后が”花麗国”出身のこともあって、こちらにも料理人がたくさん海を渡って来ているので、この国でもあちらの食文化が定着しつつありますね。と言っても、庶民にはまだまだ高嶺の花ですが。

その中でも、この菓子を作る料理人の腕は見事です。さすがはアシフォード伯爵の料理人です」


 ジョン・スミスが言好がったものの、偽アシフォード伯爵は軽く無視した。


「ジョンが今すぐ食べられないのなら、持って帰るが良い。包ませよう」


 偽アシフォード伯爵が目配せするだけで、従者が寄ってくる。しかし、同じ顔の人間が二回くることはなかった。どうやら役割ごとに担当が違うらしいが、マリーナにはその違いが分からなかった。


「ジョンは何が好き?」


「……分かりません」


 食べたことのない菓子を前に、答えられる質問ではなかった。


「レーズンは好きかい? クルミは?」


「……クルミは……好きです」


 「では」と偽アシフォード伯爵が、クルミが入っている菓子を従者に選ばせる。


「キール夫人は何が好きかな?」


「え?」


 その問いに、ジョアンも偽アシフォード伯爵に目をやった。


「『夕凪邸』のみなさんにもお土産を持っていくといいよ。

キール夫人のお好きなものは?」


 ジョアンが答えた。「お心遣い、痛み入ります」


 それはマリーナに対して、偽アシフォード伯爵の親切を受け取りなさいという意味でもあった。

 マリーナは綺麗なお菓子を前に、折角だから、姉たちが喜ぶようにと心を込めて選び始めた。色とりどりの菓子は、まるで宝石やリボンを選ぶようで、彼女の気持ちは昂った。

 が、偽アシフォード伯爵は、本日はとことん、マリーナを謀りたいらしい。

 ローズマリー、ミリアムの好みを聞いた後、最後に言った。


「では、マリーナ・キール嬢は何がお好きかな?」


「え?」


 それはこの話の流れではごく自然なのだろうが、その流れを作る為に、母や姉を口実にされた感じがありありとした。


「彼女はどういう物が好きなの?」


「……わ、分かりません」


 先にジョンが好きなものは「クルミ」と言ってしまった以上、マリーナも同じものが好きでは不審に思われるのではないかと恐れた。


「そう……なら全部、持っていくといい」


 マリーナが返答を迷うと、偽アシフォード伯爵はあっさりと引き下がった。

 迷った甲斐もなく、すべてのお菓子が包まれる。


「明日、何が気に入ったのか教えてくれると嬉しいよ」


 さらりと次の日の予定を決められた。


「あ、明日?」


「そう、明日も来るがいい。乗馬は一朝一夕では習得出来ない。雪白は賢い馬だから、君を乗せても大人しくしているけど、他の馬ではそうもいかない。

ウォーナー艦長も……馬に乗れた方が、今後、きっと役に立つこともあるだろう。

なぁ、ミスター・スミス?」


「おっしゃる通りですね。艦長……明日も参りましょう」


 そこでジョン・スミスが、姉のローズマリーと共謀して、マリーナをアシフォード伯爵に近づけようとしていたことを思い出す。そして、ジョアンもまた、積極的ではないものの、同じような考えで動いていることを。

 マリーナは堪らない気持ちになり、立ち上がると雪白の方に向かった。馬の体温と優しい嘶きは、彼女の心をほんのちょっぴり癒してくれたが、「練習をするなら付き合おう」と、すぐに偽アシフォード伯爵が付いて来てしまった。また、勝手に馬を走らされたら嫌だな、と身構える。


「ミスター・コンラッド」


 これまで『アシフォード伯爵』と呼んでいたジョアンが、口調はそのままに、呼び方を変えた。


「――なにか?」


「ジョンは見ての通り、田舎育ちの若輩者です。”アシフォード伯爵たるあなた”に何か失礼な振る舞いをするかもしれません」


「そんなこと――」


「仮に、あなたが気にしなくても、許そうとも、私は無礼を働いたジョンを罰せなければならないのです。

陸でも海でも、それが秩序を保つ、と言うことです。

ですからどうか、ジョンを私の目の届かない所に連れて行くのは止めて下さい。

ジョンが無礼な真似をしないよう、監督しなければなりませんので」


 艦の上で、何百人もの荒くれ者を統率しているウォーナー艦長の重々しい言は、「見ていたって無礼を働くのは同じことじゃないのか?」というジョン・スミスの反論を声に出す前に封じた。偽アシフォード伯爵も「分かった。ウォーナー艦長の目の届く範囲でジョンに手ほどきしよう」と誓う。


 それで少しは安心してマリーナは乗馬を楽しむことが出来た。ジョアンもまた、請うて馬に乗っていた。

 馬に乗る義兄を見るのは初めてだ。マリーナの視線はついついそちらに向いた。乗っている馬が雪白でなければ、彼女は落馬していたかもしれない。

 ジョアンは真剣に練習を続けていた。こうなったら、なるべく早く上達をして、マリーナを攫われても、すぐに追いかけられるようにしようという意気込みが感じられた。

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