100:問うに落ちず語るに落ちる
王太子、脱出の数日後、エンブレア王国の離宮『花宮』に、黒い人影が現れた。
***
ここ最近、噂され、女官たちを怯えさせていた幽霊の正体は”ベルトカーンの烏”こと、カール・ブルクハルトであった。
しかし、王姉・ニミル公爵夫人の配慮によって、幽霊どころか、ねずみの子一匹、這い入る隙間も無いほどの厳重な警備体制となった『花宮』では、その姿は絶えた。
『つまり、あのサビーナにあれこれ助言する人間がいなくなったと言う訳だね』
アランはチェレグド公爵にそう言い残して来た。
サビーナという娘は、賢くもあり、愚かな娘であった。欲望と行動力、能力はあっても、それを実現させるのにどう動けば良いのかは具体的には分からない。そこにブルクハルトは付け入り、サビーナを意のままに操っていたのだ。
けれども、その助言は伝わらなくなり、また、サビーナ自身が王の寵姫として権勢を振るうようになると、もともと持っていた傲慢な性格が表に現れはじめた。
「そうなるともう、”ベルトカーンの烏”と雖も、手綱をとるのは難しいだろう。
人の心を操るというのは、難しいことだ」
チェレグド公爵はそう判断し、そう判断しつつも、アルバートに提案した。
「だからこそ、今こそ、サビーナから情報を引き出すことが出来ると思います。
そして、それが出来るのはアルバート殿下、あなたしかいない、というのが、我々、全員一致の意見です」
「ジョンもそう思う?」
マリーナは性懲りも無く、男装に戻り、アルバートの側に居た。彼女は一部始終を見届けることを望んだのだ。
「はい。
私が見たところ、サビーナさまは殿下を――そのぉ……お好きなようです」
アルバートに間近で会ったサビーナの瞳は、憧憬に輝いていた。アランの話によれば、ずっと憧れて来た相手なのだ。”幻想の乙女”の男版な上に、実物はそれよりもはるかに素敵な人物だった。
女性を魅了してやまないアルバートの魅力があれば、今のサビーナならば簡単に落とせそうだ。
マリーナ自身は嫌だな、と思ったが、この状況で私情を入れるべきではない。
そういう訳で、アルバートは密かにサビーナに手紙を渡した。
『お話したことがあります。お会いしたい』と――。
その手紙をサビーナに渡したのは、ニミル公爵夫人だった。
なにしろ、幽霊騒動以来、『花宮』の警備は厳しくなっていたが、ニミル公爵夫人ならば、何を持ち込んでも、確認されるようなことはなかったからだ。
「アルバートのお願いならば聞きましょう。
でも、女性と二人っきりで会うのは礼儀に反するわ。
私も付き添います」
それでは計画が狂ってしまうとチェレグド公爵は懸念を表明したが、アルバートは同意した。
もっとも、なぜかマリーナも付き添うことになってしまった。ニミル公爵があまりに自然に誘ったのと、それにマリーナが決然と乗ったからだ。
姪の若葉の瞳に宿る強い輝きを、チェレグド公爵は危ぶみ、アルバートは心強いと感じた。
***
手筈はこうだった。
まずニミル公爵夫人がマリーナを引き連れ、サビーナを訪ねる。機会を伺って、アルバートを招き入れる。後は二人で、とニミル公爵夫人とマリーナは部屋の外に出る――ふりをして、使用人用の通路に隠れる。ニミル公爵が国王を連れてくる。
その間に、アルバートはサビーナから真実を聞き出さないといけない。
失敗すれば幽閉先から逃げ出したこと、国王の愛人に隠れて会いに行ったこと、その他諸々の罪で即刻、罰せられること確実だった。
アルバートは臆することなく、その運命に立ち向かうことにした。
「私に何か会った時は、”ジョン”を逃がして下さい」
託されたニミル公爵夫人は「もしもの時は、この子を神聖イルタリア帝国の大使に預けましょう。エンブレア王国であろうと、ベルトカーン王国であろうと、そうそう神聖イルタリア帝国には手は出せないもの。うちの娘、そこの皇太后で、とても敬愛されていたから、伝手がたくさんあるわ」と、請け負った。それで安心したアルバートは、”ベルトカーンの烏”よろしく、黒尽くめで『花宮』に潜入した。
***
サビーナの部屋はいやに甘ったるい香りがした。
『花宮』を包む腐敗臭としてアルバートが眉を顰める香りだ。
物陰に隠れたマリーナも頭痛がしてくる。片隅に香炉が置かれていた。香りはそこから発せられているようだ。
妙な場所に置いてあるな、と思って見ていると、ニミル公爵夫人が胸元からハンカチを取り出し、その上に掛けて、香りを閉じ込めた。さらにもう一枚、マリーナにハンカチを差し出してきた。
ハンカチはニミル公爵夫人の移り香がした。王太子の部屋に届けられたお茶の良い香りと似ている。
自然とそれを鼻先に持っていくと、ニミル公爵夫人はそれでいいという風に頷いた。それから、薄絹の向こうに目を向ける。
そこには、妖艶な男女が相対していた。
アルバートとサビーナだった。
サビーナは出掛ける用もないというのに、とびっきりめかし込んでいて、不自然だった。ブルクハルトの指導が行き届いていたら、そんなことはしなかっただろう。国王の子どもを身籠っている設定からか、コルセットはしていなかったが、身体を冷やしそうな薄いドレスを着て、今にもアルバートにしな垂れかからんばかりだ。
首にはあの紫水晶の首飾りが掛かっていた。トイ軍曹からの報告で、王がサビーナの懐妊を喜び、買い上げたそうだ。
「お会いしたかったですわ、殿下」
サビーナの声が歓喜に震えた。
「ずっとお慕いしておりましたわ」
「奇妙なことをおっしゃいますね。あなたは国王陛下の愛人ではないですか」
アルバートが冷静に指摘すると、サビーナは泣き出した。
「そんな風におっしゃらないで!
私が望んだことではありません。あんな男に、抱かれたくなんかなかった!」
「しかし、子どもまで成した」
「――子どもなんていないわ!」
あまりにあっさりと白状したサビーナに、アルバートは軽蔑しかけた。実の父親を『あんな男』と言われ、いかにも汚らわしいと言わんばかりなのも気になった。
「いない? それは王を謀ったということですか?」
「だって……そうでもしないと、私……陛下は最近、私を疎ましく思っているようで、このままでは、いけないからって――」
サビーナが王のお気に入りになったのは、その美しさだけでなく、王の気に入るような受け答えをしていたからだ。それにはブルクハルトによる演技指導が大きかった。それがなくなれば、どんどんとボロが出てくるのはサビーナの性格では当然の成り行きだった。ついには、王の不興を買うようなり、そこで妊娠を偽装することで、王の歓心を得るように――と、助言された。
「それは誰に指示されたのですか?」
「――誰にも……ねぇ、それって重罪なのかしら? それだけ王さまを愛している証拠になるって……思ったのよ」
可愛らしい愛人の、ちょっとした我儘程度としかサビーナは考えていなかったようだ。狭い『花宮』でちやほやされただけなのに、世界中の人間に、自分は何をしても許されると思ってしまっている。
「あなたが、そのような卑怯な真似を考えたのですか?」
アルバートはわざとサビーナを煽った。案の定、サビーナは慌ててアルバートにすがった。
「違います!」
「違うのでしょう? あなたはそんなことを考えるような方ではないはずです。
このままではあなたは恐ろしい罪を背負うことになりますよ。
私はあなたを助けたいのです」
今度は、甘く囁いてみる。
さにら微笑みを付け加えると、サビーナは腰が抜けたようになったので、椅子に座らせることで、自分の身から離した。
「ああ、アルバート殿下……私……ええ、申し上げますわ。
ベルトカーンのカール・ブルクハルトですわ! あの男が、私を利用して、エンブレア国王を自分の思うままに動かそうとしているのです!」
「殿下?」と押し黙ったアルバートにサビーナは恐る恐る声を掛けた。
「あなたはそれをして何を得ようとしたのですか? ご自分の身を穢してまでも――」
アルバートの、演技ではなく、本心からの台詞は、サビーナの心を直撃した。さっと顔色が変わる。怒りと憎しみに彼女は震えていた。




