001:火のない所に煙は立たない
マリーナ・キールはまったくもって不本意なことに、自分がご近所中で『可哀想なシンデレラ』と呼ばれていることを、つい先ほど知った。
今年、十六歳になる彼女の生みの母親は、彼女が十歳の時に亡くなった。
その後、別の女性と再婚した父親も亡くなり、今では義理の母親と、その連れ子である姉二人と暮らしている。
なるほど、事実だけを抜き出してみれば、シンデレラの境遇にそっくりかもしれない。
「だからシンデレラだって言うの? 随分と短絡的な発想ね」
井戸から水を汲みながら、マリーナは呟いてみせた。
その声は落ち着いてはいたが、せっかく汲み上げた水の半分以上をこぼしているのをみると、内心は動揺しているようだ。
「……はぁ」
彼女は、ため息をつき、濡れてしまった地面にしゃがみこんだ。
朝の光に水たまりが輝き、少女の顔を映し出した。若葉を思わせる緑色の瞳が、彼女を見つめ返す。
が、そこにいるのは少年のようにも見えた。
寸足らずのスボンを履き、栗色の髪の毛は短く、晒しを巻いて女らしい身体を隠しているのだから。
実際、彼女は家族の為に、朝も早くから夜遅くまで、まめまめしく働いていた。裾の長いドレスなど邪魔なだけだし、外で活動するには男の恰好の方が安全だ。おまけに髪の毛は高く売れた。
「ま、そう思われても仕方がないわよね」
しゃがみこみ、頬杖を突きながら、少女は自嘲した。
彼女がかの有名な海軍提督にして、平民から男爵にまで上り詰めたキール艦長の令嬢・マリーナ・キールだと言われても、人々は俄かには信じられないだろう。
誰もが彼女を小間使いの少年だと思っており、マリーナもまた、敢えて自分が女であること、ましてやキール男爵の令嬢であることを口にはしなかった。近隣の村では彼女はただ、”キール男爵家の小僧”と呼ばれている。
しかしながら、キール男爵家にはマリーナという娘がいることも、多くの人が知っている事実であった。
”マリーナ・キール”は敷地の外には滅多に出ず、人との付き合いもほとんどしていなかった。だからこそ、逆に彼女の存在は人の口にのぼり、興味本位で語られ、尾ひれがついていったのだろう。
そのせいで、いつしか自分がシンデレラ呼ばわりされるようになり、義理の家族の不名誉となっているなんて――。
「それはまずいかも……このままではお姉さま方の縁談に差し障りがある」
眉を寄せ、しかめっ面になった。
そこで、やや芝居がかった口調で言ってみる。
「ああ、天国のお母さま。一体、どうしたらよいのでしょう……」
気分はシンデレラだったが、彼女の声に応えるのは鳥の声だけ。
名付け親もそろそろ出てきてもいいはずなのに、一向に音沙汰がないところを見ると、彼女には摩訶不思議な手助けは期待できないようだ。つまり自分でなんとかしないといけない。
「それはそうよ。自分と、家族のことだもの」
マリーナはさっぱりとした口調で言い切ると、立ち上がり、こぼしてしまった水を補うために、再び井戸に向かった。
と、その時、彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。
「マリーナ! マリーナ! どこなの!」
「はーい! ここに! 今、参ります!」
相手に聞こえているかどうかわからないが、とにかくそう答えると、マリーナは釣瓶から手を放すと館の中に駆け込んだ。
後ろで、金属のこすれる音と、水音が聞こえたが、振り返ることはしなかった。