第五話:外出① ~二人の出発、監視者は妖しく微笑む~
部屋に備えられたスタンドミラーの前で、イセルはぎこちなく体を見回していた。
「こんなもんでいい、のか? そんなにおかしくないはず……だけど」
戸惑いを含んだ声があがる。今の彼の装いは白のカットソー、グレーのカーディガン、黒のスキニーという無難な組み合わせだ。
「悩んでたってしょうがない、か。おかしけりゃレイナが教えてくれるだろ。多分」
慣れないことに頭を使っていたイセルは、半ば投げやりな気持ちのまま、大きくため息をついた。
今年度のゴールデンウィークは、関東地方は一日目の夕方から雨模様が続くと予測されている。そのため連休の初日に、イセルと麗菜は出かけることになっていた。
――ったく。ヒヨリのやつ、絶対面白がってるだろ。
乱暴に頭を掻きながら、イセルは再びため息をついた。
ひよりに振り回される形で、二人の予定が強引に決まったのは二日前。昨日はたまたま麗菜とひよりのカリキュラムが被らず、イセルはひよりと顔を合わせることがなかった。
『いやー助かったッス。これで自分も、心おきなく旅行に参加できるッスよ! あ、くれぐれも麗菜のこと、よろしく頼むッスよ? イセルさんはもてなされる側ではあるッスけど、一応男なんスから女の子の護衛くらい、お茶の子さいさいッスよね!』
そんな能天気な声を電話越しに聞いたのは、先日の夜だった。そしてその声にからかいに似た、楽しげな色が滲んでいるのも明らかだった。
「どうせ、慣れないことで戸惑ってる俺を見て楽しんでるんだろあのバカ娘。帰ってきたらとっちめてやる」
経験不足ゆえの、ずれた結論に至ったイセルは、ひよりの小憎らしい笑みを頭に浮かべてそんなことを誓う。
「まあいい。気を揉んでいたって仕方ない。いつも通り、いつも通りのまま接すればいいんだ、何も難しいことじゃない」
まるで誰かに言い訳をするように、逸る心を落ち着けようと口を動かす。
麗菜と二人きりで出かける、その事実を意識し始めてから襲う緊張感。
その正体に、気づくことのないままに。
部屋のブザーが鳴り響く。その音を聞いて、イセルは気を引き締めるべく両頬を叩く。
「っし、行くか」
そうして表情を硬くして、イセルは玄関へと向かう。途中で自身の愛剣に目をやる。
相棒は部屋の片隅に、深紅の鞘に包まれた状態で置かれたままだ。
「ごめんな。出来ればお前にもこの世界を見せてやりたいんだけど、構内はともかく外では持ち歩けないらしい。武器もいらないくらいに平和な世界なんだってさ、ここは」
苦笑しながら、まるで生身の人間に接するようにイセルが語り掛ける。もちろん答えが返ってくるわけでもない。
「平和な世界――あいつが望み続けた平和な世界ってやつを、見てくるよ。俺にそんな資格、本当はないんだけどな」
それでも気にすることなく、どこか自嘲するように寂しく呟いて、イセルは今度こそ玄関へと向かった。
「おはよう、レイナ」
ドアを開け、すぐそこで待っている人物へと声をかける。その姿を目にして、イセルは軽く目を見開く。
これまでイセルは、制服姿や運動服の麗菜の姿しか目にしたことがなかったため、彼女の私服姿を見るのは今回が初めてだ。元居た世界では見たことのない服装ということもあり、目の前の麗菜の姿がひどく新鮮なものとして映る。
クリーム色のシャツと、そのデザインと色に合わせたキュロットスカート。シャツの上には濃紺のデニムジャケットを羽織り、肩には茶色のバッグをかけている。普段の装いではあまり意識することの少ない体の線が、薄めの布地のせいで明瞭になっている。
制服のスカートよりもやや短めの丈のキュロット。その下から伸びる足は、滑らかな肌を惜しげもなく晒していた。
生真面目な麗菜の、普段では見られない健康的な姿に、イセルは言葉を失っていた。
「おはようございます、イセルさん」
柔らかく微笑む麗菜に、しかしイセルは、言葉を返すことができない。
「イセルさん……?」
戸惑いを露わにする麗菜は、イセルの視線が自身の姿に縫い付けられていると知るや、身を竦ませる。
「えっと……へ、変ですかね、やっぱり」
自信なく揺れる声を聴いて、イセルはようやく我を取り戻した。
「ああ、いや違う。そんなことはない。ただその、普段の君の雰囲気と全然違っていて、少し面食らったというか……全然変ではない、似合っている、と、思う」
たどたどしい言葉で弁解するイセル。この世界の服装の基準が分からないため、本当に『似合っている』と言っていいのか自信を持てなかったが、それでも自身が感じるままに目の前の少女へと感想を告げる。
イセルの言葉にしばらく呆気にとられていた麗菜は、すぐに頬を染めてはにかむ。
「ありがとうございます。よかったです、そう言ってもらえて」
ほっとしたように、そして嬉しそうに息を吐く麗菜。普段の彼女とは違う格好、仕草を目にして、イセルは心臓がいつもよりも速く脈打つのを自覚する。
「……外出するときは、いつもそんな装いを?」
どこかいたたまれないような、そんなむず痒さを覚えたイセルは、場をもたせるようにそんな問いを投げる。
「お出かけのときの私服でも、今みたいな服はあまり選ばないですよ? ただ今日は、ちょっとだけ頑張ってみようかなって、思いまして……」
「頑張る……? 頑張るって、なにを?」
照れ臭そうに頬を掻く麗菜に、イセルは首をかしげる。
「こ、こっちの話です。気にしないでください」
手を小さく振りながら、誤魔化すように麗菜は答えた。
「イセルさんもすごく似合ってますよ。服は自分で選んだんですか?」
今度は麗菜がイセルに尋ねる。これまでの会話の流れ的に、麗菜がイセルの服装について触れてくるのは自然なことだった。
「俺? ああこれか。うん、キョウカ殿に助言はもらったけど、家にある服からこの組み合わせを選んだのは俺だ。この世界の服装の基準はまだよく分からないが、おかしくないならなによりだ」
「はい、よく似合ってると思います。組み合わせもおかしく……え? 楸尾先生? 今日のお出かけの服装のために、わざわざ先生のところまでアドバイスもらいに行ったんですか……!?」
「まさか。そんな理由だけでキョウカ殿の時間を割くわけないだろ。この世界の住人でない俺が、学校の外に出てもいいのか、確認したかっただけだ」
イセルの存在はまだ公にされていない。日本国内の魔導士および魔導士学校の生徒には、日本魔導士協会から通達はされているが、無論協会からの正式発表があるまでは緘口令を敷かれている。
現在は鏡花の目が行き届く学校内だからこそある程度自由が効くが、今現時点で学外に出た場合に問題が生じるのではないかと、イセルは懸念していた。
「あ……そっか、そうですよね。どうしよ、何も考えていなかったな……」
イセルに指摘されて初めて、麗菜はイセルが学校外に出るということの重大さを理解したようだ。
「楸尾先生は、なんとおっしゃってました?」
おずおずと、まるで叱られるのを待つ子供のように麗菜が尋ねる。しかしイセルは、さして大したこともないと肩を竦めながら答える。
「最初は苦い顔をされたけど、レイナに案内してもらうって言ったら目の色変えて認めてくれたよ。何かあれば学生証を見せれば大丈夫だそうだ。あとは服装についても、聞いてもないのにあれこれ教えてくれた。やけに楽しそうだったけど、そういえばあれは何だったんだろうな?」
昨夜に鏡花の下を訪れた際の、彼女の劇的な変化を思い出しながら、イセルは首を捻る。
「それは……何で、でしょうね……」
曖昧な笑みを浮かべながら、麗菜も当たり障りのない相槌を打つ。ここで麗菜がハッと目を開いて、左手首に巻かれた腕時計に目をやる。
「まだそんなに急ぐ時間でもないですけど、そろそろ行きましょうか」
麗菜が出発を促す。
「それでは僭越ながら、王子様のご案内を務めさせていただきます」
生真面目な彼女が滅多に見せることのない、どこか悪戯っぽい笑みで、麗菜が冗談交じりの声音で言う。
「ああ、よろしく頼む。王族の歓待という重大な務め、見事果たしてみせるがいい」
麗菜の言葉に合わせるように、イセルもわざと尊大な態度を見せる。元が王族であるからその言葉遣いに不自然さはないのだが、表情は安っぽい仏頂面だ。明らかに演技だと物語る表情と、全く不自然さのない声音のアンバランスさが可笑しかったのか、麗菜は小さく笑い声を上げる。
それに釣られるように、イセルもまた同じように表情を緩ませた。
関東某所、とあるカフェ。
全国展開される大型チェーン店であるこの場所は、平日休日関わらず賑わいを見せる。大型連休ということもあり、午前中であるにも関わらず普段以上の盛況ぶりを見せている。
女はソファ席でパソコンを開き、キーボードに指を躍らせていた。彼女の顔立ちと、スーツ越しでも分かる均整のとれたプロポーションは、本来なら足を組んで座る姿だけでも異性の目を引き付ける。
だが店内でパソコンを操作する女性など、この場所では日常的に見慣れた光景だ。この日もドリンクを片手に業務に勤しむキャリアウーマンは他にも居り、加えて普段以上の混雑の中では、女の姿など簡単に周囲の景色に埋没する。そのため彼女に目を止める者は居ても、必要以上に意識を割く者など居なかった。
テーブルの上に置かれた携帯端末が振動する。女はタイピングを一旦中止し、端末に耳を当てた。
『章中士、対象に動きありです』
機械越しに聞こえる男の声を聞き、女は片眉を僅かに上げながら、コーヒーカップに手を伸ばす。
「続けて?」
無線越しに、隠す気のない舌打ちがもたらされる。
作戦隊長である周の命によって、今回の任務における女の役割は実質的なNo.2に等しい権限を与えられている。通話相手は階級の上で女と同級であるが、その態度や言葉に明確な上下関係が形成されている。それを快く思われるわけなどないと、女は理解している。
『燃料が魔導士学校から離れます。魔導士学校への潜入・拉致よりも、学校へ帰還する前に確保したほうが、作戦は円滑に進むかと思いますが?』
「遠出になりそう? 服装とか荷物から推測できない?」
男の提案を無視し、女は無機質な声音で言う。
『……服装や荷物は軽装、他の学生のような帰省などではないかと』
やや置かれた間は、男の感情がどのようなベクトルに向いているのかを物語る。通話相手の苛立ちに気を揉むこともなく、女はコーヒーを啜る。
『……事務作業、ご苦労さまです。申し上げるまでもありませんが、頭を使う作業には糖分の摂取が効果的です。コーヒーにはミルクと砂糖を入れていますか?』
男の舌打ちと違い、コーヒーを啜る音は控えめなものだったが、それでも通話越しに十分聞こえたようだ。現場で任務に就いている自分たちを差し置いて優雅なものだと、声音に宿った熱が言外に語る。
「お気遣いどうも。パソコンにずっと向かって連絡調整ばっかりも、あっちこっち凝っちゃって駄目ね。少しはあなたたちみたいに体を動かさなきゃいけないかしら?」
涼し気な声で皮肉を返す。男が歯軋りする音を女は聞いた。
――ほんと、うちのトップは頭が弱いわね。組織内でこうもあからさまに差をつけたら、不満が出ることなんて明らかでしょうに。
そう思いながらも女には、現状を改善させる気など毛頭ない。今回の作戦に関わる人間との関係性など、周とのものを含め取るに足らないものだ。
「燃料は一人で出かけてる? それとも複数名? 交友関係だと確か、とても仲のいい女の子が居るはずだけど」
再びコーヒーカップを口に運びながら、気軽な調子でその他の情報を得ようと会話を続ける。
『燃料と、もう一人居ます。ですが事前の調査で挙がった友人ではありません。というか、そもそも……』
男の声が先細り、中途半端に途絶える。女は先を急かすことなく、無言で続きを待つ。
『もう一人は男、銀髪の男です』
「銀髪の男? 詳しく」
目下の者へと投げるような端的な物言いに対し、男は再度舌打ちをしたあとに答える。
『年齢はおそらく燃料と同年代、身長は180㎝程度。黒目に銀髪、明らかに日本人離れした顔立ちで……少なくともアジア系ではないです。北欧あたりの出自を窺わせますが、それとも些か違うような――』
そこまでの報告を聞き、女は口元に笑みを携える。
『日本魔導士学校は今、オセアニア連邦魔導士アカデミーと交換留学を提携しています。可能性としてはOFMAの学生と考えるのが妥当でしょうが、向こうから生徒を迎えるのは9月のはず。この時期に来るなんて話はありませんし、そもそも明らかに向こうの出身とも思えま――』
「報告ありがと。おそらく電車で行ける範囲の行楽地までお出かけっていったところね」
男の考察を遮り、女が気のこもっていない労いを添える。
「あなたの言う通り、わざわざ学校まで帰るのを待つ必要はないわ。燃料の行先で『屍儡』を解放しましょう。混乱に乗じて燃料を捕獲します。二人の画像をあとで送って頂戴」
男の反応を待つことなく、女は通話を切った。カップを置き、満足げな微笑みを見せる。
「好都合ね。先生がおっしゃっていた彼の性能も、ここで測れるかもしれないわ」
女の呟きは誰に聞き届けられることもなく、周囲の喧騒に溶ける。そしてすぐあとに端末が振動し、女はスクリーンを操作する。
女の手にする端末の画面に、余所行きの恰好を身に着けて会話する、二人の少年少女が映し出された。
「いいわねぇ、初々しくて」
頬に手を当て、ホウ、と悩まし気に溜息をつく。仕草や恍惚に似た表情は、顔立ちと相まって魅力的な色を生む。だが両目に宿る冷たい光が、女の中に居る冷酷な魔性を物語っていた。
「この手でグチャグチャにできたら、きっと楽しいんでしょうけど」
自身の底に眠る本性が表に出たのは一瞬で、すぐに女は表情を取り繕う。
「さて、お仕事に取り掛かるとしますか」
今回の表向きの上司にあたる男へ、作戦変更を提案すべく、女は端末を操作し始めた。




