『■■■■■■■■■■■』
「シグ!」
バルラへと突っ込んでいったトランさんが叫び声を上げた。
それは悲鳴というより、意識があるかどうかの確認のためのようだったが、シグルドさんからの返事はない。最初からそうなる予定ではあったが、やはり瀕死の状態らしい。罪悪感がチクリと胸を指す。
だが、そのおかげで今、リンはバルラに取りつくことができた。
顔にへばりついている粘液を引きはがそうと、必死になって首を振り回しているバルラにリンはぴったりとくっついて離れる様子はない。
どころか、徐々に鼻や口の中へ入りこんでいるようにも見える。
リンの集中を乱すわけにもいかないので、従属パスによる会話は使っていないが、バルラがさらに大きく暴れ始めたのを見ると間違っていないと思う。
「馬の身体では、顔にくっついているものを剥がすことはできないでしょうね」
「……あれを見てると、スライムが弱いって言われるのが納得できないんですがね」
少なくとも奇襲をかけられたら、ゴブリンやオークではどうにもならない気がする。いや、人間でも最悪の場合は窒息するか、体の中に入られて中から溶かされるだろう。
リンのようにスキルやギフトまで持っている奴はいなくとも、身体的な能力だけでかなりの脅威じゃないのか。
そう考えていると、ハーモニーが反論してきた。
「普通、スライムは木に登ったりしませんし、相手を窒息させる程の知恵も働きません」
「ああ、リンが凄いってだけですか」
「というより、アレが本当にスライムなのか私は疑っています。黒いスライムなど見たこともありませんし」
ハーモニーでも見たことはないのか。ルイディアさんや団長さんでもそんな種類の魔物は見たことがないそうだし、当然といえば当然なのかもしれない。
というか、今はそんなことどうでもよかった。バルラの方はどうなってるんだ。
「少しシグルドたちが危ないですね」
ハーモニーに顔を向けていた俺と違って、バルラをずっと見ていたらしいハーモニーがそういった。
シグルドさんは吹き飛ばされたとはいえ、それほどバルラと距離が離れているわけではない。だが、バルラはとにかくリンを何とかしようと暴れ続けているわけだ。
トランさんは何とかシグルドさんの元までたどり着いたようだが、いくら回復薬を使っても怪我が治りきるかはわからず、最低限治ったとしてもすぐさま動かせはしないだろう。
やばい。せっかく生き残れたかもしれないのに、巻き添えで殺されるとか冗談じゃないぞ。
「ハーモニー、どうにかできませんか」
「……気を引くことは可能でしょうね。ただ、リンもこちらに気を取られると思いますよ」
「先に警告しておいても?」
「用心してどうにかなると思うのなら、それは私の腕を侮辱したと取りましょう」
「腕がよすぎて使えないですね」
「褒められたと取ればいいのか、貶されたと取ればいいのか……」
ふざけた会話だと思う。一応、頭の中ではどうにかバルラをシグルドさんたちから離す方法を考えてはいるのだが。
ここはリン本人に聞いてみるか。集中を乱すといったばかりだが、さすがにすぐ引きはがされることもないはずだ。トランさんが言っていた通り、ここまで着たら全員で生き残りたい。
『リン、バルラに【放出】はまだ使えないか? シグルドさんたちが踏まれかけてる』
『こっちも頑張ってるんだけどねー。噛みつかれるならともかく、吸い込まれて胃の中に落とされたりしたら消化されるかもしれないし。頭の中に入れたらすぐに殺すから』
『やっぱり溶かすことはできないか』
『口の中もかなり頑丈だからねー。外身よりマシなのかもしれないけど、何でこれ斬れたんだろうねあの人』
『それと、一応聞いとこう。ハーモニーの演奏とか歌に気を取られないってこと、あるか?』
『……あれかぁ。……どうだろうね、もしもナイフで弾くんなら抵抗できる気はしないとだけ』
『そうか。頑張ってくれ』
『現状頑張ってるよー』
リンの答え方はのんびりしているが、頭を振り回すバルラの姿を見ているとさっさとしろとは到底言えない。おそらく限界まで頑張ってあれなのだろうから。
どちらも時間の問題だ。シグルドさんが踏みつぶされるか、リンがバルラを殺すか。
俺にできることは……【従属】を発動させてバルラの気を引くとか? 無理だな。近づいただけで死ぬだろう。
なら何かをぶつけるとか? ハーモニーがやった方がましな気がする。
そもそも、足を動かせないなら大してできることも……待てよ?
近づけないなら、……遠くから【従属】って発動できるのか? できたとして効果はあるのか?
なぜ今まで思いつきもしなかったのかと思うほど、その発想はあっさりと頭の中に浮かんだ。そういえば、これはルイディアさんにも聞いていなかった話だ。
「やってみるか……」
どうせ何もできないのだから、試してみよう。
意識をバルラに集中し、従属パスをつないだり会話をするときの感覚で【従属】を起動させる。
結果――なんとも微妙な手ごたえが返ってきた。
明確につながってはいない。だが、効果自体はある気がする。そんな朧げな感覚だ。
失敗か? ……いや、もっと集中してみよう。どうせ|何を消費するわけでもない(・・・・・・・・・・・・)。
集中する。視界と意識からバルラ以外を追い出すように。他の物がすべて見えなくなるほどに。
シグルドさんやトランさんが死ぬ時のことを考えろ。それは嫌だろう。もしかしたらリンが失敗するかもしれない。そうしたらあいつも死んでしまう。
ずっと気絶している少女や、ノーディ、…………ハーモニー。
ああ、それに何より――自分が死ぬ。
それは嫌だろう。まだ生きていないと。こんな死に方は納得できない理不尽だ抗おう。
だから、集中しろ。
バルラを【従属】させろ。
ノーディを従属させた時のことを思い出せ。
相手を追い詰めて……全てを支配するように。
『■■■■■■■■■■■』
そう、そんな風に……。
『やめておこうか』
「大丈夫ですか」
「!?」
突然、ハーモニーの顔が目の前に現れた。目を閉じていたわけでもないのに。
そういえば向いている方向も変わっている。頬には何か暖かいものが触れていた。
「いきなり黙り込んでうつむくものですから」
そういってハーモニーは俺の頬から手を離した。……うつむく? ちゃんと前見てたつもりだったんだけども。
けど、ハーモニーに触られたことも気づかなかったし……気絶してた?
ってそんなことよりリンはどうなった!? 【従属】に弱い手ごたえみたいなのは感じたが、あれで多少でも気を引けたのか。
目を向ければ、バルラはもうほとんど暴れていない。ゆっくりと、弱い足取りで歩を進めてはいるが、その進行方向には誰もいなかった。
顔にへばりついていたリンはその体のほとんどをバルラの中に入れていて、もう口から少し漏れ出ているぐらいだ。
『お……オ……』
声とも息ともつかない音が、バルラから聞こえた。
それから少しして、リンの声が頭の中に響く。
『おっけー、もう終わらせよう。――【放出】』
言い終えた瞬間、破砕音と共にバルラの頭が内部から爆発した。
今までのことが夢のように思える程、あっさりとした終わり方だった。




