乗せたままだった!
「……あれは何だ?」
「?」
馬からの衝撃に耐えつつ、いまだに消えない嫌な予感に不安を感じながらの道中、エドさんが何かを呟いた。
ちなみに、エドさんの馬は相当穏やかに走ってくれているらしく、どこぞの騎士ハテナマークさんと比べるとかなり揺れや衝撃は少ない。少なくとも腕がずれ落ちかけて死にそうになることはない。
しかし、いくらゆっくり走っているといってもやはり馬は馬。衝撃へ備えるために集中しなければならないことには違いなく、密着している状態でも声を聞き取れないことがざらにある。ついさっきの呟きも同じくよく聞き取れなかった。
――だというのに、その音はよく聞き取れた。
『ゴオオアアァアァァァァァァァァァァ!!』
これがそうだと、確信できた。
空にほんの少しだけ映った何かを見たときの嫌な予感。
それは、これだ。
それ以外にあり得ない。これ以外なんてあるわけがない。
そうとしか思えなかった。確信しかできなかった
それほど怖かった。
たった一度の叫びが、全身を砕こうとしているかのように怖かった。
怖くて、恐ろしくて――
くd「ジン君!? 大丈夫か!?」
「……」
「聞こえてるか! ジン君!」
「……はっ!? えっ? あれ?」
再度呼びかけられて、ようやくぼんやりとしていた頭が働き始める。
目の前には必死な形相のエドさんがいる。そんなに長い間呆けていたのかと思ったが、違った。あたりの景色が今までよりもかなり低い。視界の端に馬の蹄が見える。
どうやら、俺は寝そべっているようだ。異常を察して降ろされたのか、それとも落ちてしまったのをエドさんが受け止めてくれたのか。
おそらく後者だろう。でなければ、ここまで必死にはならないだろうから。
「大丈夫か? どこも怪我はしていないようだけど、呼びかけても返事をしないから……」
「すみません、大丈夫です。……さっきの衝撃がちょっと」
「ああ……あれか」
俺の言葉を聞いて、顔をしかめてエドさんが後ろを向く。
体を起こしてそちらを見てみると、先ほどの咆哮を放った原因であろうものが視界に飛び込んできた。
それは、竜。
竜と聞いて思い浮かんだものを、そのまま取り出したかのような竜だ。
その竜が、キャンプがある場所で暴れていた。
「――ッ!?」
「ああ、気づいたか?」
「いや、気づいたかっていうか、え、あれヤバいじゃないですか!?」
「いや、それは問題ない」
……え? あれ、今あっさりと問題ないって言いきった? 問題ないって何が問題ないんですか? あの竜思いっきりキャンプがあるところで暴れてるんですが。
「ジン君」
「はい……?」
「あそこにいる人たちは、たかが竜一匹が出た程度じゃ動じないし、対処できる。まあサイラスさんはいないが、それでも何とかなるさ」
対処できるんだ……。あんなでかいのが怪獣映画みたいに暴れてるのに。俺だと咆哮を聞いただけでも心神喪失に陥ったのに。
でも、
「それは、前の説明と矛盾しませんか? 竜って騎士団と別組織が共同で対処するレベルのものだって」
「普通はな?」
あ、そういう感じ? あそこにいる人たちは軒並み普通じゃないってことですか? たかが竜程度、我が剣でたたっ切ってくれるわ! とか言っちゃう感じですか。
「それを言うかどうかはともかくとして、出来る人はいるな」
「ちなみにその人って名前に『サ』がついたりは?」
「いや、しないよ。その人とは別の人だ」
あ、ここにはいないんだ。でも、そうか、それができる人がいるのかー。
……ファンタジーにもほどがある。あのサイズを叩き切れるって、いったい何をどうしたらそんなことが可能になるんだ。
「……で、そんなに安心できる要素がそろってるのに、どうしてエドさんは厳しい顔してるんですか」
「……」
随分といろいろな感情が混ざった顔だ。
悲壮、怒り、困惑。分かりやすいのはそんなところだろうか。不意打ちだったとはいえ、なかなか多様だと思う。
「今は、君には関係ないことだ」
「そうですか」
少し突き放した言い方だ。しかし、それを言った瞬間に悲壮の感情が強くなった感じがしたので、黙っておくことにした。
エドさんは、失礼だが表情が読みやすい。あまり腹芸が得意ではないのかもしれない。ルイディアさんの場合、悪感情がないのかもしれない、ということしかわからなかったから、あの笑顔や好意が本当に純粋なものかは確かめられなかったしな。
やれやれ、やっぱりちょっと疑い深くなってるな。レベルの影響か?
まあいいか、今は関係ない。どうでもいい。
ああ、そういえば今はってエドさんも言ったな。いつかは関係するのかね。
それが所詮一般人でしかない俺になのか、異世界人である俺になのかは、一応考えておいた方がいいかな。これに関しては答えてもらえなさそうだし、かまかけもこの人たちにはしたくない。
「それよりも立てるかな? できればキャンプの方に行きたいんだけど」
「立てるし歩けますけど……なぜにキャンプへ? あの竜が倒されるまで待っていればいいのでは?」
「いや、頼れる人たちなのは確かなんだが、それでも怪我の一つもしないわけじゃないからさ。結界と回復をね」
いい人だ。とても。
「俺は問題ないですけど……馬とグリーンウルフが」
「馬はもう落ち着いてるから大丈夫だろうけど、グリーンウルフはなあ」
そう、グリーンウルフは俺の脅しでビビるぐらい臆病な生物だ。そんな奴が、今まさに竜が暴れている場所へ行くわけがない。絶対安全と保障されていても無理だろう。
その証拠に、俺の頭の中にはずっとこいつの怯えた声が響いている。
『なあ、エドさんの結界だったらたぶん破られないだろうし、大丈夫だって』
『怖い怖い怖い怖い怖い怖い』
『あそこには頼れる人がいっぱいいるし』
『怖い怖い怖い怖い怖い怖い』
『話聞こえてるか?』
『怖い怖い怖い怖い怖い怖い』
だめだこりゃ。説得しようとしても、一切耳を傾けないんじゃどうにもならない。あと、これ怯えた声っていうか壊れた声だな。
別にこいつを置き去りにして進んでもいいが、その間に逃げられたら厄介なんだよな。
グリーンウルフを仲間にして分かったが、【従属】はあまり強制的な命令を下したりはできないらしい。
例えば、『限界を超えて走れ』とか『俺の思うとおりに走れ』とかだ。これらはもちろん走っている時に命令したものだ。途中で命令を出すのに夢中になって馬から落ちかけたのはご愛敬。
ああ、話がずれた。つまり、こいつが逃げ出した時に戻ってこいと命令して本当に戻ってくるかどうかと、はるか遠くに逃げられたら脳内会話が通じるのかがわからないため、ここに置いて行くのはできればやりたくないのだ。
最悪、エドさんだけに先行してもらえばいいわけだが、そうすると『不幸な事故』で俺が死ぬ可能性があるからな。足を引っ張って申し訳ない限りだが、命は惜しいのでここは俺を置いて先に行け、とは言えない。
「どうしましょう」
「……しょうがない。魔力は消費するけど、結界を残していこう」
ほう、固定残留式結界もできるのか。多芸だな、エドさんと結界。
「……【|留角【リメイン・キューブ】」
短い詠唱の後、俺とグリーンウルフの周りに透明な立方体が構築される。
触ってみると、温度のないガラスのような触感が伝わってきた。強度の方はわからないが、エドさんが作ったんなら大丈夫だろう。
「それじゃ、すまないがサイラスさんが戻ってくるまで待っててくれ。竜の近くに魔物は出ないだろうからそこは安心してくれ」
「転んで頭打って死なないように頑張ります」
「……ああ、うん」
軽いジョークを飛ばしたら引かれてしまった。しまった、サイラスさん以外にこういうことは言わない方がいいか。
微妙な顔をしながら、エドさんは馬に乗ってキャンプの方へと走っていく。
それを見送って、エドさんが見えなくなってから、ある重大な問題に気付いた。
「やっばい……リン、馬に乗せたままだった!」




