アンラッキーデイ 後編
ちょっと短めです
「ハッ……ハッ……」
彼は全力で慣れ親しんだ道を駆けていた。
道といっても、人やよそ者たちにはわからないようなかすかな跡が残っているに過ぎないけもの道だ。しかし、彼にはしっかりとその道が見えていた。よそ者たちの通った跡とは違う、自分の仲間たちが踏みならした地面と、ほんの少し残ったにおいが彼を住処へと導いてくれていた。
だが、その道を進んでいる途中で、前方からよそ者たちのにおいが漂ってくる。
先ほどは慌てて逃げだしたから気づかなかったが、よそ者たちにはよそ者特有のにおいがある。それはこの森ではほとんど嗅いだことのないにおい……よその土の匂いだ。
これのおかげで、彼は集まってきているよそ者たちから逃げることができている。
彼はよそ者たちにぶつかることがないように、すぐ右にあった別の道に出て、よそ者たちが見えなくなってからまた元の進路に戻ろうとする。が、その方向にはまた別のよそ者たちがいた。
仕方なくそのまま通過しようとすると、そのよそ者たちは彼に向かって動き始めた。
まだ距離があるとはいえ、もしかしたら勘付かれたのかもしれないと思い、彼はなるべく元の道から外れないように少しだけ進路を右側に傾ける。
さすがに道から離れすぎると、彼でも痕跡をたどるのは難しくなる。少し前までの森ならそんなことはなかったが、よそ者たちとの戦いでめちゃくちゃに踏み荒らされた上に、数日間住処に引きこもっていたために仲間のにおいがかなり薄まってしまっているのだ。
しかし、よそ者たちはもう道の近くにはいない。彼はそのまま道に戻ろうとして――その瞬間。
ほんの少し、自分自身でも気づかないぐらいに小さく、頭の中で警報が鳴った。そう、自分でも気づかなかった。だからそれは偶然だったのだろう。ただ自分が行く先を確認しようとして、偶然にも、彼はそれを見た。
木の上から自分を見ている目を。
「……!!」
一瞬で全身が総毛だった。
あまりにも恐ろしかった。
それが自分を見ていたことも、自分が気づかれていることも、自分がそれに気づかなかったこともすべてが恐ろしい。
だが、何より恐ろしいのは……それだった。
それそのものが、他のどれより恐ろしかった。
彼は全力でそこから逃げる。進む方向も気にせず、ただひたすら脚を動かし続ける。もう仲間のことなど考えられず、恐怖だけが頭の中を埋め尽くしていた。
走って、走って、走り続けて――
「止まれ」
「…………!?」
後ろから一瞬で追いついてきた何かに、首をつかまれた。
ー―ーーーーーーーー
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すああぁぁぁぁぁあああぁぁッハアアァアァァ!!」
…………ふう。叫んだら多少落ち着いた。
さすがに、あの状態で突撃するのはあまり良いとは言えない。いや、別に突撃したところで俺に問題はないんだが、現状を考えると中途半端な虐殺はできないからな。なるべく刺激せずにあのグリーンウルフだけを攫うのが最良だ。
そして、さっき叫んだから多分もう最良は目指せない。グリーンウルフや包囲してる奴らは気づいてなさそうだが、近くにいた魔物や小動物が全員逃げていったからな。
……まあ、それは置いとこう。そのおかげで見れたものもあったし、必要経費だ。
それよりも、どうやってあいつを攫うかだな。力ずくが一番楽ではあるんだが、それだとケンカを売るのと大して変わらんな。ちっ、やはりできることならあいつを誘導して包囲から外すのが一番か。
やばいな。もう包囲されてるじゃねえか。あいつの【危機感知】が包囲に働かないのは、命の危険がないからか? 捕らえはするが、殺す気はないってことか。それとも、ただ単に囲んでるだけだからか。
「って、それはどうでもいいな」
とりあえず、捕まってもらっても困るので、やっぱり少しだけ力ずくで行くことにする。
「この距離からなら、まあ、なんとかなるだろ」
目測で距離を測ってから、一度息を吐き――グリーンウルフを殺す気で睨み付ける。
瞬間、グリーンウルフは俺から見て右……グリーンウルフからは左……に身を弾けさせた。なかなかの速さだな。完成していたオークたちの包囲を無理矢理くぐり抜け、ひたすらに逃げていく。
オークたちは、あそこからグリーンウルフが自分たちに向かってくるとは思っていなかったようだ。囲むまではかなり良かったが、その後の対応がお粗末だな。まあ、グリーンウルフが怯えもせずに敵に突っ込むようなことはまずないから、仕方がないともいえる。
あの反応から、そんなことをしてきたやつは今まで全くいなかったんだろう。指揮官のやつならそれぐらいは想定していたかもしれないが、末端まで完璧に指示が守られてはいないってとこか。
しっかし、そこまでいってたら面倒なんてものじゃなかったな。もし、こいつらがあの村近くの森から来たのだとすると、竜が襲来しなければこのオークたちが村を襲っていただろう。
……もしかして、他にも報告されてない魔物の群れか、やばい魔物とかいるんじゃないのか、この辺り。
少なくともグリーンウルフはいないはずだったし、オークたちもあれだけの群れではなかったはずだ。しかも、このオーク共。ゴブリンも含めた他の魔物を食い散らかしてやがる。
俺が叫んだ時、飛び出してきた魔物を追いかけるようにゴブリンの片腕を持っていたり、口元を血で汚しているオークが走っていった。ついでに、今さっきオークが出てきたあたりを見ると、食い残された骨が散乱していた。
「やべえな」
思わず呟きが漏れる。
基本的に、下位の魔物は群れの大きさがそのまま力に直結する。上位の魔物なら一体で街を滅ぼす奴もいるが、オーク一体ならせいぜい荒事になれていて、命を張る覚悟をしている男が2~3人いれば何とかなるだろう。
しかし、これが100体の群れになれば約300人、500体の群れなら約1500人は必要になる。もちろんこれは単純に計算しての話だ。実際には剣でどつき合いをして一体一体殺していけるわけがなく、剣しか武器を使わないわけでもない。あくまでも目安だ。
そして、ここのオークの群れは控えめに見積もっても百は確実に超えていて、しかも優秀な指揮官がついている。危険度でいうなら、上位の魔物にも匹敵するだろう。
早めに戻って報告をしなければならない。
ひとまずあのグリーンウルフを捕まえてジンのところに持っていこう。その後はすぐにここを去って……ああ、いや、一応戦力は削っておくか。
この森で戦力を蓄えようとしてくれれば、それだけ動くのに余裕もできる。
よし、ならまずはグリーンウルフ、次に包囲をしている奴らの殲滅だな。指揮官を殺さないようにしなきゃならんな。集まったオーク共に散らばられても困るし。やれやれ、面倒な。
「ふはっ……とりあえず、あいつをさっさと捕まえるか」
思わず笑いが漏れてしまったのは仕方ない。ようやく暴れられるんだからな。うん、仕方ない仕方ない。
顔がにやけそうになるのを抑えながら、俺はグリーンウルフに向かって跳んだ。
「止まれ」
「…………!?」
ものすごく驚いたような顔をするグリーンウルフ。そりゃ、いきなり首根っこ掴まれたら驚くわな。しかも全く気づけなかったんだから。
だが、わざわざこいつが落ち着くのを待つ義理は俺にはない。なので頭に軽く衝撃を与えて気絶させる。
グリーンウルフは悲鳴を上げる暇もなくあっさりと意識を手放した。力が抜けた体が地面に倒れるのをなるべくやさしく受け止めつつ、着地の勢いを殺す。
全力で走っていたので多少体も傷ついているかもしれないが、魔物だしそこらへんは大丈夫だろう。傷を負っていてもエドが治せるし。
「さて、戻るか」
俺は気絶したグリーンウルフを背負って、ジンたちがいるであろう方向へ跳んだ。