アンラッキーデイ 前編
いや……あの……
…………すみませんでした。
遅くなった言い訳は後書きのほうでしますので、とりあえず、十八話です。
彼は『一体』で森の中を歩いていた。
普段なら、彼の種族は一体だけで出歩くことはない。必ず何体かの仲間たちと行動を共にして、歩く時にも周りを警戒しながら進む。なにせ、彼らは弱いのだ。食料を取りにいって、自分たちが食料になることが日常的にあるぐらいには。それでも彼の種族が生きながらえているのは、数が多いからだ。生まれてから成長するのがとても早く、しかも大抵の環境には適応していく。
そんな彼が、なぜ一体だけで出歩いているのかといえば、答えは単純。腹が減ったからだ。
彼らが住んでいる森には、彼らが自分たちの食料を多少取りすぎようが問題にならないほど豊富に食料があった。いや、食料があること自体は今も変わらないのだが、よそ者たちが大勢で森に押しかけてきたせいで、あまり多くを取ることができなくなってしまったのだ。
ちなみに、このよそ者たちは陣が倒れていた森に棲んでいた者たちであり、押し掛けてきたのは竜から逃げてきたからだ。よそ者たちにとって、数週間前、それも自分たちを直接狙っていたわけではないとはいえ、竜に襲われた恐怖は拭い去れるものではなく、いまだによそ者たちはこの森に残っていた。
もちろん、彼らにとってよそ者たちの事情など知ったことではない。彼らは、よそ者たちが森にぞろぞろと歩いてくるのを侵略だと思い、縄張りを守るために、数に任せてよそ者たちを排除しようとした。
しかし、よそ者たちは数こそ彼らに劣っていたものの、ただ突撃するだけの彼らにただ負けるほど弱くはなかった。この森に移動するまでの疲労を加えても、まだ力は拮抗していた。そう、力自体は拮抗していた。
だが、それに加えてよそ者たちには何か鬼気迫るものがあった。多少の疲労や場所による不利など関係ないとばかりに力任せな戦い方をするよそ者たちに、彼らは次第に追い詰められていき、ついには三分の二以上もの仲間たちがやられてしまったことで、彼らは撤退した。撤退といっても、ただ恐れをなして逃げた一体に全員がついて行ってしまっただけであり、そこに隊列などは一切なかったが。
それから、彼らはよそ者たちにすっかりと怯え、今では住処の奥深くにこもって蓄えてあった食料を少しずつ消費しながら、よそ者たちが去るのを待っている状態だ。
彼は蓄えから配られる少しの食糧では足りず、仲間たちの目を盗んで住処から抜け出してきたのだ。数日ぶりの外に懐かしいものを感じながら、それでも周囲を警戒はしつつ彼は森を歩く。
近くにある木の実のとれる場所を思い出しながら歩いていると、それからすぐに彼は目的のものを見つける。だが、同時にそれが見えて、彼は素早く茂みに隠れる。
「……」
その直後、彼が歩いてきたのと反対方向からがさがさと草をかき分けて進む音がする。息をひそめてそちらを観察していると、やがてイノシシのような顔をした人の姿……彼の種族を負かしたよそ者たちの姿が見えた。
その瞬間、彼の体が少しだけ震えるが、それを無理矢理抑えて気配を殺すことに努める。彼の種族は弱く、彼自身も例外なく弱い。見つかれば終わりだ。
もしもよそ者たちが一体で行動していたとしても、彼には隠れてやり過ごす以外の選択肢はない上、よそ者たちは三体で行動している。最近まで敵対していた種族を見つけて、わざわざ逃がしてくれるとも思えない。
「ゴフッ」
「ゴフゴフ」
言葉はわからないが、三体は何かしら会話をしながら歩いている。幸い三体は彼に気づく様子はなく、このまま隠れていればやりすごせると思った。木の実は取られてしまうかもしれないが、殺されるよりはよほどいい、と。
それは、確かにその通りだ。このまま何も起こらなければ、彼は三体に気づかれることはなかった。――このまま何も起こらなければ。
ドサッ
木の実が落ちた。
それは彼が取ろうとしていたものと同じ種類の木の実だ。そして、よそ者たちもそれに手を伸ばして取ろうとしていた。
その木の実が、落ちてきた。偶然熟していた木の実が、偶然彼のすぐ横に落ちてきた。
「ゴフ?」
よそ者たちの視線が、彼の隠れている茂みに向く。その瞬間、彼は逃げ出した。
よそ者たちはまだ隠れている彼を見つけてはいなかったが、関係ないだろう。音はごまかせるほど小さくなく、落ちてきた木の実をよそ者たちが見逃すはずがない。それなら、まだ距離があるうちに逃げ出す方がいい。
といっても、彼はそこまで考えていたわけではない。単に三体の視線が向けられたのが恐ろしくて、反射的に逃げ出しただけだ。
幸い、よそ者たちは彼に比べて走るのは遅い。全力で走り続ければ逃げられる。そう思っていた。
「フゴッ?」
眼前に、あの場にいた三体とは違うよそ者たちが現れるまでは。
「……!」
彼は全力で地面をけって進路を変える。しかし、激突することはなくなっても、よそ者たちはもう彼に気づいてしまっている。
「ビギィィィィィィィ!」
彼の後ろでは、よそ者が叫ぶ声が聞こえる。おそらく、仲間を呼んだか警告をしたのだろう。やってしまったと後悔しながら、彼は逃げる。これでよそ者たちとの戦いが再開したら、それは自分のせいだ。
そんな考えが頭をよぎるが、速度を緩めることはしない。もしも戦いになってしまうのなら、せめて仲間たちに警告をしなければならないという義務感を持って、彼は走った。
ーーーーーーーーー
「さて、どうするかね」
エドにジンの護衛を頼んで森に入ったはいいが、もう十分は歩いているのに、どこにも獲物が見当たらない。居た痕跡はあるのに見かけないってのは珍しいな。偵察のオークがいたから、少なくとも奴らが群れを作ってるはずだと思ったんだが、当てが外れたか?
だとすると、狩る対象がゴブリンになるが……さすがになあ。
別にゴブリンの群れを狩り尽したところで問題はない。せいぜい奴らから憎まれるぐらいだし、そもそも生き残りを出さないからそれすらもない。しかし、今回はジンに従属させるのが目的だ。
人間を恨んでるゴブリンをテイムしようとしたら、さすがにジンのレベルだと足りないだろう。そもそもがギフトだと普通のスキルといろいろ変わってくるからな。あいつが魔物と会話できるのは、たぶんそのせいだろう。
「ま、とりあえず適当に走り回るか」
二分ほど走ればそのうち見つかるだろ。……できればさっさと出て来いよ。じゃないと、
「ん?」
……何か落ちたな。しかも近くだ。オークか他の魔物が餌でも取ってんのかね。
とりあえず行ってみるか。ゴブリンなら、ボコして持ち帰ればあとは全力で暴れられるから楽なんだが。さてさて。
足に力を込めて、全力で音のした方向へ跳ぶ。すると、すぐに逃げていく何かと、息を吸い込んで叫ぼうとしているオーク共を見つけた。何かの方は、茂みに隠れて見えないな。
まあ、いい。
「ビ「よっと」
まずは、こいつらの処理だ。
叫ぼうとしたオークの首を切り落とし、仲間を呼ぶのを防――
「あ、やべ」
呼んでもらえるんなら願ったりかなったりじゃねえか……。いや、まあ、何とかなるだろう。少なくともこの近くにオークがいることは分かった。後はこいつらが来た方向を探せば、群れがあるはずだ。
とりあえず、こいつらさっさと殺そう。残りの二匹が仲間を呼ぶまで待とうかとも思ったが、こいつらはすぐ近くにいた奴が殺されたことにすら気づいていない。待っていたらどれだけかかるかわからんし、むしろ怒り狂って俺の方に突撃してくる可能性の方が高い。
それに、さっき逃げていったのも追わないといけないしな。
「ほんじゃサクッと」
振り返ろうとしたオーク二体も首を斬り飛ばし、逃げていったやつを追う。一瞬、オークが来た方に向かうか迷ったが、痕跡は逃げないから大丈夫だろう。一応そっちにも目印をつけておくか。
「さーて、今度はゆっくり追うか。もしかしたら、そいつが群れに逃げ込んでくれるかもしれんし」
そうすれば狩り放題だ。ヒャッハー! 魔物は消毒だぁ!
まあ、生態系を壊すと厄介なことになるから、どんな魔物かは確認しなきゃならんが。オークやゴブリンみたいにばかすか増えてくる奴らなら、遠慮せずに殺しまくれるんだがな。
しかし――
「ありゃ、ゴブリンの逃げ足じゃねえよなあ、っと」
何かに追いついた。が、いまだに体は草むらに隠れてる。こいつ、相当隠れるのがうまいな。上から見ても自分の姿が確認されないように逃げてやがる。
木の枝の上から逃げているやつを見て、その隠密性に感心する。こいつは俺のことに気づいた様子はない。つまり、普段からこの逃げ方、あるいは走り方なわけだ。
ただ、このまま走っていくと進行方向には一匹とはいえオークがいるわけなんだが……それには気づいてないな。|隠密(隠れるの)は得意でも|気配察知(見つけるの)はそれほどでもないのか。
「ビギィィィィィィィィ!」
逃げている奴はオークに接触しそうになるのを避けるが、仲間は呼ばれてしまった。
ようやく草むらから出て来た体は森に隠れるような緑色の毛に覆われ、大地を踏みしめる四肢はそれなりにたくましく見える。
「なるほど。やっぱりグリーンウルフか」
グリーンウルフ。
ウルフ系の魔物で、力としてはゴブリンと同等かそれ以下。それに性格もかなり臆病だったはずだ。しかし、その憶病さ故に危機感知能力はかなり高く、さっきまでのように隠れるのがうまい。しかもそれだけ臆病なのに縄張り意識が恐ろしいほど高くて、常時数百匹近い数の群れを作って自分たちの弱さを補っている。
本来、一体で行動するような魔物じゃないはずなんだが……はぐれ個体か? いや、グリーンウルフがはぐれてたら生きてるはずないな。なら、ついさっき群れを追い出されたか、腹が減りすぎて出て来たのか。なんにしても、この近くでグリーンウルフが出るなんて話は聞いたことがない。一体いつからいたんだか。
「最近移動してきたのか? けど、なあ」
ここから数十キロ先とはいえ、竜が出たのならこいつらは全力で逃げそうなもんだが……いや、逃げて来たからここにいるのか? 竜から避難してきてここにたどり着いたのなら、この森にいるのもわかるし、腹が減っているのも住処から追い出された恐怖や長距離の移動の疲れから、食料を確保するために動いているというのなら……やっぱないな。
腹が減ったんなら数体ずつで食料探しにでも出るだろう。あいつらはウルフ系のくせに肉を好まないが、これだけ豊かな森なら住処を追われても十分に暮らせるはずだ。わざわざ一体だけで仮に出る意味は一切ない。
『ビギィィィィィ』
『ビギィィィィィ』
「っと、考えてる場合じゃねえな」
そろそろオークたちが集まってきた。そこかしこから叫び声が聞こえ、まるでグリーンウルフを追い立てるかのように包囲網を作っている。……いや、統率取れすぎだろ。いくらなんでも。
もしかして、あの叫び声って仲間を呼ぶだけじゃなく、『配置についた』みたいな合図も含んでんのか。だとしたらオーク側には優秀な統率者がいることになる。それこそ、人間の指揮官に匹敵するレベルの。
ちょっと面倒だな。エドがいるからジンの方は大丈夫だろうが、このままだと最悪近場の村か町でも襲いに行きそうだ。さすがに一人で、しかも奴らの数がわからない状態で仕掛けるのもあれだしな。
「とりあえず団長には報告しとくか。今は無理でも任務が終わったら殲滅もできるだろ」
ああ、ついでにジンと従魔のレベル上げにも使えるか。強行軍について行けるかどうかは別として。
「あ、そうだ。あいつどこ行った」
オークに気を取られて全く見てなかった。えーと、さっき逃げてったのがあっちの方角で…………いた。
かなり遠くの方に、全力で走っているグリーンウルフを見つけた。隠れながら走るよりも、全力で振り切った方がいいと判断したか。なかなかいい判断力だ。これも【危機感知】のなせる技かね。
ルイディアさんはゴブリンを従属させろって言ってたが、これは先のことを見越してもあいつを従属させた方がいい気がするな。高い危機感知能力に隠密性、その上なかなかの脚力だ。もしかして群れの統率者か? まあ、違っててもいい。
「あいつを連れて帰ろう」
追っているオークたちを引き離しているグリーンウルフだが、そのまま進むと包囲が完成する。たった一匹に大層な力の入れようだ。指揮官がいるなら、人間と比べても優秀な方だな。
けど、悪いな。そいつは俺の獲物になった。
お前らには渡さんよ。
「ちょっと気合い入れるか」
ああ、これ(・・)をやるのも久しぶりだ。
一言呟き、目を閉じて、その言葉を唱える。
――『■■■■■■■』
そして、ゆっくりと目を開き、
「くはっ」
笑みが漏れた。
さっきよりも、ずっと近くに獲物がいる。
さっきよりも、ずっと多くの獲物がいる。
ああ、ああ、忘れていた。
――これが、世界だ。
早く狩ろう。我慢できない。
すぐにすぐにすぐにすぐにすぐに。
殺し尽そう――
改めまして、数十日ぶりの投稿になってしまい、本当に申し訳ありません。
詳しくは申せませんが、いろいろやることがあり、時間がとれても中途半端だったりとしまして、投稿するのがこれほど遅くなってしまいました。
ですが、一応これからは三日に一話は出せると思います。
だから何だと言われればその通りです。はい。
そして、楽しみにしていただいていた方々に、もう一度、深くお詫び申し上げます。
追記 タイトル変えました