うちの世界(シマ)じゃ常識です
あれからグリムさんに馬を貸してもらい、相変わらず息も絶え絶えに昨日と同じ森に到着した。あ、ちなみにリンは麻袋に入れたまま担いできてます。
そうそう、途中で思いついたんだが、森といえば前のゴブリンの死体ってそのままにしてきちゃってたよな。大丈夫なのか? ものすごい量の魔物がいきなりこっちに迫ってくるとかないよな? サイラスさんが何も言わなかったってことは大丈夫なのかもしれないが。
あれ、なんでだろう。今、何故かとても嫌な予感がした。
……もしかして大丈夫じゃないのか? いや、でもここは昨日とは違う場所だし、いくら何でもそんな大事なことを見落とすなんてことは……。
「おい、ジン。もう体力回復しただろ。さっさと準備するぞ」
「あ、はい。いや、そうじゃなくて、あのですね、えーと」
「? なんだよ」
いきなり話しかけられたせいで、うまく言葉が出ない。一度心を落ち着けるために息を吸ってから、サイラスさんを見る。訝しげにこちらを見るサイラスさんの顔には、心配や緊張感などはみじんも見当たらない。全くの平常心であるように見える。
……やっぱり大丈夫なのか? そういえば、ちょっと前に考えすぎだって言われたばっかりだったな。自分のことならともかく、他のことはこの人たちの方がよく知っているんだし、俺が考えてもしょうがないことなのかもしれない。
「おい、どうした? なんか忘れ物でもしたのか?」
「ああいえ、違うんです。ただ、ちょっと心配なことがあったもので」
「心配なこと?」
「はい、昨日のゴブリンのことなんですけど――」
先ほどのような心配は一切なく、軽い気持ちでその言葉を口にする。
「死体も血も何も処理してなかったけど、大丈夫なのかなって」
「……」
そういった瞬間、サイラスさんは俺に顔を向けた。特に表情が変わったわけではない。だというのに、何故かこの時、俺は思い出していた。何かを考えるより先に、嫌な予感を感じていたことを。そして、俺の嫌な予感が、外れたことがなかったことを。
「ま、さすがにここまで来たら思い出すよな」
「……何の話でしょうか」
俺に向けられていた顔は再び前を向く。その目線の先には森が広がっている。しかし、見ているのは森そのものではなく、もっと別の何かなのだろう。だってこの人――
「じゃあ、それを踏まえて、今俺が何考えてるかわかるか?」
――ものすごく楽しそうに笑ってるんだから。
「……パワーレベリングとかですか?」
「パワーレベリングねえ。それもまあ、できることはできるな。けど、一日あったら魔物も少なくなると思わないか? そもそも、それをやるにしても半日近くもほったらかして、獲物が集まるのを待つような方法は使わない。非効率的すぎる。今、何を考えているかじゃなく『もともと何を考えていたか』を考えろ」
なんでこんな危険な場所でクイズなんかしてるんだ、俺は。っていうか、エドさんはどこにいるんだ。できたらこの人を止めてほしいんだが。
少し顔を動かすと、森の入り口で何かをやっているのが目に入ったが、あまり観察している暇はない。とりあえず助けてもらえなさそうなことはわかった。
で、何を考えていたか? ……まず、あれを放置したのは故意だった。そして、その当時はパワーレベリングなんて考えてなかった。んでもって、これによって出る結果は一日二日のずれでは問題にならない、と。これだけ余裕があるってことは、そういうことでいいよな。つまり、
「保険みたいなものですか? 何か俺が知らないことの」
「ふんふん、何でそう思う?」
どっちも認めるようなことは言わないってことですか。表情も笑顔のまま一切動かさねえし。この人の笑顔は森の中にぽつんと立ってる洋館より嫌な予感がするんだよなあ。
「魔物を集める以外に何も思いつかなかったもんで……。さすがにそんなにポンポン思いつきませんよ」
「だが、わざわざ魔物を集める手段をとってその程度でしかないってのはおかしいだろ」
「あー、それはそもそも、この辺りには魔物がそれほどいないんじゃないかなと」
「ふん?」
その表情見る限りは当たりかね。
いや、別にあてずっぽうで言ったわけじゃないけど、何となくの予想だし、外れてる可能性もかなりあったんだよな。
まあ、何が言いたいかっていうと、ここからせいぜい十数キロ~数十キロ程度の距離に竜が出たんだってことだ。騎士団+別組織の編成をしないと倒せないような強いやつが。それからどれだけ経ってるのかは知らないし、もうとっくに去った後なのかもしれないけど、それでも俺の知る限りではその可能性が一番高かった。答え合わせがないから、これが本当の理由かはわからないけど。
それと、これは本当に推測だが、俺が知らないことにもこの竜は関わってくるんだろう。じゃないと、わざわざ死体を焼くためだけに騎士団がここまで時間をかける意味が分からない。村の位置もわかってる。やるべきことも伝えられてる。なのに、今日も合わせて5日間ずっと死体探しだ。キャンプの近くにあった木々と同じぐらいの数の人間を一人一人丁寧に焼き払うつもりでもなければ、こんな時間はかからない。
つまり探索というのは死体の探索ではなく、その村を潰した竜の探索。
……じゃないかな―とは思うが、間違ってると恥ずかしいから口には出さないでおこう。
「なるほどなあ」
俺が竜探索に関する推測以外のことを話し終えると、サイラスさんは満足げにうなずいた。笑顔は変わらない。
「ちなみに、その保険が何に対するものなのかはわかるか?」
「妄想でよければ話せますが」
ようやく一つ答えが出た。保険は正解だったらしい。
けど、さすがにそれが何のために用意されたのかはわからない。竜がほかの土地に行かないように餌を用意したか、ここにいる魔物が街の方に行かないように潰し合わせるかとかぐらいしか思いつかない。個人的には後者の方が可能性が高いとは思うが……あ、いや駄目だな。数が減っても、魔物どうしで『レベル上げ』しただけになる。レベルなんてものがある以上、この世界じゃ量より質がまかり通ってしまう。
「それにしても、考えすぎないようにって言ったくせに、考えさせはするんですね」
「わからないことがあるなら聞けって意味だよ。知識もないのに、一人で考えるのがどんだけ無駄なことかぐらいわかるだろ?」
……確かに。さっきの質問で、推論でしかなかった考えの一つに明確な答えが出た。それに、聞いていた情報を多少整理もできた。言ってることは正論だし、無意識のうちに質問するべきことと自分の問題を混同していたことにも気付けた。
サイラスさんがやったことは、すべて俺にとっていいことだ。悪いことといえば、最初のあたりに嫌な予感を感じたことぐらいだ。ただ……。
この人が言うと後付けの理由にしか聞こえないのはなぜなんだろう。
「普段からの信用って大事ですよね」
「なんだよ。俺たちじゃ聞くには不安だとでも?」
そういう意味で言ったわけじゃないけど、まあいいや。考えていたことを察せられるよりマシだ。
「そんなわけないですよ。助言、ありがとうございます。余裕ができたらもっといろいろ聞くかもしれないですけど、お願いしますね」
「おう。ま、できればルイディアさんに聞いてくれ。あの人なら大抵のことは知ってるだろうからな。年の功だ」
「ああ、そんな感じで……年の功?」
「あの人は団長の三倍近く生きてるぞ」
「……マジですか?」
「そろそろ会話に入っていいですか?」
さらりと言われた衝撃の事実に思わず聞き返すが、サイラスさんが答える前にエドさんが割って入ってきた。
「ああ、結界お疲れさん。こきつかって悪いな」
「ついて行けって言われた時点で諦めてますよ」
「なんかすいません」
とりあえず頭を下げる。たぶんっていうか、確実に俺がサイラスさんと話してたせいだろうし。結界が何なのかは、まあ、その名の通りだろうな。
「お前、結界が何なのかは聞かないのか」
「魔物を寄せ付けないようにするか、物理的な攻撃から守るか、音を漏らさないようにするかでしょ?」
「全部あるけど、今回使ったのは最初のやつだよ。あ、それともう解いてるので油断はしないでください」
「ああ、うん……なんでそれはわかるんだよ」
呆れた顔をされるが、結界の種類の判別ぐらいうちの世界じゃ常識です。嘘です。あと、エドさん大変ですね。
「……まあいいか。それじゃ、さっさとゴブリン狩りだ」
「いや、狩るんじゃなくてテイムですよ」
「最初の目的忘れんでくださいよ?」
「もういいだろ。ジンにも釘刺したし。気ぃつかうの疲れるんだよ。殺(ストレス発散)させろ」
物騒にもほどがある! しかもさらっと俺に責任擦り付けた!
「別にいいですが。ちゃんと彼の分は残しておいてくださいよ」
「わかってるよ。まずテイムしてからだ」
いいのか。エドさんでも許せる程度のことなのか。セリフだけ聞いたらただの外道なんだが。それともあれか、ゴブリンはそんなに人間にとって害になるのか。
「殺しすぎたところでまたすぐに増えるからね。湧き出てるんじゃないかと思うぐらいに。だから、君も容赦はしなくていい」
俺の視線に気づいたのか、エドさんがそう言ってきた。そうか、ゴキブリと似たような扱いなのか……特に同情もできないけど。
ゴブリンについて聞いている間に、サイラスさんはもう森の中に入っている。俺も後を追おうとしたが、何故かエドさんに止められた。
「まてまて、君は俺と留守番だ。っていうか、俺たちがついて行ったところで足手まといにしかならない」
「それはそうですけど……それだとここに俺が来る意味もなくなりますよ?」
「あの人は手加減が得意じゃないんだ。暴れられるような体力を残していたら引きずれないし、やりすぎたら運ぶ途中で死ぬだろう? これぐらい近くにいる方がいいんだよ」
「だろうっていわれても……」
何度でもいうけど、本当に騎士かあの人。