ぼっち擁護論
某SNSサイトで、”ぼっち”、つまり一人ぼっちは不幸であるという論調のニュースをよく目にします。
しかしながら私は若いころ、ぼっちとは正反対の”しがらみ”地獄に悩まされました。
はたして、ぼっち的ライフスタイルは、本当に不幸なのでしょうか。
確かに人間は一人では生きていけません。
しかし、しがらみが過剰な世界で生きていくのも幸せではありません。
ほどよい”ぼっち度”、ほどよい”しがらみ度”というものがあり、これは個々人によって微妙にちがうでしょう。
ただ今の日本は概してまだまだ”しがらみ度”が強すぎ、最適ゾーンに行くためには、”ぼっち度”をもっと強化すべきだと思うのです。
①SNS友こそ真の友
マスコミは、ネットだけでつながった友人は実際の友人より価値がなく、SNS友しかほとんど友人がいない人を問題視します。
しかしSNS友は付かず離れずの関係、つまり”ぼっち度”と”しがらみ度”が調整された、理想的な人間関係だと思います。
私たちは面と向かって相手に本当の意見を言えない場合があります。相手が職場の上司だったり、学校の先輩だったりしたら、相手の顔を立てなくてはなりません。相手の意見に反対でも、言葉を選んで自分の意見を述べる必要があります。
SNSでは自分の思ったことを率直に述べることができます。
ぼっち的友人関係も、ネット時代の新しい”人脈”だと思います。
②マスコミがぼっちに否定的な理由
マスコミは、私たちがぼっち的ライフスタイルを選択しないよう情報操作しているように思えます。
ぼっちは見方を変えれば、群れからの独立です。
周囲をまねて生きるのでなく、自分の頭で考え、自分で自分の生き方の計画を立て、自分の決断でそれを実行する生き方なのです。
実はあなたを奴隷のように支配したいと考えている人や勢力がいます。
彼らにとって、あなたが自分の頭で考え始めては都合が悪いのです。
彼らからすれば、あなたがどう生きるかを決めるのは自分たちであって、あなた自身ではないと考えています。
あなたは彼らの存在に気づいていましたか?
これはホラー小説ではありません。
彼らとは誰でしょうか。
第一にあなたを情報操作する大手マスコミであり、第二にそれを操る政府であり、第三にこの二つと癒着している大企業です。
これらの"複合体"が奴隷階級たるあなたの主人と考えていいでしょう。
しかしながら奴隷のままではあなたは決して幸福にはなれません。
あなたは積極的にぼっち的ライフスタイルを選択し、マスコミの情報操作や企業のステマに敏感になり、自分の人生は自分で切り開く、という気骨を持つべきです。
そしてそれこそが、あなたが奴隷階級から解放される最短の道なのです。
③ぼっち社会をみんなで作る
人間は一人では生きられません。
そして複数の人間が団結して協力したとき、一人の人間ではなしえない大きな成果を達成できます。
私が理想と考えるのは、みんながぼっちになって、てんでばらばらに好き勝手なことをする社会ではありません。
むしろみんなが協力して知恵を出し合い、ぼっちでも快適に生活できる社会の仕組みをみんなで考え、そのためのテクノロジーをみんなで開発する社会です。
④在宅勤務のすすめ
ところでPCの発達でほとんどの仕事が物理的に在宅でできるようになりました。
職場に出社しなければできない仕事は接客業や、工場の労働者など、一部の仕事だけでしょう。
外回り営業は自宅から得意先へ直出直帰し、一日の終わりにメールで業務報告すれば職場に出社しなくても仕事はできるはずです。
経理は自宅のPCからサーバーの基幹システムにアクセスし、伝票を入力します。また自宅のPCから銀行へ振り込むこともできます。
設計開発のエンジニアたちは喫茶店やファミレスにノートPCを持ち込み、クラウド環境でコーヒーを飲みながらプログラミングを楽しみ、ノマドワーキングを満喫します。
その他、工場勤務の品質管理担当者なども、部署によってはワープロによる文書作成業務が中心だったりします。彼らも週二日は自宅勤務でもいいでしょう。
社内会議はスカイプで済ませ、業務報告はメール。この他、週一回、または月一回は出社して上司に面会します。
社員は会社のある大都市ではなく、自然環境豊かで土地代の安い田舎に大きな住居を構え、そこで生活するのです。日中、家族と交流もできます。
企業としても社員の在宅勤務化はメリットがあります。
社員の交通費を削減できますし、本社はより家賃の安い小さいオフィスで営業できるからです。
社員全員が在宅勤務なら、バーチャルオフィスを本社にするという手もあります。
しかしながら、在宅ワーカーとは企業からの下請けでワープロを打つといったパートタイマーを指し、正社員の多くは職場に出勤しています。
どうして在宅勤務が進まないのでしょうか。
第一に、一部の正社員が職場に来なくなると、残りの社員の士気に関わるといった理由で在宅勤務化が進んでいないのです。
第二に、在宅勤務だと社員が怠けて仕事をしないと経営者が考えているからです。
第三に、周囲に茶坊主的な社員をはべらせ、優越感を確認したいという社長のわがままからでしょう。
第一の問題は職場勤務社員には交通費に加え、特別手当を出せば解決できるでしょう。
第二の問題ですが、職場に出社しても、社員どうしがだべって仕事を怠けてしまうことがあり、在宅の方が怠けやすいわけではないことを、経営者は知るべきです。
第三の問題はどうにもなりません。ただこうした社長の会社は一般に衰退していきます。
在宅勤務は、ある意味、ぼっちワーカーです。
毎日、嫌な上司に小言を言われる職場から解放されます。
⑤自営業のすすめ
また自営業者や個人商店主は、在宅勤務社員よりもぼっちワーカーと言えます。
勤め人より彼らを労働者の標準にする社会が望ましいと思います。
これまでの行政は、たとえば1000人の労働者の雇用を創出する場合、社員1000人の会社を1社作ることを考えました。
ところが社員100人の会社10社、社員10人の会社100社作っても1000人の雇用は確保できます。
私だったら個人商店を1000店作ることを提案します。
つまり大企業の平社員1000人よりも、個人商店の店長を1000人作るという発想です。
上司がいる職場では自由がありません。自分が社長、または店長であれば上がいないので自由です。
もちろん平社員にはわからない社長の悩みもあるでしょうが、概して職場で居心地がいいのは社長の方でしょう。
自営業者には上も下もいません。人間関係で煩わされることはないのです。
⑥孤独死のすすめ
最後にぼっち死、つまり孤独死について述べます。
私は孤独死は現代人にとり、理想的な死に方の一つだと思います。
孤独死が不幸という人に訊きたいことがあります。
あなたは、どういう死に方が幸せな死に方と言えるのか。あるいは自分が死ぬときはどんなふうに死にたいか。
ある人の意見では、一番幸せな死に方は、自宅で子や孫など家族に看取られて死んでいく死に方であり、自宅での孤独死は2番目、病院で家族に看取られる死に方は3番目とのことでした。
ところで現代人が死ぬ場所は確率的に病院内が多いでしょう。
でも病院で死ぬのは悪く言えば、”獄中死”に似ています。
病院という自分の知らない場所、しかもあまり好きでない場所で、医師や看護師といった他人と付き合いながら死んでいくのです。
他人の目に自分の死がさらされるのも、いい気持ちがするものではありません。
獄中死に憧れる人は聞いたことがありません。一方、病院死も、仕方ないと思っている人が大半で、憧れているわけではないでしょう。
どうせ死ぬなら慣れ親しんだ自宅で死にたいものです。
マスコミはよく孤独死の恐怖を煽りますが、本当のところ、孤独死が困るのは空カンのポイ捨てと同じなのです。
当の本人は困らないが周囲の人が迷惑するのです。
死体が長期間、そのまま放置されていたら大変です。
空カンは屑かごへ捨てなさい、自分が死んだら家族にすぐ死体の処理をしてもらいなさい、そうしないと社会迷惑です、だから孤独死は迷惑です、というのがマスコミや行政の言いたいことなのです。
いずれにせよ、自分が死んだらすぐ外部にわかるようにしておけば問題ないわけです。
たとえば「秋月パルス」のように自分が死んだらツイッターで知らせる機械があります。
マナーを守りさえすれば、孤独死も悪くないと思います。
(完)